第31話 いなくなった黒騎士(2)

「リコラを守るのは自分だって、ずっと言ってた。だから、自分がリコラの邪魔になんのが、許せなかったんだよ。けど、その……そういうアイツの悩み、聞いてたのにオレ、言わなくってごめん……」


 オウムモドキは探り探り言葉を選ぶ。リコラを傷付けないよう、落ち込ませないよう、饒舌さも勢いも今の彼からは身を潜めている。


「つまり、アンタもこのチビちゃんも自分のせいだと思ってるってわけ」


 温度差のある声が割り込み、リコラはナーガへと視線を移した。

 傍観者であるナーガには、同情も共感もない。腰に手を当て、つまらなそうにハァッとため息を吐く。


「で? 大好きなデカ鎧はそこに居ないんでしょ。中身はどこ行ったの?」

「し、知らないです、だって、何も言わずにいなくなっちゃって」

「この森から出てったの?」

「そんなの、知りませ……、」


 ナーガからの質問の最中、ふと、リコラは口を開いたまま停止した。


 ここに黒騎士の外装が残っているということは、黒騎士はまだ本体だけでどこかを漂っている。鎧は一つだけ、復元した瞬間に置いてきた鎧は消える。

 悲しくも黒騎士の目的がリコラから離れる事だったとして、わざわざ姿の見えない本体の状態でダンジョンを出ていく必要があるだろうか。


 それは、リコラの残されたわずかな希望。

 薄っぺらい根拠を頼りに、リコラは立ち上がり、赤いエプロンに袖を通した。


「この森の中にいるかもしれない。私、黒騎士さんを探して来る!」

「ほっ、ほっといてやれよ、アイツは自分から出てったんだぞ。リコラだって、きっとその方がいいって! つかよお、そもそも考えすぎなだけで、ちょっくら散歩ーとかかもしんねぇだろ?」


 オウムモドキはバサッと飛び上がり、リコラの行く手を阻むようにカウンター横のゲートに止まった。

 ゲートはオウムモドキの重さで小さな開閉を繰り返す。リコラはそれが止まるのを見てから、すっと息を吸い込んだ。


「オーちゃんは、黒騎士さんが嫌い?」

「え、いや、そんなこたねーけど……」

「私は大好きだよ」


 リコラはオウムモドキの頬を指先で撫で、そっと抱き上げてカウンターに下ろした。


「ごめんオーちゃん。私行ってくるから、留守番よろしくね。もし黒騎士さんが帰ってきたら、教えに来てね」


 リコラはパタパタとつま先のすり減ったスニーカーで駆け出した。

 からんからんっとドアにつけたプレートが音を立てる。

 間もなくドアがパタンと閉まると、オウムモドキはナーガから顔を背けてモッフリと膨らんだ。


「ふうん、アンタは留守番なの」

「オレはダンテのパートナーだから、リコラよりダンテを優先しなきゃいけねんだ」

「ダンテ? なんか聞き覚えある名前ね」

「とーちゃんだよ、リコラのな」


 ナーガに対して迷わず即答しながらも、オウムモドキの声には覇気がない。

 オウムモドキの丸い瞳は、ちらりと黒騎士の脱げ殻を見た後、リコラとを隔てたドアへと移動する。その拍子にナーガが視界に映り込むと、オウムモドキは慌てて顔を背けた。


「お、お前さん、なんでいつまでもここにいんだよう。さっさと持ち場に戻った方がいいんじゃねぇのか?」

「……ちょっと考えてたんだけど」


 警戒して全身を逆立てるオウムモドキだが、ナーガは素知らぬ態度で口を開く。


「チビちゃんは、あの子がデカ重鎧を捨てて、人間の男を選ぶことが、父親の幸せだって言いたいの?」


 予期せぬ問いかけに、オウムモドキは数秒の間を開けてから振り返った。どうやらナーガにとってオウムモドキは「チビちゃん」らしい。


 オウムモドキはダンテの嘆きを知っている。リコラが黒騎士に執心し過ぎていることが心配だと。

 つまりそういうことだよな、と頭の中で自問自答したオウムモドキは、頭を上下に振って見せた。


「そ、そうだろう? ダンテはリコラの将来を心配してんだからな」

「そうなの。人間の親ってのは、子供の幸せを幸せだと感じるもんだと思ってたんだけど」

 

