第29話 黒騎士との出会い

「じゃあ、行ってくるよ。オウムモドキ、リコラを宜しくね」


 分厚いジャケットにカーキのパンツ。やけに着込んだ父は、ドアの前で振り返りながら告げた。

 すこし肌寒くなってきた秋の日、薬に使う材料が足りないのだと唸った翌日のことだ。薬を買いにやってきた勇者を捌いた昼下がり、父は一人で出かけるらしい。


「違うよ、私がオーちゃんの面倒をみるんだよ」

「違う違う、オレがリコラをみててやんの。ダンテだってそう言ったろ?」

「ちーがーうー」


 リコラとオウムモドキは顔を付き合わせるといつもこうだ。どちらが上か。兄か、姉か。

 少し手狭な少女の細い肩に乗ったオウムモドキは、体を伸ばして胸を張って見せる。それを見ていたダンテは、どちらにせよ不安だと眉根を寄せ、強固な防壁とは成り得ない木製のドアに手を重ねた。


「誰かが来ても開けないこと。電話も出なくていいからね。良い子で留守番するんだよ」

「はーい」

「わぁってるって、さっさと行けやい」


 エメラルドの羽で「しっしっ」と払い退ける仕草をしたオウムモドキは、長引く送り出しに飽きたのか、ばさっと部屋の方へと翻る。

 それをきっかけに、ようやくこの押し問答を切り上げると、ダンテはリコラの頭を撫でてからドアを開いた。


「行ってきます」

「いってらっしゃーい」


 父の背へ手を振り続けること、ものの数秒。

 すぐにリビングへと戻ったリコラは、自分の絵本を退かし、ダンテが読んでいる難しい本を手に取った。


 リコラにはまだ早い、そう言っていつも見せてくれないモノだ。

 難しい単語に理解不能な数式。それも読んだ気になってページを捲り、また次の本に手を伸ばして読む振りをする。

 オトナな気分。それを味わうのが幼いリコラの楽しみだ。

 それをひとしきり見終えると、リコラは続いてテレビをぼうっと眺めた。


「ひまー……」


 それにも飽きると、リコラは絨毯の上をころころと転がり、仰向けになったところで静止する。

 父が出かけてから、どれほど経ったか。厳密な時間など、リコラには重要ではない。暇なものは暇なのだ。


「ねー、オーちゃん、お父さんってどこに行ってるの?」

「ん? そんなことも知んねぇのか? 薬の材料集めだろ」


 止まり木の上で毛繕いをしているオウムモドキは、リコラを一瞥して再び羽に顔を埋める。

 見下したような物言いに、リコラの桃色の唇がムッとへの字に曲がった。


「薬集めなんか知らないもん。それってどこなの?」

「材料集めな。うちの裏に森があんだろ? あいつは力があるからな、森にも堂々と入ってけんだ」


 やけに誇らしげなのは、自分がダンテのパートナーであるということを自慢したいからだろう。オウムモドキは胸を張り、冠羽を逆立て、リズミカルに体を揺らしている。

 窓の外、庭を挟んだ向こう側は、確かに木々が生い茂っている。深い緑に苛まれ、その中に何があるのかを目視で確認することは不可能だ。


「力がないと、入っていけないの?」

「おう、そうだぞー。まあ、ダンテは勿論、オレだって余裕だけどな」


 間延びした声で言うオウムモドキに、リコラは拍子抜けして「ふうん」と返す。

 リコラから見て、父は勿論オウムモドキに特殊な力があるようには思えない。きっと、いつものオウムモドキの虚言だ。

 リコラはむくっと起き上がると玄関に走った。


「お? おいリコラぁ、どこ行くんだ?」

「ちょっと!」

「ちょっと? あぁ、隣のサーシャのとこだな」


 玄関の全身鏡の前で髪を整え、くるりと一回転して「うん」と頷く。

 ひらりと膝丈で揺れるスカート。胸元にリボンのついたワンピースは、リコラのお気に入りの服だ。

 まるでショッピングに出る時と同じ気分で、リコラはパンプスを鳴らして飛び出した。




 黄色と黒のしましま模様。「立入禁止」と書いた木の板。リコラは読めない文字の下がった入り口をすり抜け、森へと忍び込んだ。

 ギャギャッとオウムモドキより煩くない声が木霊し、近くの草むらがガサガサと揺れている。


 家を出た時には見えた青空はすっかり覆い隠され、視界は薄暗い。道らしい道もなく、リコラは真っ直ぐのつもりで突き進んだ。


「大きなネズミさん、こんにちはぁ。私ね、お父さんに会いに来たの」


 そんなリコラへ、恐る恐る近付いて来るのは大毒ネズミだ。ダメダメと首を横に振り、リコラの服の裾を小さな手で引っ張るが、リコラも頑なだ。


「だめよ、お父さんに、知らない子にはついてっちゃいけないって言われてるんだから」


 二匹、三匹が壁になって行く手を阻むも、リコラはそれを避けて先を急ぐ。

 そうしている間に草むらの色が変わり、デコボコな土の道を抜け、気付くと背中にくっついていたネズミも姿を消していた。


「お父さん……どこ?」


 ふいに足を止めて周囲をぐるりと見渡す。

 森に入ってから随分と時間が経っていた。歩いた距離も、良く行く散歩コースの倍以上。ずしりと重くなった足と胸の苦しさ。更には、どこかで枝に引っかけたのか破けたワンピース。

