第27話 サーシャの告白(1)
比較的に晴れることの多い森が、パタパタと雫を落とす。淀んだ空模様は木々の傘に覆われてハッキリとうかがえないが、リコラは窓の外を見上げてフゥッと小さく溜め息を吐いた。
「じとっとしてヤな感じだね。木漏れ日すら入ってこないと、時間の感覚がおかしくなっちゃうよ」
リコラの呟きに「だなぁ」とオウムモドキが相槌を打つ。湿った空気には立派な冠羽もどことなく重そうだ。
外に踏み出すこともままならない一日は、灯りっぱなしの小屋で本を淡々と読まざるを得なくなる。
薄暗い上にぬかるんだ足場は危険だ。それを理解している勇者の足は当然減り、良くも悪くも平和を運びがちな雨は、暇を嫌うオウムモドキにとって気分を下げるばかりだった。
とはいえ、相談ゼロという日はそうそう巡って来ない。
カリカリッとドアを引っ掻く音が差し込み、リコラとオウムモドキはばっと勢いよく顔を上げた。
「はーい、今開けますねっ」
元気よく立ち上がったリコラは、三角座りから動かない黒騎士を振り返る。
危ない相手かもしれないからとドアを開けたがる黒騎士だが、どうやら今日は気分が乗らないらしい。爪の音が、ドアの向こうのモンスターを想像させたからかもしれない。
「こんにちは、大毒ネズミさん」
開いたドアから顔を覗かせたのは、ネズミ型のモンスターだ。
雑魚モンスターである大ネズミと間違えられ、面倒事に巻き込まれがちな彼等とは、頻繁に顔を合わせている。
大毒ネズミは、小屋の中に足を踏み入れるよりも前に、ギュッギュと高い声を上げた。
「ええ? ンな焦った顔して、お前さん、またその手のヤツかよお」
「大毒ネズミさん、なんて言ってる?」
「勇者じゃないヤツぶっ倒しちまったってよ。何? 体当たりしただけで気絶しやがった?」
どこかトゲのある物言いだ。大毒ネズミの体感では、このダンジョンに相応しくないレベルで入ってきやがった、という印象なのだろう。
勇者の無知や過信は少なくない。モンスターが辟易するのも仕方がないと言えるほどに。
「じゃあ、とりあえず助けに行こっか。えっと……」
リコラは大毒ネズミを見下ろした後、オウムモドキ、黒騎士と順番に視線をぶつけた。誰と共に行くべきか、リコラの足が迷い留まる。
小さな子供ならまだしも、リコラに人ひとりを運ぶのは困難だ。だからと言って堂々と黒騎士を連れて行く気はない。
そんなリコラをもどかしげに見上げたモンスターは、「いいから早く」と言わんばかりに体を揺らしている。このままでは、リコラを待たずに飛び出しそうだ。
「と、とりあえず黒騎士さん、影の状態でついてきてもらえる?」
リコラが慌てて声をかけると同時に、大毒ネズミの足音がタタッと遠ざかる。
リコラは「待って!」と呼びかけながら雨傘を開き、鎧の赤い瞳が消えたのを見てから前を向いた。
数メートル先を行っては、振り返り待っている大毒ネズミの後を追いかけること数分。
リコラは胸を押さえて息を整えながら、残りの数メートルを歩いた。
大毒ネズミは、倒れた人の前で鼻をヒクヒクと動かしている。意識はもどらず、倒れたままの被害者を心配しているようだ。
「はぁ、はぁ……大毒ネズミさん、その人、どう?」
リコラの曖昧な問いかけに、大毒ネズミは首を左右に振ってみせる。
近付くにつれて確認できるのは、灰色のシャツに緩めのズボンを履いた男性的なシルエット。散らばった空色の髪には見覚えがある。
リコラは最後の数歩を駆けると、上から丸くした瞳で覗き込んだ。
「さ、サーシャっ!」
リコラの高い悲鳴に、大毒ネズミがぴゃっと跳びはねる。
リコラの目に映っているのは、ダンジョンとは無縁そうな華奢な青年。お隣さんであり幼なじみのサーシャが、青ざめた顔でぐったりと倒れていた。
小屋の奥、壁際のベッド。今、空色髪の青年が横たわるベッドに、リコラ以外の人間が横たわるのは初めてだ。
その場での治療や、ダンジョンの外へ運び出して様子を見るのが通例なのだが、今回ばかりは特別だった。
「サーシャ、良かった。大丈夫?」
