素直になって



「七度二分か。きょうも学校は休みだな」


 次の日の朝、起きてすぐに熱を計ったけど、一清さんからくだされた結果は残念なものだった。

 肩を落とすぼくの横で、お兄ちゃんはのんびりとご飯を食べている。目が合ったら、お気の毒と言うように肩をすくめた。

 一清さんがぼくの背中をぽんぽん叩いて、朝ごはんは部屋へ持っていくからと言った。

 ……なにがなんでも学校へ行きたかった。もう少ししたら中間考査もあるし、しばらく勇気くんに会えていない。三日も休むとなると、やっぱり心配をかけてしまうと思う。

 本当を言うと、ゆうべ辺りに電話がくるかなと思っていた。

 欠席した初日は、さすがに勇気くんは遠慮すると思ったから、次の日ぐらいになにか声をかけてくれるといいなと期待していた。

 ぼくは、一清さんが持ってきてくれた朝ごはんを食べ、洗面所で歯を磨いてくると、またベッドへ横になった。

 勇気くんもいろいろ忙しいんだ。もしかしたら、きょうにしようと気づかってくれたのかもしれない。

 ベッドへ横になったものの、きょうは眠くならない。でも、あしたは絶対に学校へ行きたいから、とりあえず目をつむってみたり、本を読んでみたりした。

 そうやって、なんとか夕方までこぎつける。

 だれもいないからお昼のワイドショーをがっつり見たのは、ここだけのヒミツだ。

 四時を過ぎたころ、まずは広美さんが帰ってきた。ぼくの部屋へ顔を出して、だいぶよさそうだなと声をかけてくれた。

 きのうは四時過ぎに帰ってきたお兄ちゃんも、きょうは遅くなっているみたいだ。広美さんが夕ご飯の支度を終えた六時ごろにも、姿がなかった。

 今夜からは、ベッドの上じゃなく、食卓でご飯が食べられる。広美さんが並べてくれたおかずに、ほくが箸をつけようとしたところで、タイミングを図ったかのように、我が家の呼び鈴が鳴った。


「人夢。お前にお客さんだ」


 玄関から戻ってきて、広美さんはそう言った。

 とっさに勇気くんだと思って、ぼくは台所を飛び出した。

 しかし、玄関に立っていたのは、女の子だった。


「久野さん?」

「こんばんは、篠原くん。具合はどう?」


 私服だからか、制服のときともまた違う、女の子な雰囲気だ。

 久野さんは、ぼくを見上げてくすっと漏らすと、持っていたプリントを差し出した。


「学校からのお知らせと、篠原くんが休んでいたあいだのノートの写し」


 結構な枚数のプリントを受け取って、ぼくは首をひねった。

 久野さんは、うちのクラスの副委員長だ。だから、小林先生に頼まれて届けにきてくれたんだと思う。それなのに、こんなことを思うのは失礼かもしれないけど、なんで、委員長である勇気くんじゃないんだろう。


「あの、久野さん。これありがとう。ええと……」


 プリントから目を離し、久野さんへ視線をやった。すると、彼女が背にしているガラス戸に、センサーで点く門灯で照らされた人影が透けた。

 お兄ちゃんだ。

 勢いよく戸が開かれて、どこか虫の居どころが悪そうな顔が現れた。


「あ」


 と、久野さんが声を上げた。大げさに身を引いている。突然なお兄ちゃんの登場に、相当びっくりしたらしい。

 一方のお兄ちゃんは、それを気に止める様子もなく、ぼくの「おかえり」も無視して、無造作に靴を脱いだ。いつもの足音を響かせ、廊下を進んでいく。

 ぼくが視線を戻すと、久野さんは正面を見据えていた。表情は少し曇っている。それから顔を俯かせ、黙り込んでしまった。

 ……どうしたんだろう?

 ぼくは、声をかけるタイミングを探りながら、しかし、ぎょっとなった。

 パジャマのまんまだったのだ。

 ぼくは病人だし、いまはおかしくない格好だと思うけど、久野さんが笑っていたことを思い出すと、急に恥ずかしくなった。


「ほんと、これありがとう」


 一向に動く気配のない彼女に、ぼくは思い切って声をかけた。

 ようやく顔が上がる。けれども、久野さんは無言で背を向け、玄関の戸を少しだけ開けた。

 不意に振り返る。


「あ、そうだ。あたし、健くんから言伝て頼まれてたの。……人夢くんに謝っといてって」


 久野さんを、ぼくはただ見つめていた。

 健ちゃんがなにに謝ろうとしているのかも、すぐにはわからなかった。


「あの──」


 日曜日のことだとしたら、謝らなきゃいけないのは、面倒をかけたぼくのほうだ。だから、どういういきさつでその言伝てを頼まれたのか、久野さんに訊こうと思った。

 でも、できなかった。

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