昇進するってマジですか? その3

 俺の袖をつまんでいる小鳥遊。


「……あ、あの……総務に行って、話をしてきました」


 小鳥遊の言う「話」っていうのは、小鳥遊の退職の事に違いない。

 ウチの会社の婆自己都合退職のは、1ヶ月以上前に申し出る規定があるからな。

 その事の相談に言って来たってことなんだろうけど、


「1人で大丈夫だったか? 俺が一緒に行ってやるって言っておいたじゃないか」


 俺に対しては、ごくごく普通に接することが出来るようになったとはいえ、小鳥遊の重度のコミュ障はいまだ健在なんだ。

 東雲課長とか、一部の人相手にはずいぶん緩和されてきたとはいえ、大半の社員相手には相変わらずコミュ障バリバリな小鳥遊だけに、俺が一緒に行ってやるって言っておいたんだが……


 そんな事を考えている俺の前で、小鳥遊は、


「……こ、これくらい出来るようにならないと……お、奥さんになるんだし……」


 絞り出すようにそう言った。

 上目使いで俺を見つめているその表情には、疲れの表情と一緒にやりきった満足の表情も浮かんでいた。


 そっか……


 小鳥遊も、自分なりに頑張ろうとしてくれているんだな。

 思いっきり抱きしめてしまいそうになる気持ちを抑えながら、小鳥遊の頭をワシワシと撫でてやった。


「あぁ、ありがとう。お疲れだったな」

「……こ、これくらい、大丈夫……」


 俺の言葉に、はにかみながらも嬉しそうに笑顔を浮かべる小鳥遊。


「で、1ヶ月後に退職になるのか?」

「……うん……ただ、出来ることならもっといて欲しいって、言ってもらえて……」

「あぁ、そりゃそうだよな。お前って、総務への昇格人事の話があったくらいだし」


 あの時は、東雲課長直々に話があったんだけど、小鳥遊が自分で断ったんだよな。

「俺の部下でいたい」って言って。

 社会人なんだし、我が儘と捉えられても仕方がない理由なんだが……小鳥遊の場合コミュ障がひどいってのもあって、その事情を人事側が鑑みてくれてお咎めはとくになかった。

 まぁ、難あり物件の小鳥遊を俺に押しつけたっていう裏事情があったからだとは思うんだがな。


「そこに関しては、お前の好きにすればいいよ。くれぐれも無理はするなよ」

「……あ、ありがとうございます」


 耳まで真っ赤になりながらペコリと頭を下げる小鳥遊。

 そんな小鳥遊と一緒に、俺は自分の部署へと戻っていった。


 ちなみに……


 退職理由は、

『一身上の都合』

 ってことにしたらしい。

 俺的には『寿退社』でも問題なかったんだが、小鳥遊的に恥ずかしすぎたらしい。


◇◇


 この日の午後は、ちょっと仕事にならなかった。


 俺の後任の人が早速やってきてその場で引き継ぎがはじまったもんだから、その対応で午後が全部潰れてしまった。

 とはいえ、元々暇な部署な上に、常に仕事はきっちり終わらせていたし、書類的にもすべて完璧に処理していたから問題なく話を終えることが出来た。


 最初は挨拶に来ただけだったんだけど、


「なんなら、今から引き継ぎします? 俺は問題ありませんけど」


 って言ったら、俺の後任さんってば目を丸くしてたんだよな。

 俺より一回り近く年下のヤツだったけど、


「武藤係長って、仕事出来るんですね……」


 って、意外そうに呟かれたのには思わず苦笑しちまったけど、俺は別に仕事が出来なくて閑職に追いやられていたわけじゃないからなぁ。

 頑固が行き過ぎて取引相手の会社の無理難題を前にして大喧嘩しちまった、その懲罰人事だったわけなんだが、それがいつの間にか、

『あいつは仕事が出来なくて……』

 とか、

『人間的に問題が……』

 とか、ホント、あること無いこと尾ヒレ背ヒレ付きまくりで吹聴されまくっていたんだよな。

 まぁ、相手会社と大喧嘩した時点で人間的に問題があったのは事実なんだがな。


