三
思いのほか、日陰が心地よかった。
木でできた長椅子に、ぼくはどっぷりと腰を落ち着けた。
自然とため息が出る。ここまで来るのに、ぼくはほとんどなにもしてないのに、ひどく疲れた感がある。
「──ねえ、人夢くん。聞いてる?」
「……え?」
「なんか、きょう反応薄いね。いきなりため息つくし」
健ちゃんを見ると、待ち合わせにぼくが遅れたときでさえあった笑みがなくなっていた。
ぼくはさすがにしゃきっとなって、木のテーブルに額を当てる勢いで頭を下げた。
「ごめん」
「いや。……ああ、まあ。中静(なかしずか)さんの本を、俺も読み始めたよってハナシだったんだけど」
「中静さんて──」
と、ゆっくり顔を上げると、健ちゃんはもう笑顔になっていて、ぼくはほっとした。気づかれないように、今度は小さく息を吐く。
「前に人夢くんが好きだって言ってた作家さん……だよね?」
そのアクティブな見た目に反し、健ちゃんは読書好きというのを、ぼくは思い出した。
「うん。健ちゃん、なにを読んだの?」
「とりあえず、このあいだ最新作を読み終えて、次はなににしようかなって。オススメとかある?」
ぼくは、うんうんと首を動かした。テンションも上がる。それから、中静さんの本について、あれやこれやと語りまくってしまった。
相手も同じところが好きだと限らないし、いつもなら遠慮気味に話すんだけど、興味深そうに健ちゃんが聞いてくれるから、ついついマニアックなことまで喋ってしまった。
ひとしきり話したところで、健ちゃんがぽつりと言う。
「人夢くんてさ、意外と作家さん肌っぽいよね」
「え?」
「本の虫が作家になる第一歩って言うじゃん」
「そうなの?」
「自分で書いてみようとか、人夢くんは思ったことない?」
ぼくは首を横に振った。小説なんて、大人が書くものと思っていたし、健ちゃんに訊かれるまで、作ろうという気さえあれば、いつからでもだれでもできるものと気づかなかった。
よくよく考えてみると、紙と鉛筆さえあればできるお手軽な趣味だ。もちろん、アイデアも文才も限りなく必要だとは思うけれど。
「ちなみに俺はあるよ」
「ウソっ」
「何枚か書いて、すぐに挫折しちゃったけど」
健ちゃんは、ちょっと恥ずかしそうに肩を竦めて笑った。ぼくと視線を合わせ、笑いの残った声で、また唐突に訊く。
「人夢くんは、将来なにになりたいとか、決まってる?」
「ううん。とくには……」
「じゃあ、高校はどこに行こうとか、それは決めてる?」
ぼくは瞬きを繰り返した。ちょっとした焦りも感じる。
恐る恐る、健ちゃんの顔を窺った。
「もしかして……もう決めてるの?」
「まあ、一応」
ぼくは、とっさに勇気くんの顔を思い浮かべた。
それを読んだかのように健ちゃんが言う。
「そういえば、勇気は『光明』に行くって言ってたな」
ちょっと不安に思っていたことが現実になった。
健ちゃんが口にした「光明」は、私立の男子高で、前に勇気くんと一緒に行った平野神社の近くにある。全寮制で、野球が強いことでも有名だ。
男子校なら、ぼくでも問題ないんだけど、肝心の偏差値があり得ないくらい高い。それはそれは、頑張ろうかという気を起こさせないほどに。
「さてと。そろそろ昼メシ食おっか」
大きく伸びをした健ちゃんは腕時計を確認して言った。
素晴らしい景色と鳥のさえずり。長閑なロケーションの中で食べるご飯はさぞかしおいしいだろうと思ったけど、あまり食欲は湧かなかった。
それでも、食べないわけにはいかない。無理やりサンドイッチを口に運んで、あとはミルクティーで流し込んだ。
健ちゃんの話に耳を傾けつつ、ぼくはずっと勇気くんのことを考えていた。
きょうはなにをしているんだろう。
……お義父さんのお店に、お兄ちゃんといるはずのぼくを気にしてないといい。
後ろめたさが鋭さを増し、ちくりと胸の奥を刺した。それに引き起こされるような悪寒もした。
「ところで、人夢くんはこのあとどこに行きたいとかある?」
ひどくなる一方の寒気に背を丸め、ぼくは自分の肩を抱いた。ごまかしの効かない体調の変化だった。ただ首を横に振って、いますぐ帰りたいと健ちゃんに訴えた。
ぼくの顔を見て、普通じゃないと健ちゃんも思ったらしく、素早くゴミを片づけ、自転車を引っ張ってきた。
頭は熱くてぼうっとしているのに、背中は寒くて変な感じだ。
健ちゃんの自転車が田んぼの一本道に差しかかると、今度は吐き気との闘いだった。
だれが見ているなんてのも構っていられず、健ちゃんの背中に額をくっつけ、早く家に着いてと願った。
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