第25話 マーメイドとドラゴン(3)

 リコラの案内に従い、小屋に招かれたウキザカナが椅子の上を漂う。ふよふよと体を揺らす様は、まさに水を泳ぐかのようだ。

 定位置に座ったリコラは、モンスターがぱくぱくと口を動かす様子を凝視する。はたして、これは言葉を発しているのか呼吸をしているのか。

 ちらと肩のオウムモドキをうかがうと、「ふんふん」と細かく相槌を打っているので、どうやらリコラには分からない声で話しているらしい。 

 

「オーちゃん、この子はなんて……?」

「やったぜリコラ、あいつらの話だ。マーメイドとアオドラゴンを引き離さないで欲しいって言ってる」


 オウムモドキはその音のない言葉を聞き取り、リコラに顔を向けると通訳に務めた。


「あのアオドラゴンはもともと普通に生息しているコドモドラゴンだ。リコラの予想通り……あの湖にいるのは、迷い込んじまったのがきっかけだな」


 リコラは眉をひそめて「やっぱり」と頷く。

 ウキザカナが語るのは、中ボスであるマーメイドと、いるはずのないアオドラゴンが出会った日。そして今日まで築き上げた二人の繋がりだった。




 その日。キュウキュウというか細い鳴き声が湖の畔をさ迷っていた。

 声の主は、細くて小さな白いドラゴンだ。数時間も前から付近をうろうろと歩いていたコドモドラゴンは、湖を覗き込み、恐る恐る顔を近付けた。


 透き通る青に口をつけ、有り付けなかったご飯の代わりに水を含む。

 しかし、体が弱っていたせいだろう、コドモドラゴンの体はふらりと傾きボチャンッと湖に落ちてしまった。

 手足、羽、尾、全身をばたつかせるも、動転を付加した力ない体では這い上がることも叶わない。


「……どうしたの、こんなところへ来てしまうなんて」


 力尽きるすんでの所、赤ん坊を腕であやす母のように、優しくコドモドラゴンを抱き上げたのはマーメイドだった。

 青白くも温かな体に包まれたコドモドラゴンは、薄く開いた世界に彼を見る。


「まずは食べ物かな、それとも帰してあげるのが先決? 君はどこから来たのかな、なんて、答えられないよね」


 マーメイドは見守るように囲んでいるウキザカナを見ると、「お願いがある」と語りかけた。

 コドモドラゴンが食べられるものを、と指示を受けたウキザカナがぞぞっと身を震わせたのは、ドラゴンが捕食側の存在だと知っていたからだ。


「ふふ、いやだな、身を捧げろなんて言ってないよ。この子は雑食のはずだから……うん、精神力を宿した木の実がいい」


 マーメイドの声に顔を見合わせたウキザカナたちは、湖を出て森の方へと泳いだ。

 そうして集まった木の実を食料を主に、足りない分はマーメイド自らが補った。コドモドラゴンを抱き寄せ、その小さな体にフッと息を吹きかける。

 息吹を口で受け止めたコドモドラゴンは、まるで小鳥のように次を求めてパクパクと口を開く。

 精神力の口移しだ。マーメイドの強い精神力を受けたコドモドラゴンは、あっという間に元気を取り戻した。


 そうなれば、後は産まれた地へと帰るだけ。

 しかし、マーメイドが「さあ、お帰り」と背を押すも、コドモドラゴンはキュウッと情けなく鳴き、マーメイドの胸へと戻ってしまう。

 帰り方が分からない。また迷うかもしれない。もっと一緒にいたい。あなたと仲良くなりたい。そんな想いがマーメイドへと届く。


「……そうだね、怖かったものね。分かった、無理に帰れとは言わないよ」


 それが良くない行いであると知りながらも、マーメイドはコドモドラゴンの好きにさせることを選んだ。


 それから数ヶ月もすると、コドモドラゴンは体付きはおろか、力や知能まで成熟するに至った。マーメイドの息吹を食らい続けたこともあり、二人の距離はまさに家族のそれだ。

 ご飯だよとマーメイドが呼ぶと、コドモドラゴンは嬉しそうにマーメイドの腕に飛び込んだ。共に水遊びをし、会話や歌にも興じた。


「体は大きくなったのに、君はまだまだ子供だね。ふふ、可愛い子」


 マーメイドの母性を宿した声音に、コドモドラゴンが高く鳴く。

 湖の畔で横たわるマーメイドの腕で眠るコドモドラゴンは、母に抱かれる子のように幸せそうだ。

 マーメイドもまんざらではなく、幸福に包まれ共に迎えた朝。

 コドモドラゴンはアオドラゴンへと成長を遂げていた。



 