「……大まかな流れはこんな感じです。で、今日の内容を来週までに文書にまとめておきますんで」

「は、はい。わかりました。よろしくお願いします」


 そんな会話を最後に、今日の引き継ぎは無事に終了した。

 大きな問題もなく話が進んだんだけど、一点だけ……


「……それで、小鳥遊が今月いっぱいで退職しますんで。有休消化の関係でもうじき出勤しなくなりますんで、対応の方よろしくお願いします」


 って伝えた時、


「あぁ、あの小鳥遊さんですね。別に問題ないと思いますので」


 後任さんってば、サバサバした口調でそう言ったんだよな。

 小鳥遊ってば、東雲課長関係の人たちには一目置かれたとはいえ、俺以外の相手とはまともに話が出来ないせいで、あんまりよく思われていないんだよな。

 働きぶりを見てみれば、小鳥遊がいかに有能かってのが実感出来るし、今の俺の部署の業務において、小鳥遊が占める割合が相当でかくなっているんだけど、それに関しては実際に体験してみないと理解出来ないだろうし、まぁ、それに関しては他の社員に頑張ってもらうしかないだろう。

 小鳥遊は訳ありの中途採用だったから、人員補填はまずないだろうしな。


 ま、小鳥遊のようにコミュ障を除けば、これほど仕事が出来る人材が他にいるとは思えないんだが……ま、後任さんが問題ないって言ってるんだし、気にすることはないだろう、うん。


◇◇


 引き継ぎの後、一応東雲課長に報告をしておこうと思ったんだが、今日は接待ですでに会社を出たあとだったんだよな。

 多分、新しい部署の関係の接待なんだろうけど、相変わらず忙しい人だな……


 そりゃ、ディルセイバークエストにログインする時間もとれなくて当たり前というか……後で、労いのメールでも送っておくか。


 帰りの電車の中でそんな事を考えていた俺。


 小鳥遊は先に会社を出ている。

 相変わらず、定時きっかりに会社を後にする小鳥遊なんだけど、最近は、

「お、お先に失礼……します」

 って、しっかり挨拶をして帰るようになっている。

 以前の小鳥遊は、ペコリと頭を下げるのが精一杯だっただけに、すごい進歩だ。

 その小さな変化に、周りのヤツらがあんまり気がついていないのがちょっとアレなんだが……これに関しては、俺が気がついていれば問題ないだろう。


「今夜も晩飯を作ってくれているんだろうけど、アイツの飯ってばホント美味いんだよな」


 なんでも、あの昼ドラ婆さんが師匠らしいんだけど……あの婆さんってばそんなに料理が上手いんだな。

 ゲームの中ででくわしたのにはびっくりしたけど、コミュ障の小鳥遊のケアのためって意味合いもあったんだろう。

 ……もっとも、それ以前からプレーしていたみたいだし、自分の趣味の世界に引き込んだ説も以前有力ではあるんだが……


 そんな事を考えながら、電車を降り、家路を急いだ俺。

 部屋の扉を開けると……すっごく良い匂いが漂ってきた。


「ただいま」

「お帰りなさいませ婿殿」


 ……って……


 俺を真っ先に出迎えたのは、誰あろう、あの昼ドラ婆さんだった。

 すっかりお馴染みの和装を身につけている婆さんは、割烹着姿で俺を出迎えてくれたんだが……いや、なんで居るんだ?


「ひよりんから相談されたのですよ。殿方を満足させる料理をもっと教えて欲しいと」


 俺の心を見透かしたかのように、にっこり微笑む婆さん。

 まぁ、婆さんとはいえ、年齢は俺と大差ないんだけどな。

 そんな婆さんは、


「それよりも婿殿、ひよりんから聞きましたよ、プロポーズしたんですって? 婆として、そのあたりの事をもっと詳しく、細かく、一字一句漏らすことなくお聞きいたしたいのでございますが」


 なんか、鼻息荒くにじり寄ってきたんだけど……あんた、それどう考えても自分の趣味丸出しだろう?

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