第26話 マーメイドとドラゴン(4)

 先導するウキザカナと、細い肩に爪をかけるオウムモドキ。更に姿のない黒騎士を連れて、リコラは再び湖に足を運んだ。

 いつものウエストポーチではなく、肩から大きめの鞄を提げるリコラの面持ちは真剣だ。何せ、これから挑むのは、今後のマーメイドとの関係を左右する大事な商談。

 リコラは華やぐ香りをスウッと力いっぱい吸い込むと、その勢いに乗せて声を張り上げた。


「マーメイドさん、モンスター相談員のリコラですっ」


 リコラ達の視界にマーメイドはいない。表側で勇者を待ち構えている最中なのだろう。

 静かな湖の畔にリコラの声が響くと、代わりにグルルと低い唸り声が水の中から聞こえてきた。


「や、やべぇぞリコラ、またあのドラゴンが出てくるっ」

「やましいことはないんだから、堂々としよう、オーちゃん。話を聞いてください、これからの事、提案しに来たんです」


 鼓舞するように背筋を伸ばし、リコラは更に湖の縁へ一歩、距離を縮める。

 リコラの横で泳いでいたウキザカナは、この穏やかではない空気を察し、逃げるように湖へと飛び込んだ。

 それと入れ違える形で、マーメイドが透き通る水面から姿を見せる。岩場へと座るようにして乗り上げると、やはり敵対心を鋭い眼光に込めてリコラを見下した。


「……懲りない子だね」

「か、考えたんです。マーメイドさんにとっても、アオドラゴンさんにとっても、一番良い方法を」


 棘のある声に気圧されず、リコラが更に距離を詰める。もう一歩、あと一歩。

 地鳴りのような唸りを上げるアオドラゴンをマーメイドが片手で制すると、彼の手首で光る金色のブレスレットがチャリンと音を立てた。


「いいよ、話してみて」


 口調こそ穏やかだが、薄く浮かべられた微笑みが物語るのは、リコラへの懐疑だ。

 技量を確かめるようなマーメイドの視線の前に立ち、リコラは不安げなオウムモドキに向けて頷いてみせた。


「まず前提として、アオドラゴンさんはこのダンジョンでは長く生きられないと思います。本来摂取すべき塩分や食料が、ここでは満足に得られません」


 この前提がある以上、現状を保ったまま生活することは困難だ。

 それを知ってか知らずか、マーメイドの表情が心なしか曇り、薄桃色の唇が震えた。


「……それで?」

「それで、これをマーメイドさんにお渡しします」


 リコラは鞄を肩から下ろすと、中に入れてあった巾着を取り出した。掴み上げると、中に詰め込んだペレットがカラカラと音を立てる。


「これは?」

「ペレット……ええっと、人間が、愛玩モンスターやパートナーに与える餌です」


 マーメイドの表情は変わらず訝しげだ。しかし、ちゃぷんっと水に降りてリコラへ近付くと、マーメイドはリコラの手の中にあった巾着の紐を絡め取った。

 一瞬触れた指先。まるで作り物のように冷たく形の良い手は、再び岩へと腰掛けてから、巾着の口を引っ張った。


「ここをアオドラゴンの生息地にはできません。できない以上、アオドラゴンはここにいちゃいけないんです。でも、中ボスであるマーメイドのパートナーなら……」


 マーメイドは中身のペレットを確認し、再びリコラへと視線を戻す。探り、疑るような眼光が、僅かに綻ぶ。


「中ボスと同じく特殊なモンスターとしてなら、一体だけ、アオドラゴンがいることは、決して不思議なことではありません」

「簡単に言うね。そんなことが可能なの?」

「駄目っていうルールはないんです。なので、あとは私が、マーメイドさんにはパートナーがいるという事を広めます。初めは戸惑うかもしれないけど……中ボスがいることと同じように、いつか、それが当たり前になります」


 リコラは力強く断言した後、「きっと」と小さく付け足した。

 前例がない以上、確証も自信も、絶対も言えないのが事実だ。つい弱気なことを発した口元に手をやり、上目にマーメイドを見やる。


「それでは、駄目ですか……?」


 続けた問いかけに、マーメイドは答えない。

 しかし、マーメイドは湖から顔を出しているアオドラゴンをしばし見つめた後、小さく頷いた。


「つまり、人間がしているように、自然でないものをこの子に与えて世話をするのならば、ここに居て良い……と言っているわけだね」

「そ……、そう、ですね、そういうことにな、ってます」


 森で採れる木の実や果物、自然と摂取される精神力とは異なり、ペレットはどんなモンスターでも美味しく食べれる加工品だ。栄養分は勿論、モンスターがモンスターであるために必須の精神力も摂取できる。

 人間が作った、自然界には存在しないもの。野生のモンスターにとっては怪しげに映るだろう。


「だからっ、決して、アオドラゴンさん以外には与えないでください。野生の子たちには、必要のないものですから」

「で、でも、すげぇ美味いし、作ってるのもダンテだから、信用してくれていいんだぜ、な!」


 不穏な雰囲気を悟ってか、オウムモドキも合いの手を入れる。実際には、果実や野菜をより好むオウムモドキだ。

 マーメイドは巾着から親指くらいの大きなペレットを一つ摘まみ出すと、すんっと鼻に寄せてニオイを吸い込んだ。続けて「おいで」と一声に、アオドラゴンが湖を出てマーメイドに寄り添う。


 その拍子に立った水の柱がザバンッと音を立てて崩れ、容赦なく辺りを濡らした。

 虹のアーチがかかる。キラキラと水の粒子が舞い、マーメイドとアオドラゴンを包み込む。


「アオドラゴンになってから、この子が少しずつ弱っていることは気付いていたんだ。そう、満足な食事ができていなかったんだね」


 切なさに滲ませた、消えかかった声。それを聞いたアオドラゴンもまた嘆くように喉を鳴らす。


「我慢させて、すまなかったね」


 マーメイドはアオドラゴンの頬を撫でながら、そっと自身の頬を擦り寄せた。

 異なる種の間に芽生えた愛情は、まるで芸術だ。マーメイドの細い指はアオドラゴンの輪郭を辿り、応えるようにアオドラゴンの長い尾がマーメイドの腰に絡む。

 それからリコラに視線を向けたマーメイドは、ようやく評判通りの温和な面持ちで微笑んだ。


「リコラさん、このペレット、有り難く頂戴するよ」

「っ、じゃあ……」

「あなたの言う方法を、試してみたい。力を、借りてもいいかな」

「あっ、有難うございます! 勿論っ、協力します!」


 商談は成功だ。リコラは勢いよく頭を下げ、歓喜のあまりにオウムモドキをぎゅうと抱き締めた。

 オウムモドキもつられて「ヤッター!」と声を上げ、リコラの腕の中で上下に伸び縮みを繰り返す。


 マーメイドとアオドラゴン。そして、人間とオウムモドキ。

 異種間に芽生えた絆をリコラにも見たマーメイドは、ふっと小さく吐息を零した。


「人間なんて、自分たちの行いを棚に上げて、不平等なルールに縛る愚か者だと思っていたけれど……少しずつ、変わっているのかな」


 ルールとは守るべきモノだ。しかし例外を認めないものではない。より正しい在り方を選び、改善することもできる。

 細やかな呟きに、アオドラゴンが嬉しそうに目を細める。マーメイドはその愛らしい子供の背中を撫でながら、水面に映った大空を見据えていた。

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