「コドモドラゴンは、きっとマーメイドの精神力を食って育ち過ぎたんだろうなぁ」


 一仕事を終えたオウムモドキは、ぽつりと自身の考えを零した。まさしくそうだろう、とリコラは頷く。

 話を聞く限り、コドモドラゴンは勇者との戦闘による経験値を積んではいない。その中で進化してしまった原因は、前例がないからこそ、マーメイドの精神力が影響していると考えるのが自然だ。


「コドモドラゴンは水が得意じゃないはずだから……きっと、マーメイドさんと一緒にいるために、アオドラゴンになりたかったのかもしれないね」


 リコラも自身の考察を口に出し、悩ましく溜め息をついた。


「家族同然な二人を引き離すべきじゃない……。でも、あの子はきっと、この森では長く生きられないよ」

「えっ、そうなのか?」

「だって、アオドラゴンは本来、海から塩分を摂取するんだよ。ここは、アオドラゴンが生きるための環境にはなってないでしょう?」


 昨日にも確認した図鑑の内容を思い出したリコラの顔が、沸々と湧き上がる悔しさに歪む。

 彼等のために選ぶべきはどちらだろう。

 生きる時間が減ったとしても、家族との時間が優先されるべきなのか。生息地という決められた場所に移動させて、正しく生きることが良いのか。


「……私には、選べないよ」


 どちらを選んだとて、あのマーメイドとアオドラゴンが望む結論にはならない。せめて、彼等に選んでもらうことが、相談員としての優しさなのではないか。


「好きな場所にいたいってのは、そんなに難しいことなのかなあ」


 黙り込んでしまったリコラの顔を覗き込んだオウムモドキは、ただ、自然と思い浮かんだろう疑問を口にする。

 リコラは顔を俯かせたまま、もどかしく眉をひそめた。


「難しいよ……。生息地って、別に人間が好き勝手に決めたわけじゃないんだよ。その子が生きるに相応しい場所が決められてるの」

「でもよぉ、ほら、もしダンテがパートナーになったなら、村で生きられるわけだろ?」 

「それはっ、だってパートナー契約を結べば、一緒に闘ってもらう代わりに勇者が世話を……」


 パートナーや愛玩モンスターの場合、自然とは離れて生活することになる。勇者や飼い主が、近しい環境を用意し、生きる為のサポートを熟すからだ。

 リコラはハッと大きく息を吸い込むと、ガタンッと椅子を倒す勢いで黒騎士を振り返った。


 実体として体躯を持たない黒騎士は特別だ。食事を考慮する必要も、寒暖を考える必要もない。

 一方、オウムモドキの場合には、朝晩にモンスター用のペレットを食べさせ、小屋が寒い日には暖を取らせている。獣型のモンスターは一般的な動物と同じく、気を遣ってあげなければ体に環境が合わず衰えてしまうからだ。


「そ、それだ!」


 リコラはぽんっと拳を掌に叩き付け、立ち上がるや否やチェストを開いた。真っ先に取り出した大きな巾着に、ペレットを移していく。


「な、な、なんだ? どうするんだ、リコラ」

「パートナーになればいいんだよ! ダメだなんてルールはないんだから!」


 オウムモドキは「ん?」と首を捻り、ウキザカナを振り返る。ふよふよと浮かぶ、濃い青の鱗が美しいモンスターもまた、不思議そうに体を左右に揺らしている。

 リコラは準備を終えると軽やかに立ち上がり、「一緒に来て!」と黒騎士をも巻き込むように声をかけた。

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