未熟なキューピッド
一
善之さんは来週にはお店へ復帰することになった。
なんだかんだ、一番元サヤがいい気がする。
お客さんとトラブルになった詳しい話は、いまだにぼくの耳には入ってこない。
一清さんを説得して善之さんはお店へ戻れるようになったのだから、それが笑い話になる日も近いと思う。頃合いを見て、それとなく訊いてみようと思った。
その前にぼくは、期末テストをどうにかしなければならなかった。善之さんのこともあって手につかなかった勉強だけれど、そうも言ってられないところまできている。
きょうは学校帰りに図書館へ寄り、まずは苦手な数学を勇気くんに教えてもらった。
理数系はお兄ちゃんも得意だから、たまに見てもらうことがある。けど、なんていうか……教え方が冷たい。関係ないことでちょっかいも出してくるし。
勇気くんは、優しく丁寧に教えてくれるからわかりやすい。
図書館からの帰り、すっかり日の落ちた道を並んで歩く。人のいないところでは手をつないだ。
勇気くんと別れたあとの道はとっても寒かった。強めにマフラーを巻き直し、早足で我が家へ向かう。
最後の角を曲がる。ぼくの家のガレージにはセンサーで点くライトがあって、それがぱっと明るくなった。だれかを照らす。
その人の顔を、ぼくは歩きながら確認して、首を傾げた。だけどすぐに足を止めた。
ゆかりさんだったのだ。
きょうは最初に会ったときと同じ。お化粧が薄い。だからか、ホステスさんのときよりも幼く見えた。
もしかしたら、それがお兄ちゃんとぼくとの見方の違いかと考えていると、ゆかりさんがくるっと背を向けた。
玄関のほうへは行かず、そのまま立ち去ろうとする。
しかし、きょうはぼくに気づいてくれた。なのに、さっと視線をそらし、歩くスピードを上げる。
どうしようか考えるより早く、ぼくはゆかりさんへ声をかけていた。
その足が止まる。訝しくぼくを見て、ゆったりと口を開く。
「きみは?」
「篠原人夢といいます。善之さんの弟です」
思案するような間を持ってから、ゆかりさんは歩み寄ってきた。ショルダーバッグの口を開けると小さな紙袋を出した。
「よっしーに渡してくれる?」
紙袋の中には、プレゼントらしきラッピングされた箱があった。
でも、きょうは善之さんの誕生日じゃないはず。
お店へ戻るにしてもいまは謹慎中だし、もしかすると、そのことを元気づけに来てくれたのかもしれない。
ぼくは手を伸ばしかけ、しまったと思った。
それと同時に声が飛んでくる。
「自分で渡したほうがいい。あいつ、中にいるし」
お兄ちゃんだった。ロクちゃんの散歩へ行っていたらしく、綱を引いて駆け寄ってきた。
紙袋を引っ込め、なぜかゆかりさんは立ち去ろうとする。
「人夢。善之、呼んでこい」
ぼくは、うんと頷いて、玄関まで走って向かった。戸を開け、大声で善之さんを呼ぶ。
善之さんは前掛け姿で出てきたけど、構わず腕を引っ張って外へ連れ出した。
ゆかりさんはまだ表にいてくれた。こっちを見上げ、善之さんに会釈すると長い髪を撫でた。
善之さんの目には、もうぼくたちは入っていない。大股歩きで、真っ直ぐにゆかりさんのところへ行った。
「お兄ちゃん。ありがとう」
二人を残し、ぼくらは一足先に家へ入った。お兄ちゃんはロクちゃんを小屋につないで、庭から廊下へ入った。
「ちょっとだけぼく見直したよ。二人のこと、やっぱりお兄ちゃんも気にしてたんだね」
「お前が肝心なところでポカするからだろ。あそこであれを受け取ろうとするか」
「取ろうとしただけでしょ。受け取っては、ない」
お兄ちゃんはぼくに一瞥を投げ、さっさと階段のほうへ行こうとする。
その背中にあかんべをしてやった。
それが見えていたのかどうか、お兄ちゃんの足は止まった。
ぼくは慌てて顔を戻した。ものすごく真剣な目で、お兄ちゃんは振り返る。
「どうしたの」
「俺さ、やっぱあの人とどこかで会ってる気がする」
「え?」
「ゆかりさんだよ」
「でも、知らない人だってお兄ちゃんが言ったんじゃん」
なんとかして思い出そうとしているのか、お兄ちゃんは頭を掻いて唸り始めた。しばらくそうしたあと勢いよく顔を上げて、いきなり廊下を走っていった。
ぼくは首を傾げつつ、お兄ちゃんを追って階段を上る。
お兄ちゃんは二階へ着くと、自分の部屋じゃなく善之さんの部屋の戸を開けた。
ぼくが室内へ目をやれば、勝手に押し入れを開けていて、下段のレターラックを引っ掻き回していた。
たとえ、お兄ちゃんと善之さんがなんの断りもなしにお互いの部屋を行き来できる仲であったとしても、あれはまずいと思う。
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