 それらに気付いたことを皮切りに、リコラはついにその場に座り込んで動けなくなった。


「足、痛いよお。オーちゃん。お父さん……」


 リコラの足は、とっくに限界を迎えていた。真新しい景色への興味と、父に会えるはずという目的が疲れを忘れさせていただけだ。


 動けないリコラを置き去りにしたまま、もとより薄暗い景色が橙に染まり始める。間もなく、闇に包まれるだろう。

 それに伴い冷たい風が吹き付け、リコラは自身を抱き締めるように両腕を擦った。


 森のざわめきが大きくなる。無数の瞳が光っている。それが恐ろしいことに思え、リコラは全てを遮るために目を閉じて縮こまった。

 暇な時間よりも、ずっと、長く辛い時間が流れる。こんなことなら、大人しく留守番していれば良かったと、リコラの中に後悔が芽生える。


 その時、カシャンと無機質な音がリコラの耳に届いた。

 草の音、風の音、生き物の声、そのどれとも異なる初めての音だ。


「だあれ……?」


 戸惑うリコラの背中にそっと触れる掌。リコラはおずおずと顔を上げ、隣に座っている大きな影に目をやった。


「こん、にちは? あなたも迷子?」


 リコラの問いかけに、無言の身動ぎがある。それを肯定と受け取ったリコラは、ハッと息を吸い込み首を振った。


「私はね、迷子じゃないのよ。お父さんがね、きっと迷子になってるの。だから探してあげたんだけど、疲れちゃった」


 リコラの強がりにも、その人は優しく頷くだけ。きっと、とても優しい人なのだろう。リコラは背に触れた腕を辿り、手探りで隣人の体を確かめた。


「大きいね。お父さんよりも、大きいかも」


 優しさとたくましさが共存している。そこに父と似た何かを感じたせいか、リコラは寄り掛かるように体を傾けた。


 こつんとリコラの頭がぶつかるすんでの所。その人はリコラの肩を抱き寄せ、そっとリコラの体を横たえさせた。

 高さのある枕は、その人の固い足。リコラの頭の下にあるクッションは大きな掌だ。


「重くない? 疲れて眠くなっちゃった。このまま、少し休んでもいい?」


 問いかけにも、明確な返答はない。しかし、リコラは「有難う」とニッコリ微笑み、その人の足の上で目を閉じた。

 肌寒かったはずが、胸の内側からポカポカと熱が灯っている。その妙なくすぐったさと温もりに、リコラは必要以上にぎゅうっときつく目を瞑っていた。


 それから、幾許かの時間が経過する。


「リコラー! 聞こえたら返事をしてくれ!」

「リコラァ、まさかこんなとこ来てねぇよなっ? サーシャと会うって言ったもんなっ?」


 ぼんやりとした意識の中に聞き慣れた声が入り込み、リコラは体を起こして辺りを見渡した。

 先程よりも暗さを増した森の中。声の主の居所は確認できそうにない。


「お父さんとオーちゃんの声だ。私、行かなくちゃ」


 慌ててリコラが起き上がると、傍らの大きな体も一緒になって立ち上がる。どうやら一緒に来てくれるらしい。

 相変わらず不安定な道だが、背中を支えられながら歩くと苦はなく、リコラは難なく開けた通りへと抜け出した。


「リコラ……!」


 待ち受けていたのは、安堵半分、怒り半分を貼り付けた父の顔。

 説教待ったなしを悟り、肩を竦めたリコラは、その父の視線がリコラから逸れたことに気付いた。


「……黒騎士か」


 ぽつりとダンテが零す聞き覚えのない言葉。

 リコラは父の視線を追って振り返り、遥か頭上にある無骨な顔を見上げた。


「あ、あのね、この子と一緒に遊んでたの。それだけだよ」


 繋いだままの手を持ち上げ、ホラと見せ付ける。ダンテはそれを丸くした瞳に映し、説教するでもなく「そっか」と呆けた様子で頷いた。


「……君が、リコラを守ってくれたのか」

「お父さん? この子と知り合いなの?」


 ダンテは首を左右に振り、腰帯に括った剣に手を添える。唇を引き結び、眉をつり上げるダンテの表情は、説教前のものとも異なる勇ましいものだ。

 幼いながらにダンテの敵意を感じ取り、リコラは両腕を左右に広げてみせた。


「だ、駄目! この子、私とずっと一緒にいてくれたの、友達なのっ」

「あぁ、分かってるよ。リコラ、こっちにおいで」

「行く、でも、その変なポーズ止めてよっ」


 腰を低くして剣を構えかけていたダンテは、娘の放った言葉に、若干のショックを受けながら姿勢を正した。

 それを確認してから、リコラは彼を振り返る。大きな手を両手で包み込み、そっと自分の胸に引き寄せると、赤い光がふっと膨らんだ。


「一緒にいてくれて有難う。また絶対に会おう? 約束ね」


 いつもよりも高く甘えた声でそう言うと、リコラはやっとダンテの方へと駆け寄った。


「ねぇ、お父さん。私、あの子とまた会えるかな? もしかして、私と一緒で迷子なんじゃないかなぁ」

「……大丈夫だよ、あの子のおうちはここだからね」

「おうちだったのっ? 私、勝手に上がり込んじゃったのね」


 そしてまた振り返ったリコラは、「また来てもいい?」と問いかける。

 黒騎士はゆっくりと頭を下げて、のそのそと木々の向こうへと消えていった。




 その日を境に、リコラは人間とモンスターの関係を知ることになる。

 闘う相手であり、闘うための相棒であり、家族でもある。そんなモンスターとの間には、事細かなルールが存在している。


 リコラが黒騎士と出会ったのは、勇者しか立ち入れない「ダンジョン」であるということも、リコラは事実として突きつけられた。

 再び会おう、たったそれだけの口約束が果たされる日は遠い。


 リコラはその中で、ふと見かけた新聞記事に希望を見出す。

 モンスター相談所の開設。一度もモンスターと闘ったことのない人間だけがなれる新たな職、モンスター相談員。

 幼い少女の夢は、このときから始まった。

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