ぴくりと睫毛の揺らした幼なじみへとリコラが呼びかける。
サーシャはぱちくりと丸くした目で瞬きを繰り返したあと、「へっ?」と情けなく首を傾けた。
「倒れてたって、モンスターさんが教えに来てくれたんだよ。痛いところとか、気分が悪いとかない?」
「あ、あ、うん、大丈夫……」
体を動かすでもなく、ぼーっとしたまま受け答えるサーシャに、リコラの顔が不安色に変わる。もしかしたら、倒れた拍子に頭を打っているかもしれない。
「サーシャ、ちょっと、本当に大丈夫だよね?」
モンスターが手加減をしていても、思わぬ怪我に繋がることは珍しくない。
そうなった時、怪我を負わせたモンスターがルール違反を疑われて罰せられることもあり得る。
最悪の事態を想定し、リコラの手が恐る恐るサーシャの肩に触れる。その途端に、ビクッと体を跳ねさせたサーシャが「リコラっ?」と目を見開いた。
「モンスターと接触して倒れてたって……さっき、大毒ネズミさんが教えてくれたんだよ」
「あっ、あぁ……、ごめん、助けてくれたんだね」
「情けねぇ男だなぁ」
いつものように突っかかるオウムモドキに対し、サーシャは「うん」と力なく頷くだけ。サーシャは体の具合を確かめるように掌をグッパッと動かし、仕切り直すかのようにリコラへと向き直った。
「ホント情けないなぁ、僕……。有難う、リコラ」
「そ、それは、いいんだけど。どうしてダンジョンになんて入ってきたの? サーシャは勇者じゃないんだから駄目なんだよ」
サーシャはモンスターとの共存に前向きではない。勇者という職に興味はなく、リコラがモンスター相談員になることにも反対だった。ダンジョンに入ったことなどないだろう。その結果が一発KOだ。
自身の痴態を恥じるように深く俯いたサーシャは、口を開くまでに数度、唇を食んだ。
「……リコラに言いたいことがあったんだ」
「言いたいこと? わざわざ来なくたって、数日すれば帰ったのに」
「すぐじゃなきゃ駄目だったんだよ」
サーシャが時間をかけて前を向く。その視線はリコラを横切り、オウムモドキを映した後、何を言うでもなくリコラへと戻ってくる。
何か様子が変だ。
リコラはこの状況と、サーシャの様子に強い違和感を覚えた。そしてその違和感を裏付けるように、サーシャはすうっと息を吸い込み口を開く。
「来週から、村を出て役所で働くことになったんだ。だから暫く、帰って来ないと思う」
「えっ……」
サーシャの瞳が、真っ直ぐにリコラを見つめている。
落ち着いていて、博識で、けれどオウムモドキと子供じみた口喧嘩をする。そんなリコラの知っているサーシャとはどこか違う。
「それで、その、勝手なことを言うって、分かってるんだけど……リコラにも一緒に来て欲しいって、思ってて」
訝しげにサーシャを見ていたリコラは、その一言にドキッと目を開いた。息を吸い込むも、どう返して良いか分からず口を噤む。
サーシャは目線を下げて頬をかいた後、力強く頷いてからリコラへ向き直った。
「モンスターは、人間よりずっと強い。勇者は手加減されているだけなんだ。モンスターがその気になれば、勇者だとか相談員だとか、全部必要なくなるんだよ」
「え? え、っと……そ、そうかな……」
「リコラには、このままモンスターや勇者としか関われないような、危うい環境に居続けて欲しくないんだ」
リコラは顔をしかめたまま、首を左右に振る。
サーシャの言い分は、まるで「モンスター相談員」が忌むべき活動だとでも言うかのようだ。
「なっ、なんで、なんでサーシャに、そんな事言われなきゃいけないの?」
「大事だから。その……好き、だからだよ、リコラのこと」
いつからだったか、いつの間にか低く男性の音に変わったサーシャの声。それが聞いたことのない言葉を紡ぐ。
リコラの心臓がどくんと大きく高鳴り、不快な波が腹の中で渦巻く。
調子よく茶化すオウムモドキの声が割って入ることもなく、それが余計に、不安と困惑を増幅させた。
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