第33話 いなくなった黒騎士(4)

 黒騎士がいなくなって早数週間。

 リコラは毎朝の日課のように、黒騎士を探し続けていた。それでも、未だ有益な情報は得られていない。

 

 この日も項垂れて小屋へと戻ったリコラは、重々しくため息を吐いた。

 モンスター達は口々に知らないと言う。黒騎士が帰ってくる気配もない。


「辛気くさい空気ね」


 カウンターに突っ伏していたリコラは、その艶やかな声に顔を上げた。

 ドアを開けて入ってきたのは、リコラが最も頼りにしているモンスター、ナーガだった。ダンジョンを仕切る中ボスであり、黒騎士のことも良く知っている。


「ナーガさん、何かありましたか?」

「まぁ、ちょっとね。悪いんだけど、ついて来てくれる?」

「は、はいっ」


 リコラが反射的に返事をすると、オウムモドキは少し面倒そうに瞼を半分閉じた。

 黒騎士がいない生活にも慣れて来たところだ。リコラの悲し気な雰囲気を悟りながらも、オウムモドキは「このままでいい」とすら思い始めている。


「アイツに関する話なのかぁ?」

「それはついて来てからのお楽しみってコトで。さ、行きましょ」


 渋るオウムモドキを、リコラは「一緒に行こうよ」と振り返った。急くように足踏みを続けるリコラの心情は、想像に易い。

 藁よりも遥かに頼りになるナーガなのだから、縋るのは当然だろう。


 やや間を置いてから、オウムモドキは「しゃあねえなぁ」と重い体を浮かせた。


「なぁ、どこに行くのかも教えてくんないのか?」


 ナーガの先導に従い、リコラの横に並ぶや否や、オウムモドキが問いかける。


 彼が危惧するのは、黒騎士との再会を嫌うがゆえ、だけではない。

 リコラをぬか喜びさせるのではないか、更に落ち込ませることにはなるまいかと、あらゆる不安を抱えるからこそだ。


「黒騎士のヤツが見つかってんなら、もうちっと朗報! な感じで来るんじゃねえのか?」

「うるさいわね。そもそも、私はあのデカ鎧、好きじゃないし」

「じゃあ一体なんだってんだよ。気味悪いっての。なぁ」


 オウムモドキの呼びかけに、リコラはへらっと薄く笑う。妙に笑顔が強張るのは、心構えが出来ていないからだ。

 良い話ならいい。しかし、黒騎士にまつわる悪い話だったなら、自分はどうなってしまうだろう、と。


「はい、お疲れ様」


 ふいに、ナーガが足を止めたのは、彼女が担当する中ボスのエリアだった。

 勇者が訪れれば戦場と化すこの場所も、今は閑散とした森の奥。モンスターにとっては住み心地の良さそうな地だ。


 まさかここに、とリコラが忙しなく辺りに目を配っていると、傍でゴトンッと何かが落下した。


「え……」


 音を振り返ったリコラの目に映ったのは、灰色の石像。羽を広げてリコラの隣を飛んでいた、オウムモドキの姿と酷似している。


 この目下の光景を、瞬時に理解するのは困難だった。

 唖然として立ち尽くしたリコラは、ナーガに腕を掴まれてハッと顔を上げる。「どうして」と一言、口から出なかったのは、ナーガの視線がリコラを鋭く刺したからだ。


「考えなかった? あのデカブツがいなくなった今、雑魚になったアンタを狙うモンスターがいるかもって」


 初対面の日を思い出す、ナーガの心無い声音。

 華奢に思えていたナーガの腕は乱暴にリコラを引っ張り、勇者のいない表側へと放り出した。

 尻餅をつき感じた鈍痛が、リコラにようやく恐怖を運んでくる。肌を刺すような痛みは、引っかかった木の枝と、敵を見るナーガの目だ。


「相談員とかいって、結局私たちにルールを押し付けるだけ。そんな邪魔者を排除するには、丁度良い機会ってわけ」

「そ、そんな、嘘です……」

「ルールを守らない人間も、会いに来ない男も、力が無いくせにイキがる餓鬼も。皆いなくなればいいのよ」


 リコラの腰ほどある太い蛇の胴体が、地面を抉る勢いでムチを振る。

 どしんっと響く地鳴りに、顔を覗かせていたモンスターたちが一斉に身を隠し、リコラはびくっと身を縮こまらせた。

 日頃鍛えている勇者ならともかく、リコラなら一溜りもない。それこそ、石化されて叩き壊されれば一巻の終わりだ。


「ち、違う、だってナーガさんは……」

「違くない。私はもともとこうだった。忘れたの?」


 冷ややかなナーガの目を、リコラは確かに知っている。初めて対面した時、人間や勇者を見限ったナーガは絶望の末の怒りを纏っていた。

 しかし、ここまで恐ろしくはなかったはずだ。あの時と今。違いの中に何かを見出そうとしたリコラの思考が停止する。


 あの時と今の決定的な違いは、黒騎士の存在だ。リコラは黒騎士を盾に、守られていたから恐れなかったのだと。


「だ、ダメです、こんなことしたら、ナーガさんが……」

「私が何? どうせナーガの代わりなんていくらでもいる。モンスターなんて、所詮そんなもんよ」


 リコラはぶんぶんっと首を横に振った。

