第2話 模範的大学生の1日

私こと丸山は、片田舎の情報系大学に通う3回生である。自宅から大学までは徒歩10分程度といったところで、自転車がなくとも困らない距離にある。おおよその大学生はこの時期になると、単位はほぼ足りていて、あまり授業がないため1限から出席する必要はない。そして私も本日1限には出ていない。ちなみに授業はバリバリあった。まあ慌てても仕方ないので、ゆっくり2限から出席することにした。

大学構内に入り、講義棟の廊下を歩いていると、よく聞き慣れた声が聞こえた。

「おす」

私の数少ない友人、中田である。

「おう、1限どうだった?」

「出てないよ」

いつも冷静沈着であり、胆力のある肝の据わった青年、と一見思われるが、実際は少し異なる。冷静というより、何も考えていないため口数が少なく、ボーっとしているのだ。肝が据わっているのは確かかもしれないが、自分の興味以外のことはギリギリまで手を抜く悪癖がある。その結果、落とした授業の数は両手の指には収まらなくなった。そして外見をみると、癖ひとつない長くストレートな髪を持ち、色白であるため、清潔感があると思いきや、自宅がとんでもなかった。至る場所にゴミ袋があり、廊下からリビングまで足の踏み場がなく、シンクは赤サビだらけ。年中常設されたコタツの上には数本のブランデーと、なぜか使いかけのマヨネーズが転がっていた。そんなゴミ溜めの中で私と彼ともう一人で再試の勉強をしたことは忘れない。なお、その再試勉強は途中で大乱闘ゲーム大会に変わったため、3人仲良く単位を落とすことになった。

「おやおや。いいのかね、こんなことで」

「まあね」

「開き直ってんな」

講義室に入ると、さらに見知った顔があった。藤岡である。この男こそ、先述の3人目の男である。

「おはよう、ダメじゃないか1限サボっちゃ。学生の本分は学業じゃないかね」

顔を見るなり嫌味を言ってきやがった。

「お前は出席が危ういから出ざるを得ないだけだろ」

「えへへ」

「なに笑ってんだ」

この男は私がこれまで会った人間の中で5本の指に悠々入るレベルの悪人である。もしかすると1本でもいいかもしれない。中田とは対照的に髪は短く片側に流しており、顔面は濃いめのイケメン俳優といったところか、凛々しい眉、切れ長の目、見た目は至って爽やかな好青年である。さらに群を抜いた運動神経を持ち、高校時代には陸上の100mだったか200mだったかでインターハイに出場している。そしてさらに憎たらしいことに、勉強もできるのだ。2回生のころ、フーリエ解析とかいう、数字の縦横の並びをいじりつづける、なにが楽しいかさっぱりわからない授業の試験で満点を叩き出した。なぜいまだ単位を取りきれていないかというと、要因としては7割が出席不足、3割がそもそも受けている授業の不足であると思われる。しかし、数々の美点を持ちながら、こいつはそれらがチャラになるほどの性格をしている。こいつは人の気持ちがわからないのだ。昔々、私がまだ1回生だったころ、3ヶ月だけ彼女がいたことがあった。その3ヶ月の事の顛末だけ話すと、その彼女は私の2つ上、つまり当時3回生だった先輩に無残にも奪い去られることとなった。そのことを酒の席でうっかり藤岡に漏らしたところ、こいつはどこぞの悪趣味なおもちゃ袋のように笑い転げ、それを肴に日本酒一升を飲み干してみせた。そのことを私はこの先絶対に許すつもりもないし、いつか呪いでくびり殺そうと思っている。そしてさらに許せないのが、こいつには彼女がいるということ。容姿に限らず外面だけはいいから、うっかり罠にはまってしまった女性がいたのだろう。かわいそう。

我々はまったく同じ授業を取っているので、その後の授業をしっかり流し、いつものルーティンである、中田宅における大乱闘大会に勤しんだ。100戦ほどした後、中田が冷蔵庫から大量の缶ビールとチューハイを持ってきたので、机の上にあったブランデーとともに、そのまま酒盛り大会となった。

3人それぞれ程よくアルコールが入ったところで、

「女性を評価する上でもっとも重要な要素ってなんだかわかる?」

と、いきなり藤岡がにやつきながら、さも自分が女を知り尽くした女博士のように聞いてきた。

「なんだ急に」

「いやね、丸山くんも中田くんも彼女いないでしょ?だから知識と経験豊かな僕が教授してあげようかなって」

なんと嫌味ったらしいやつだ。

「余計なお世話だ。そもそも俺は彼女という存在を必要としてない。俺に彼女がいないのは彼女を作ろうとしてないからだ」

「おほー、さすが彼女寝取られたやつは言うことが違うね」

この野郎…

「ほらほら、がんばって考えてみてよ」

しばらくしたところで中田が口を開いた。

「うん、やっぱりスタイルだな」

そうだった、中田もどうしてスケベであった。

「そっかそっか、中田くんおっぱい大好きだもんね」

「もちろんだよ」

男は基本的に9割のスケベと1割の阿呆で構成されているが、この中田は、もし世界スケベ選手権大会があったら、東洋チャンピオンになれるほどの逸材である。つまりどこにだしても恥ずかしくない変態だ。ちなみに私はスケベであっても変態ではない。紳士である。勘違いしないように。

「確かに、それも重要な魅力の1つだね!丸山くんはなんだと思う?」

「考えるまでもないわ、答えは顔」

「さすが丸山くん、まったく熟してないさくらんぼのような答えだ」

頭にきたので、手元にあったマヨネーズで思いっきり藤岡の頭をしばいた。パカッと乾いた音が鳴ったがそれでも藤岡はヘラヘラ笑っている。

「あはは、怒られちゃったよ」

少ししかスッキリしなかったので、私は缶ビールを仰いだ。一呼吸おいて

「で、答えは何なわけ?」

と藤岡に尋ねる。

「それはね…」

私と中田は黙って次の言葉を待つ。

「そのうち真の恋愛をすればわかるよ」

やっぱり頭にきたので、コタツの上にあったブランデーの瓶を持ったが、まあまあ、と中田になだめられた。

「そもそもさ、2人は浮いた話とかないの?気になる女とかさ」

ふと先日の喫茶店のことを思い出してしまった。

「浮かれるような話は一つもないな」

「俺も」

片田舎の情報系の大学なだけあり、男女比は地獄の9:1。男子からすれば彼女を作るのは至難の技である。ともすれば、意中の女性を見つける事すら難題となってくる。

「やれやれ、勉学も学生の本分だけど、青春も学生の本分だと思うけどねー。枯れた青春してるねえ」

そんなこんなで酒盛り大乱闘の会はお開きとなり、私と藤岡はそれぞれの帰路についた。1人になると、またも喫茶店でのことが頭によぎる。実のところ、あれ以来どうにも脳裏から離れづらい。あのときの店員さんの働いている姿は、どこを切り取っても綺麗だった。そんな安い言葉しかでてこないが、本当に綺麗だったのだから仕方ない。とはいうものの、この店員さんへの酩酊状態を恋と認めてしまっては、自分が薄っぺらくなるような気がして、なにか嫌だった。これまで誰かを好きになったことはたびたびあったが、初対面の相手を好きになったことはなかった。なのに今は、心臓が脈打つ感覚を指先で感じる。少しクラクラするし、思考もまとまらなくなってきた。こんな感覚ははじめてなような久しぶりなような気がする。そこでわかった。この感覚がなんなのか。そしてもう一つ思い出した。私は酒に強くない。

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