四
勇気くんとは、それからずっと口を利けなかった。
目を合わすこともなかった。
放課後の読書の時間は、きょうも実行するつもりでいるけど、勇気くんと会ったらまずなにを言おうか、考えはまとまってなかった。
謝っても許してもらえなかったんだ。これ以上なにを言えばいいのか見当もつかない。
自分の席で肩を落としていたぼくは、健ちゃんの声を聞いて、顔を上げた。
違うクラスなはずの健ちゃんが、当たり前のように無人の机を縫ってくる。
「人夢くん。風邪、もういいの?」
「うん。……日曜日はごめんね。そして、ありがとう」
「いや。それより、どうしたの。まだ帰んないの?」
ぼくがなにも返さないでいると、健ちゃんは「ああ、そうか」と頷いて、わずかに笑みを浮かべた。
「もしかして、勇気を待ってるの?」
「……」
「でもさ、俺、あいつが帰るとこ見たよ」
ぼくは目をしばたたいた。
「それに、きょうは部活が休みだって、クラスの野球部のヤツも言ってたし」
──もう、おれたちは終わりだ。
勇気くんにそう突きつけられたような気がした。それぐらいのショックがあった。
ぼくは椅子から立ち上がることもできないで、健ちゃんが離れていくのを待った。
一人になったら泣こうと思っていた。
しかし、健ちゃんはなかなか去ってくれない。それどころか、いきなり「ごめんね」と言った。
「なんで健ちゃんが謝るの? もし、風邪のことを気にしてるなら、あれはぼくの不注意なんだ。出かけたこととは関係ないよ」
「いや。そうじゃなくて」
困ったなと、健ちゃんは口の中で呟いた。
涙はまだ我慢して、ぼくはもう一度目をしばたたいた。
「日曜日……ホントは勇気と約束があったんじゃないの」
「……約束?」
と口にした瞬間、ものすごく大事なことを、ぼくは思い出した。勢いよく立ち上がる。
昇降口で、勇気くんにしてはどこか乱暴だった言動の理由も解けた。
土曜日の電話で、ぼくはウソをついていた。勇気くんからの誘いを断るのに、お兄ちゃんと、お義父さんのお店を掃除しに行くと言っていた。
勇気くんは昼間、その嘘についての言葉をぼくに求めていたんだ。
「だから、ごめん。まさか勇気にウソついてまで、人夢くんがつき合ってくれてたとは思ってなかったから」
「だって、それは──」
健ちゃんが内緒でって言ったから……。
でも、それは口にできなかった。ウソをついてまで内緒にする必要はなかったと、いまの言葉で気づいたから。
ぼくは、健ちゃんを見上げた。
……なんだろう。
なにかもやもやしたものが、ぼくの胸に込み上げてくる。もやっとしているから、それがなんなのか、はっきりとはわからない。ただ、すごくすっきりとしないものだ。
「ねえ、健ちゃん。ぼくが勇気くんにウソをついたこと、どうして知ってるの?」
「人夢!」
そこへ、今度は勇気くんの声が飛んできた。
一瞬、信じられなくて、ぼくは振り返ることができなかった。
健ちゃんが舌打ちをする。
ぼくは、勇気くんに手を引かれて、教室を出た。真っ直ぐに昇降口へ向かうもんだと思っていたけど、目の前の足は階段を上っていく。
屋上への「開かずの扉」の前まで来て、勇気くんはぼくを放した。
「……勇気くん、帰ったんじゃなかったの?」
「帰ったよ。ちょっとそこまで歩いて、いまはテスト期間中で、部活が休みになっていることにお前は気づいてないんじゃないかと不安になったから戻ってきた」
勇気くんはこっちへ背を向けたまま、まくし立てた。
言い終わると、くるっと体を返し、ぼくを壁まで追いやる。両手を伸ばし、まるで囲うようにする。
「それと、昼間のことだけど、健に嫉妬して、おれはあんなことを言ったんじゃないからな。おれはお前が──」
「ウソを言ったからだよね。……わかってる。勇気くんにはウソついて、健ちゃんと遊びに行っちゃったことに怒ったんだよね」
「……」
「ごめんね。ぼく、すぐに気づけなくて。ほんとに、ごめん。もう、嘘ついたりしないから。だから、ぼくのこと嫌いにならないで。もう、これで終わりだなんて言わないで」
最後のほうは、勇気くんの顔も見れなかった。
自分はとても女々しくて、情けないやつだという気持ちもあったけど、いまのぼくの正直な思いでもあるから仕方がない。
「嫌いになってたら、こうして来ないでしょ」
勇気くんはおもむろにしゃがむと、ぼくの顔を下から覗いた。
「例のDVD。人夢に、月曜日に貸そうと思ってたやつ。やっぱり学校に持ってくのはまずい気がして、日曜日の夕方、お前の家まで持って行こうとしたんだ。その途中で、健に会った」
「……」
「昼間、人夢と一緒にいて、その人夢が急に具合が悪くなったから、家まで送ったとあいつは言った。……そのときのおれの気持ち、いまのお前ならわかってくれるよな?」
勇気くんはちょっと怒ったような、そして、ちょっと悲しそうな顔で見上げた。
ぼくはひたすら謝ることしかできない。
すると、勇気くんは立ち上がった。
「──いや。おれも謝らなきゃだ。本当はおれ、健に嫉妬してたんだと思う。だから土曜日に電話をした。お前と健のことがめちゃくちゃ気になったから」
ぼくは眉をひそめた。
途中で、勇気くんの話が見えなくなってしまった。
「え? ……どういうこと?」
「お父さんが、健とお前が楽しそうに話してるのを見たって」
「お父さん──」
あの車だ。
……あの日、勇気くんの家を出たあと、すぐ健ちゃんに会った。しばらく話をしていたところで、一台の車がやってきた。健ちゃんは、勇気くんのお父さんの車だと言った。
「ただ話をしていただけだろうし、それほど気にすることじゃないのに、妙に気になって仕方がなかった」
「……」
「お前を困らせるだけだから、こんなこと言うの、ほんとは嫌なんだけど……」
言葉を切ると、勇気くんは急にきょろきょろし始めた。
だれもいないことを確認して、ぼくをぎゅっと抱きしめる。
「人夢をずっと独り占めしたいんだ」
ここが学校だというのも忘れ、ぼくは勇気くんの制服を掴んで、強く抱き返した。
……ぼくもおんなじ。
できることならば、勇気くんをずっと独り占めしたいんだ。
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