 ナーガがつまらなそうに「ふうん、そう」と頷く。

 その瞬間、オウムモドキの脳裏には、リコラの涙が浮かび上がった。


「お、オレは……」


 リコラのために、黒騎士との離別はあってしかるべきと信じた。だからこそこの偶然を、黒騎士の悲しい本音を受け入れようとした。その結果、一体誰が救われたのだろう。


 オウムモドキはぶるるっと首を左右に震わせた。

 乗り心地の悪い黒騎士の甲冑。図体の割に弱っちい考えを持った鎧。その空っぽな内側には、守りたい人を想う心が宿っていた。


「オレだって、アイツのことは嫌いじゃなかった……。アイツだって、もう一つの家族だったんだっ」


 オウムモドキは黒騎士の鎧を横目に「くそうっ」と声を絞り出して飛び上がった。

 羽ばたいた勢いで、カウンターに残っていた正方形のメモ帳達が舞い上がる。


「お、お前さんは、ちゃんと持ち場に帰るんだぞっ!ここを漁っちゃ駄目だかんな!」


 取手に足をひっかけ、体重を活かしてドアを開く。

 そうして森へと飛び行く羽はキラキラとエメラルドの粒子を放ち、ナーガは朝日を見るかのように目を細めた。


「……素敵ね」


 そう独りごちたナーガが見るのは、遠い世界のワンシーンだ。

 ナーガはハアッと肩から息を吐き出すと、目の前をはらはらと落ちる紙を掴み取った。

 丸み帯びたリコラの文字で書かれているのは、人間の言葉と数字の羅列。

 

「なあに、これ。ユー、ジ、ン……?」


 それを読み上げたナーガは、数秒にわたって眺めた後、そっと胸元へ隠し入れた。

 



 リコラは行く宛もなく、ただひたすらにマップの穴埋めをするかのように、ダンジョンの端から端まで歩いた。

 見慣れた森の中に、微かな変化はないだろうか。モンスターの困惑した様は見られないだろうか。


 姿は確認できなくとも「黒騎士さんっ!」と呼びかけ、反応がないことに落胆する。それでもめげずに歩き続ければ、モンスターたちが草陰から顔を覗かせ、リコラを見守った。

 何か出来ることはないかな、と言葉なき声たちがリコラを鼓舞するかのようだ。


「騒いでごめんね、実は黒騎士さんがいなくなっちゃったの。私の友達で……もし、変わったことがあれば教えてください」


 リコラの要請に、顔を見合わせたモンスターたちが散り散りに走り出す。


「あっ、見かけたらでいいんですっ、すみませんっ」


 リコラの制止も聞かず、モンスターたちは「任せて!」とばかりに拳を突き上げた。

 タチイタチはとことこと木の周りを歩き、ネムリネコとアカカラスは木の上から周囲を見張った。

 ジュカイオオカミは嗅覚を尖らせ、シシナガタケは触覚の敏感な手足で辺りを探った。大毒ネズミは森を駆け、ウキザカナは湖を泳ぐ。


「おうい! リコラぁ、向こうは全然いねぇってよー」

「オーちゃんっ? 手伝ってくれたの?」

「う、ま、まあ、お前に何かあっちゃあ元も子もねぇし……」


 オウムモドキはリコラの肩に降りると、半開きの口から荒い呼吸を繰り返した。

 照れ臭そうに足で頭をかきながら、どことなく視線もリコラから逸らしている。


「オーちゃんは優しいね」

「ケッ、いつでもこうだと思うなよ。つかリコラはもうちっと緊張感を持てよな」


 黒騎士が見つかろうが、リコラが怪我の一つでもこしらえようものなら今度こそダンテが黙ってはいないだろう。人間、モンスター、この森そのもの。いつ牙をむいてもおかしくない危険と隣り合わせの世界だ。


「なぁリコラ、帰ろうぜ。ふらっと帰って来るかもしんねぇし、リコラにはリコラの仕事があるじゃねぇか」

「うん、でも、もう少しだけ。時間には帰るから」

「……分かったよ」


 オウムモドキの不満を纏った肯定に、リコラは再び「ごめんね」と重ねた。オウムモドキの言い分が正義だと分かっても、何かほんの少しでも、安心するための情報が得たかったのだ。


 十時のタイムリミットまで、草木をかき分け、木陰を覗き込み、日向に目を凝らす。

 このダンジョンからは出ていかないはず。

 そう信じたこの日、黒騎士を辿ることは叶わなかった。

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