勇気くんと別れたあとは、しばらく一人ぼっちの家路が続く。

 最後の角を曲がり、我が家のほうへ視線をやると、見知らぬ女の人が立っているのに気づいた。

 ぼくの家を見上げている。

 女子大生にも見えた。いまどきのしっかりメイクじゃなく、素顔に近いような薄化粧の人だった。

 でも、美人だ。清楚な感じのするお姉さんだった。

 声をかけやすそうだったし、うちに用があるようにも見えたから、ぼくはゆっくりと近づいていって、どうしたのか訪ねようとした。

 しかし、ぼくに気づくことなく、その人は家の前から立ち去った。

 いまの女の人は、たまに見かける、お兄さんたちやお兄ちゃんのファンとかいう女の人とはどこか違う。なんていうか、浮き足立った感じがなく、表情も妙に固かった。

 ぼくは首を傾げながら玄関を開けた。

 家に入ると、脱衣場の戸がオープンになっていて、お兄ちゃんが床を這うようにして、中で探しものをしていた。

 こっちは声をかけづらく、お兄ちゃんに構わず、ぼくは台所の戸を開けた。


「おう。おかえり」


 善之さんが珍しく前掛け姿で、流し台に立っていた。手を動かしながら、顔だけを振り向かせる。


「ただいま。……きょうのご飯は善之さんなんだね」

「まあ、ヒマだったから」


 豚カツにコロッケに焼き肉。そして、大きなボウルにいっぱいのサラダ。善之さんらしい、これぞ男飯って感じの夕ご飯だ。

 それらに目をやりつつ、ぼくは表で見かけた女の人のことを話した。


「善之さん、心当たりない?」

「女子大生?」

「うん。女子大生、っぽい人」

「さあ?」

「善之さん、大学行ってるし、それ関係でのお知り合いかなあと思ったんだけど」


 すると、善之さんは体を折り曲げ、吹き出した。


「女子大生のお知り合いなら、むしろ豪だろ」

「え?」

「あいつ、年上のオンナが好みらしいから」


 粉だらけの手を、善之さんは胸の前で大きく動かした。


「しかも巨乳好きで、相当な面食い」

「きょ──」

「お母さんを早くに亡くした末っ子のガキが絶対に走るだろうシュミしてんだ、あいつ。わかりやすいだろ?」


 わかりやすいだろと言われても、ぼくが頷けるわけもなく、愛想笑いを返した。


「だから、豪のお知り合いじゃねえかな。たぶん」

「でも……」

「俺は美人だとか巨乳だとか、見た目じゃ決めないけど、そういえばお前はどうだ? やっぱ、胸はデカいほうが好みか?」


 善之さんがにやにやしてぼくを見る。まるで酔っぱらいのオヤジだ。

 ぼくが答えに困っていると、とてもいいタイミングでお兄ちゃんがやってきた。今回ばかりは、あの意地悪大王が救いの神に見える。

 そのお兄ちゃんは額に手を当てて、なぜか肩を落としていた。


「ああー。ない。どんなに捜しても、ねえ」

「お前、さっきからなに捜してんだ?」

「あ?」


 善之さんは豚カツを揚げながら、まだ「ない、ない」と繰り返しているお兄ちゃんに訊いた。

 そういえば、お兄ちゃんは朝も、あれがない、どこいったと、一清さんに詰め寄っていた。


「指輪だよ」

「指輪? どんなやつだよ」

「スカルの」


 ああ、と頷いている善之さんの後ろで、ぼくは、スカルがとどのつまりはガイコツだということを考えていた。

 どこかで見たような気もする。

 それを思い出そうとしたとき、お兄ちゃんと目が合った。嫌な予感がして、ぼくはとっさにそらしてしまった。


「おい、人夢。なんだ。なんで、いま目ぇそらした」

「なんでもない」

「なんでもない?」


 突進してきたお兄ちゃんは、片手でぼくのあごを掴んだ。この口をすぼませるように力を入れる。


「この口がまだ嘘つくか」

「ひがうほん、うひよょふいたわへひゃなひもん」


 ひとしきりぼくの顔で遊んでから、お兄ちゃんは手を離した。

 さっきまではこの世の終わりみたいな顔をしていたのに、いまはもうげらげら笑っている。


「なんだって?」

「嘘ついたわけじゃなくて、ただ思い出せないだけって言いたかったの。ていうか、ぼくは、お兄ちゃんのオモチャじゃないんだよ!」

「なんだ、なんだ」


 そこへ広美さんが帰ってきた。

 お兄ちゃんを見つけると、広美さんはスラックスのポケットからなにかを出した。

 それはまさしく、ガイコツの指輪だった。


「これ、お前のだろう」

「あった! なんだよ、広美。どこにあった?」

「ガレージに落ちてた」


 お兄ちゃんは指輪を受け取った途端、ぴたっと動きを止めた。そして、善之さんとぼくは見ずに台所を出ていった。

 あいつの人騒がせはいつものことだと、善之さんは肩をすくめるに留まっていたけど、オモチャにまでされたぼくは納得がいかない。

 廊下でお兄ちゃんの腕を掴んで、その大きな体を捕まえる。そんなぼくたちを、庭からロクちゃんが見ている。


「その指輪、お兄ちゃんはずっと脱衣場を捜してたのに、なんでガレージから見つかるの」

「いいか、人夢。お前はなにも思い出さず、兄貴にはなにも言わず、黙ってホトケの道を行け」

「はあ?」


 ものすごくごまかされた感がある。

 ぼくはもう一度、お兄ちゃんの腕を捕まえた。


「なんだよ。もう、これのことはいいだろ」


 お兄ちゃんは面倒くさそうにため息を吐いた。

 そのとき、さっき善之さんが言っていたことを、ぼくは思い出した。


「お兄ちゃんて、胸の大きさで女の人を決めてるんだ」


 それは個人の好みだし、ぼくにはどうでもいいことなんだけど、なぜか口を衝いて出てきた。

 当然、なに言ってんだという目で、お兄ちゃんは見下ろす。

 ぼくは急に恥ずかしくなって、自分の部屋へ引っ込み、ベッドに突っ伏した。




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