第28話 サーシャの告白(2)
「な、なに、それ。サーシャ、それって、その」
サーシャの空色の髪から覗くのは、熱を帯びた顔と濡れた瞳。
リコラはサーシャを直視できず、ベッドから離れた壁際で佇む黒騎士を見た。
黒騎士は、やはり薄い色の赤を湛えるだけ。「置物のフリをしていてね」と念押し済みなのだから当然だろう。
「えっと、あはは、まあその、リコラは何急にって思ったと思うけど、僕はずっと、物心ついた時にはリコラのこと、たぶん好きで」
「そ、そんな」
「それで……リコラと一緒にいたいなって思うし、いろいろと学んでいくうちに、人間とモンスターの関係は歪だって知って。だからリコラも、もっと人間と関わって知見を広げるべき、」
口早にそう付け足したサーシャは、ハサミで台詞を切られたかのように言葉を止めた。
サーシャの眼前では、リコラが肩を竦めて深々と俯いている。
「ご、ごめん! 自分勝手だったよね、でも、伝えてから踏み出したかったんだ」
「……ううん、そ、の、私も、全然、気の利いたこと、言えなくって」
「すぐに答えが欲しいってわけじゃないんだ。いつか、僕の気持ちに共感してくれたら、嬉しいな」
サーシャはへらっと見慣れた笑顔を見せると、足をベッドから下ろして立ち上がった。
つま先から、腹部、振り返って踵。視線を自身の体へ巡らせ、薄汚れた箇所を確認して浮かべる苦笑いは、いつものサーシャの顔だ。
「しゃ、じゃあ、僕、帰ろうかなっ」
「あーあー待て待て、オレが入口まで送る」
空気を読むということを知っていたらしいオウムモドキが、ついにバサッと羽音を立てる。
それで現実に引き戻されたリコラは、慌ててサーシャの腕を掴んだ。
「あ、あの、頑張って。サーシャのこれからを、応援するよ」
「うん。有難う」
にっこりと細めた目尻を下げたサーシャは、犬猿の仲と言っても過言ではないオウムモドキに対して「お願いします」と頭を下げる。
既にくらいっぱなしの意表を更に突かれ、オウムモドキは「お、おお」と戸惑いがちにサーシャの頭に止まった。
「って、イタッ、痛いんだけどっ!」
「うわっ暴れんなバカ!」
そんな安心感のある喧騒がドアの向こうに消える。リコラはその様を呆然と見送った後、よろよろとベッドに腰かけた。
地に足がつかないような、細い吊橋に立つような、不安に似た胸のざわつきが治まらない。
腰を丸め、拳で押さえた胸は、激しく脈打って内側から小さな胸を叩く。
「……私」
何か吐き出さなくては胸が詰まりそうで、ポツリとそれだけ零す。
それに反応するかのように、カシャンッと重たい体は動き出し、リコラの横で膝を折った。大きな掌、力ある手が、腫れ物に触れるようにそっとリコラの頭を撫でる。
黒騎士は守ると決めた人の痛みや不安に敏感だ。今のリコラの感情にも気付いているのだろう。今この瞬間まで、気付いていながら耐えていたに違いない。
「ごめんね、黒騎士さん。変なところ見せちゃった」
しゅんっと下がったリコラの頭を、黒騎士が繰り返しぽんぽんと撫でる。それだけの時間が、ゆっくりと過ぎていく。
胸がザワつくのは、サーシャに言われたことが刺さっているからだ。
「酷いよ、私の気持ちを無視して好き勝手……。好きとか、ついて来て欲しいとか、いきなり言う? 信じらんないっ」
ぐるぐると落ち着かない気持ちを、不満へと昇華させる。
サーシャからの好意は、きっと喜ぶべきものだ。しかし、彼が望むのは、リコラが望まない自分の将来像だった。
「人にどう思われたって……私はこの場所が好きなんだから」
サーシャの気持ちに応えることは出来ない。迷う必要はない、それでいいはずだ。
リコラは黒騎士の体に肩から寄りかかり、ちらと上目に彼の様子をうかがった。
時折またたく赤を見つめていると、嵐のあとのような平穏が訪れる。それと同時に妙な不安が湧き上がり、リコラは黒騎士の腕をコンコンッと爪でかいた。
「黒騎士さんも、同じだよね。この生活が好きだって、思ってくれてるよね……?」
答える声がないと知っていて、リコラは黒騎士へと問う。
赤い瞳の明滅は、簡単に思いを悟らせない。今回もそれは同じで、リコラは苦く笑ってから黒騎士にもたれかかった。
それから間もなく、小屋のドアが開いた。
小型なモンスターにとっては開けにくい人間用の取手だが、器用に足を引っ掛けて開けたらしい。オウムモドキは「ふいー濡れたあ」と気の抜けた声を出した後、状況に気が付いて一瞬固まった。
「お、おぉ……? あ、あれだな、サーシャはずりぃよなぁ。好き放題ぶつけて居なくなるとかよお」
ベッドの上に降り立ったオウムモドキは、とことことリコラに歩み寄る。
オウムモドキの足跡がしっとりと布団の色を変え、リコラは「ああもう」とオウムモドキの体を抱き寄せた。
「ごめんね、雨の中行かせちゃって」
「いんや、そりゃいんだけどよ。なあリコラ、オレは悪い話だとは思ってないからな。リコラだって、こんなとこ引きこもっていつまでも独り身じゃあなあ」
「そ、そういうの、私にはまだ早いよ」
「早いこたないだろ? もう十六、仕事もしてるし結婚もできる」
オウムモドキの言葉に、ようやく落ち着いたはずのリコラの目が見開かれる。
恋の話すら縁がない。それを飛び越えて結婚の話など、他人事のようなものだ。
「なんで急にそんなこと言うの? 面白くないよ、オーちゃん」
「笑かそうなんてしてねぇからな。ダンテだって、心配してると思うし」
「っ、や、やめてよ、私には……私は、黒騎士さんといるんだから、他の人となんて、一緒になれなくていい」
縋るように黒騎士の手を握るリコラに対し、黒騎士はやはり微動だにせず、リコラの両手に視線を落としている。
そんな堅物をちらと上目で見たオウムモドキは、一度口を開くも、何も言わずに目を逸らした。
「なぁリコラ、とりあえず今日は何も考えずに寝ちまおうぜ、な」
「……オーちゃんは、ちゃんと乾かしてから寝てね」
「いい加減、ドライヤー買おうぜ」
オウムモドキの二つの提案に、リコラは不服気味にこくりと頷き返す。
眠くない体を布団に潜り込ませたリコラは、右手で黒騎士の手を握り、左手で胸の上のオウムモドキを撫でた。
ずっとこのままでいいのに。そう想いながら閉じた瞼の向こうで、オウムモドキの冠羽がしっとりと垂れ下がっていた。
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