六
薬のせいもあって、すんなりと眠りに落ちた。
どのくらいたったころか。なにかの音で、ぼくは目を覚ました。壁時計は、四時ちょっとすぎをさしている。
さっきの音は、台所のほうから聞こえた気がした。
その長い足を、よく食卓にぶつけるお兄さんたちの画が浮かんだ。
水を飲むついで、それがだれだったのかを確認しようと、ぼくはベッドを降りた。
しかし、ドアを開けようとして、手が止まった。こっちへ近づいてくる足音がお兄ちゃんのものだったから。
それが途切れ、どうしたのかと息を呑んでいると、目の前のドアが軋んだ。開けられると思い、ぼくはとっさに足を引く。
次に聞こえたのは、階段を上がっていく足音だった。
ぼくはドア開け、すでに足しか見えなくなったお兄ちゃんを追った。
「あの……っ」
手もついて駆け上がったのに、途中で思いっきり踏み外してしまった。
あまりの痛さに声も出ない。ぼくはその場にうずくまり、強打したすねをさすった。
そこへ、ほとほと呆れ果てたというようなお兄ちゃんの声が降ってきた。
「なにしてんだよ。風邪の次は骨折なんて笑い話にもなんねえぞ」
「……うう」
内心で、ほっともしていた。シカトされると思っていたから。
「立てるか?」
お兄ちゃんの手が差し出される。
ぼくは首を横に振った。
一瞬、お兄ちゃんの眉間にしわが寄る。
「風邪を移しちゃいけないと思って」
「は?」
「あんまり近づいたらダメかなって。大事なテストがあるって聞いたから」
ぼくから視線を外し、お兄ちゃんは黙り込んだ。そのまま腰を上げ、階段の向こうへと消える。
「お兄ちゃん、ごめんねっ」
ぼくは声を張り上げた。なんとか残りの階段を進む。
もうドアノブを掴んでいたお兄ちゃんは、その手で髪を掻き上げながらこっちを見た。
「あ?」
「それとありがとう」
「いいって、もう」
「よくないよ。ぼく、お兄ちゃんにひどいこと言ったし、廊下で気持ち悪くなったとき、すごくよくしてくれたのに、お礼の一つも言ってなかった」
「わかった。わかったから、早く部屋に戻って寝ろ」
お兄ちゃんは、まずため息をついた。それから、思い出したように、肩にかけていたカバンを探り始めた。
やがて取り出したものをこっちへ投げる。
落としちゃいけないと、ぼくは必死に手を伸ばした。
かろうじて手のひらに収まったのは、見たことのある紙袋。コンパクトなサイズで、ひっくり返して見たシールには、想像した通りの店名が入っていた。
「これって……」
「さっき次郎の店に寄ったら、それをお前に渡してほしいって頼まれた。お見舞いだと」
「でも、ぼくが風邪を引いてること、なんで次郎さんは知ってるの?」
「さあな。兄貴が言ったんだろ」
お兄ちゃんは自分の部屋へと引っ込んだ。
階段を下りながら、ぼくは紙袋を開いた。
それにしても、お兄ちゃんはなんの用があって次郎さんのところへ行ったんだろう。このあいだの万年筆のお礼でも言いに行ったのかな……。
「わあ。大好きなお菓子ばっかりだ」
さすが次郎さん。ちゃんとわかってくれている。
でも、体調はまだ万全じゃないから、あとのお楽しみにと取っておく。
ぼくは自室へ戻ると、大切に机の引き出しにしまった。
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