 ナーガがいなくなれば、別の中ボスが君臨するのかもしれない。それでも、リコラにとってのナーガは彼女ただ一人だ。

 強い力を持ちながら、自分なりの考えを持ち、一人の男性に恋をした、美しいモンスター。


「さようなら可哀想な相談員さん」


 ヒュッと空を切る音。

 最後に見たのは振り上げられたナーガの尾と燃えるような赤。

 リコラはきつく目を閉じ、想像を絶するであろう衝撃を待った。




 数秒にも感じる一瞬。どんっという衝撃音を聞いたリコラの体は、跳ぶでも弾けるでもなかった。

 ある一定の打撃値を超えると、あらゆる感覚を失うのかもしれない。そんなことを考えながら、恐る恐る、片目を薄く開く。

 ぼんやりとした白んだ視界に見えるのは、黒い塊。黒よりも黒く、それでいて鮮やかな色彩を持つ、厳かな背中。


 夢か現実か。考えるよりも早く、リコラの足は前へと踏み出していた。


「黒騎士さん……!黒騎士さん、黒騎士さんっ」


 叫び、足をもつれさせながら、リコラは目の前の鎧に飛び込んだ。

 固く、分厚く、大きな体。僅かな身動ぎの後、肩越しに振り返った赤が穏やかなに明滅すると、リコラは大好きな黒騎士だと確信した。


 角張った鎧が、腕に頬に、体に食い込むのも気にせず、リコラはぎゅうっと黒騎士を抱き締める。

 聞きたいこと、伝えたいこと、たくさんあったはずなのに、今は何も思い浮かばない。

 安堵と歓喜の涙が頬を伝うと、黒騎士の指がそれを掬い取った。


「な、なんだあ? 何があったんだぁ?」


 そこに飛び込む、間の抜けた声。

 リコラがハッと黒騎士の肩越しに向こうを見やると、表裏の境となっている木々の隙間からオウムモドキが飛び出してくるのが見えた。


「え、オーちゃん……?」


 石化したはず、と目を見張るリコラは、同時にナーガの肩を掴み抱き起こすユージンの存在に気付く。

 ユージンは「良かった」とため息混じりに呟くと、リコラに向けて普段と変わらない笑みを見せた。


「リコラちゃんに怪我なく、ナーガの作戦が成功したみたいだね」


 夢でも見ているのか、と。リコラは思わず自分の頬を軽く抓った。当然のように連動した痛みを感じる。

 どうやら夢心地なのはオウムモドキと黒騎士も同じらしく、オウムモドキは顔を大きく傾けたまま静止し、黒騎士はリコラとナーガとを顔で行き来した。


「ナーガが連絡を寄越してきたんだよ。黒騎士がいなくなって、リコラちゃんが落ち込んでるって」

「いったた……。全く、容赦なく体当たりしやがったな。私が提案したのよ、デカ鎧を誘き出すには、アンタの危機が一番だって」


 黒騎士の一打を体で受け止めたナーガは、顔を引きつらせて荒っぽく吐き出す。

 それでも呆然から脱せないリコラに、ユージンが普段と変わらない声音で解説を始めた。


 きっかけはナーガからの電話。

 それで状況を知ったユージンは、「黒騎士を誘い出す作戦」を実行する気でいるナーガに待ったをかけた。

 黒騎士は心の動きに敏感だ。作戦だと悟られれば出てこないだろう。かといって、ナーガが本気で人間の少女を襲ったなら大事件だ。

 その作戦は最終手段として、暫くは様子を見ること。実行する場合には、必ず黒騎士が出て来る状況を作ること。そして、事を見守るためにユージンが控えていること。

 この条件のもと、ナーガが悪を演じたのだと。


「ヒェ……じゃあ、やっぱりオレ、また石化させられてたのか! なんかおっかしいと思ったんだ!」

「舞台を作るためにね」


 オウムモドキの石化を解いたのは、事の流れを知っていたユージンだ。

 リコラは益々唖然とし、ぽかんと口を開いたまま黒騎士を見上げた。


 黒騎士は、しゅんと頭を垂れ下げている。まさかここまで多くを巻き込むことになるとは思わなかった、と困惑しているようだ。


「黒騎士さん、私に気を遣っていなくなったって、本当なの?」


 リコラの問いに、黒騎士の瞳がぼやっと膨らむ。嘘が苦手な彼が見せる、肯定の合図だ。

 嫌われたわけじゃない、呆れられたのでもない。一つ、二つ、胸の奥につっかえていた不安の核が消えていく。

 手、胴体、肩、頬。リコラは確かめるように黒騎士に触れ、すうっと大きく息を吸い込んだ。

 

「……黒騎士さん、私のパートナーになってください」


 そうして告げるのは、今まで明らかにしなかった二人を現す言葉だ。


「なんでもいい。家族でも、恋人でも、友達でもなんでも。ずっと、一緒にいてください」


 ほんのりと膨らむ赤の瞳を見つめ、リコラはぎゅっと下唇を食む。

 これで断られたら諦める。今度は悔いなく、黒騎士を見送る。そう決心しながらも、リコラの手は不安で震えている。


 その震えを止めたのは、黒騎士の大きな掌。

 両手に包み込まれながら、リコラは彼の返事を見ていた。

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