ほうれんそう
一
昨夜に観たニュースでも、今朝に観た情報番組でも、この土日の天気予報は晴れマーク一つだった。
朝食をすませたあと、ぼくは早速、お風呂場の掃除を始めることにした。
脱衣場からの戸を開け、室内の小さな窓に目をやる。すでに開け放たれてあったそこからは、となりの家と、我が家の柿木が見える。木木のあいだから秋晴れものぞめた。
きょうは一清さんは休日出勤でいないし、広美さんも仕事でゆうべから帰ってきてない。善之さんは、そろそろ帰ってきてもいい時間だけど、まだいないみたいだ。お兄ちゃんは、もちろん寝坊している。
浴槽を洗い終えるとぼくは一旦背筋を伸ばし、今度は床に取りかかった。四つん這いになってブラシで磨く。泡が立てば立つほどきれいになる気がして、いっぱい手を動かした。
隅々まで洗い終え、カランをひねる。その途端、勢いよく水が降ってきた。慌ててカランを止める。
なにが起きたのか、しばし放心状態でいたけど、くしゃみで我に返った。カランの切り替えがシャワーのままだったのだ。びしょびしょのシャツを脱ぎながらぼくはお風呂場を出た。
最悪だ。
朝の天気予報のあとに観た占いではたしか「かに座」は一番だった。
バスマットを引き、とばっちりを受けたハーフパンツも脱ぐ。ラックからバスタオルを取って、まずは髪を拭いた。
「あれ?」
脱衣カゴのそばになにかが落ちている。ぼくはしゃがみ込み、それを手にするとしばらく見つめた。
シルバーの指輪だ。ガイコツの。
本当ならそんなおどろおどろしいもの、持つのも嫌なんだけど、これに限っては格好よさのほうが勝っていた。ごつごつしてて、厚みも重みもある。
ぼくは思わず指にはめてみた。
……むむ。中指でもぶかぶかだ。
そこへ、大きな足音が、耳に飛び込んできた。がらがらと、無遠慮に脱衣場の戸が開かれる。
家にいるのは、ぼくとお兄ちゃんの二人だけ。だから、だれが来たのかわかっていたけど、ぼくを見下ろす目の大きさは予想外だった。
「なんだ、お前か。つうか、風呂?」
「え?」
お兄ちゃんに言われて、ぼくは自分をかえりみる。そういえば「パンイチ」だった。
しゃがんだまま肩をすくめ、お兄ちゃんを見上げた。
「ち、違うよ。掃除してたらシャワー被っちゃったんだ」
「ああー。そりゃあ、ご苦労なこって」
くっと喉で笑われた。
どうしてこうも一番見られたくない人に失敗が知られてしまうんだろう。
ぼくは腰を上げることもできず、入り口から動こうとしないお兄ちゃんをただただ睨んだ。
「着替えに行くんだから早くどいてよ」
「俺のことはお構いなく」
お兄ちゃんはにやにやしながら言った。
……だから、その笑みがほんと嫌なんだってば。
ぼくは頭のバスタオルを押さえ、意を決して立ち上がる。お兄ちゃんと戸枠との隙間を狙い突進した。
しかし、一歩踏み出たところで足が止まった。お兄ちゃんが、意地悪く体をずらしてきたからだ。
「なんでっ」
「さあ?」
パンツ一丁なのにも拘らず、ぼくは抗議の足踏みをした。
本当に。どうして。意味のない意地悪を、いちいちするんだろう、この人は!
ぼくのことが好きじゃないからといえばそれまでだ。……それまでだけど、お兄ちゃんはいつも愉しげに笑っている。
「どうした。終わりか」
「ていうか、ぼくは全然面白くないんだけど」
「あっそう」
と、視線は外すものの、どく気はこれっぽっちもないらしい。
ぼくは今度、隙間じゃなく、お兄ちゃんの体へ向かっていった。自分なりに無理やり体をねじ込んでみる。
なのに、呆気なく弾かれてしまった。
「だからさっ。なんで?」
「さあ」
「……うう」
こうなったら仕方ない。奥の手だ。かなりキケンな「諸刃の剣」作戦だ。
ぼくはその構えをとった。
「言っとくけど、俺に『こちょこちょ』は効かねえぞ」
「え? ど、どうしてわかったの」
「だってお前、こうしたじゃねえか」
お兄ちゃんがあの構えをとる。両手の長い指を縦横無尽に動かし、にっと笑った。
ヤな予感がする。
「ま、待って」
「返り討ちにしてやるよ」
「ちょっと待って!」
と叫んで、一目散に逃げ込んだ先はまだ泡でいっぱいのお風呂場。踏み入ってすぐ足が滑った。
お兄ちゃんの鋭い声が上がる。
お尻か背中を絶対に打つとぼくは覚悟したけど、とくになんの痛みもなく、どこかに収まった。
お兄ちゃんのあごが見える。シャツの襟ぐりも。ぼくは目をぱちくりさせた。
「バカ。あっぶねえ……」
床に座らされてから、やっと状況が呑み込めた。背中から倒れそうになったぼくをお兄ちゃんが助けてくれたんだ。
ごめんと謝って、だけどすぐに口を尖らせた。となりにしゃがんだお兄ちゃんを見据える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます