第24話 マーメイドとドラゴン(2)


「やめなさい」


 マーメイドの悠然とした声を合図に、襲撃がピタリと止む。翼を持った青いモンスターは華麗に翻り、マーメイドへ寄り添った。


 マーメイドの掌の上に顎を乗せ、グルルと甘えた音を鳴らす。

 その正体は、トカゲのような体に大きな翼と鋭い爪を持つ、海の色をしたアオドラゴン。

 ここにいるはずのない、広大な海を生息地とするモンスターだった。



 

 ザアッと降り注ぐシャワーの湯を浴びながら、リコラは重い溜め息を吐き出した。

 このダンジョンを分布としないアオドラゴンとの接触に成功したが、得られた情報はあまりにも少ない。

 リコラはマーメイドとまともな会話を交わすことすら許されなかった。


「オーちゃんにも、怖い思いをさせちゃってごめんね」

「や、オレは別に……っつか、さっさと出ようぜ。風呂なんて嫌いなんだよぉ」


 オウムモドキはリコラの太股の上でぶるるっと体を震わせると、濡れて小さくなった体を膨らませた。ぴょんと床に飛び降り、ドアの前でもどかしげに体を左右に揺らしている。

 リコラはキュッとハンドルを回し、水を止めてからオウムモドキの後ろに立った。「ちょっと待ってね」と前置いてから、大きなタオルで自身の体を拭き、それでオウムモドキを包み持ち上げる。


「つーかアイツも大人げないっての。あんな風に水ぶっかけるなんてよぉ、中ボスってのはどいつもこいつも、気性が荒いったら」

「う、うーん……そうなのかなぁ」


 リコラはシャワールームを出ると、洗いたてのブラウスに着替えてベッドに腰掛けた。

 あれは、攻撃というより警戒だった。マーメイドは本来穏やかな性格だとされている。近付かせたくない、知られたくない、触れられたくない……そんな想いがマーメイドを過敏にさせているのではないだろうか。


「オーちゃん、こっち来て。拭いたげる」

「えぇ、やだよ、リコラは手荒なんだ。ダンテみたいに優しくドライヤーかけてくれんならいいけどよぉ」

「仕方ないでしょ、ドライヤーなんて持って来てないんだから」


 オウムモドキは逃げるように壁の止まり木に移動すると、再びぶるるるっと体を震わせて水を飛び散らせた。

 いつもなら「貴重な素材が濡れたらどうするのっ」と咎めるところだ。


 しかし、リコラはオウムモドキを横目に、濡れた髪もそのまま、カウンターの椅子に腰掛けた。そこで図鑑を広げ、目的のページに指を這わす。


「アオドラゴン……。水辺に住み着いたコドモドラゴンが成長した姿。やっぱり、あの子はコドモドラゴンが成長しちゃった姿なんだよ」

「コドモドラゴン? そりゃ確かにこのダンジョンにいるヤツだけど、あの辺は生息エリアじゃねぇよなあ」

「そうだけど、おかしな話じゃないよね」


 リコラはちらと黒騎士に目をやり、マーメイドが放った言葉を想起させた。

 嫌味のように、皮肉のように、彼がリコラへ向けたのは「ルール違反」という冷たい言葉だ。


「あの子とマーメイドさんは……」


 友人なのかもしれないし、家族なのかもしれない。リコラと黒騎士のように、目に見えない繋がりがあるのだとしたら、引き離すのは望まない方法だろう。


「ま、とりあえず今日は諦めようぜ、リコラ。あんな状況じゃ話を聞くだけで命がけになっちまう」


 濡れて小さくなったオウムモドキは、そのままベッドの上に飛び乗った。黒騎士も重そうな頭をゆっくりと縦に動かす。

 聞こえない黒騎士の声が「勘弁してくれ」と訴えているのが分かり、リコラは唇を尖らせて図鑑を閉じた。


「お父さんがね、モンスター警察の話をしてたの。いるはずのないモンスターがいるって報告を受けて、調査のために来たんだけど、会おうとしたら暴れられたって。もたもたしていたら、先に何かされちゃうかも……」

「だからってよぉ、リコラ。ダンテを殺す気か? 自分が与えた情報でリコラに何かあったら、あの親馬鹿、首括っちまうぞ」


 随分と物騒な言い分に、リコラは「やめてよ」と眉根を寄せる。しかし、反論の言葉は出なかった。

 実際のところ、すぐさま再チャレンジなんて気になるはずもなく、リコラはベッドへ腰掛け、そのまま体を横に倒した。


「……黒騎士さん、いつもありがとね。今日は黒騎士さんの勝手に助けられちゃった」


 ベッドの横で膝を抱える黒騎士の手に、小さなリコラの手が重なる。

 固く冷たいこの手が、何度もリコラを暗闇から引き上げた。迷う路頭なんてない、出口は絶対にあるのだと思い出させてくれる。


「黒騎士さんがいるから頑張れるよ。黒騎士さんは不本意かもしれないけど……もう少し、私の勝手にも、付き合ってね」


 返事のない黒騎士の纏う空気の変化を感じ、リコラはふふっと小さく微笑んだ。

 聞こえなくても、見えなくても、何となく分かる気がする。「仕方ないな」と苦く笑う黒騎士の瞳が頭上で光っている。


 体と同じように無骨な声だろうか、それとも優しい声、低い声、お父さんのような声かもしれない。

 そんなことを考えながら、リコラの瞼はそっと閉じられた。 




 翌日、リコラは日が昇ると早速ウエストポーチを腰に巻き付けた。


「大丈夫、今日は接触するんじゃなくて、遠くから様子をうかがいたいだけだから」


 非難の視線を向けてくる二人へ明るく微笑んで見せるが、黒騎士ですら首を横に振っている。

 昨日の今日だ、マーメイドの警戒状態が解れていなければ、遠目に見ることすら容易ではないだろう。


「うん、分かってるんだけど……。私、やっぱりジッとなんてしてられないよ。マーメイドさんとあのアオドラゴンの関係を、ちゃんと確認したいの」

「それを分かってねぇって言ってんだろ、馬鹿リコラ」


 ナーガと違い柔和そうな雰囲気を持つマーメイドだが、その心根はナーガと同じく強いものだった。自身の正義のためなら人間への攻撃、つまり意図的なルール違反も辞さない。

 黒騎士が受け止めた水弾は、リコラがまともに受ければ骨の一本くらい犠牲にしただろう威力を持っていた。


「でも……危ないかもしれないけど、知らないままじゃ手を打てないし」

「この前、人間にすら襲われたの忘れたのか? ほんっと、なんでケロッとしてられんだよリコラぁ」

「そ、それは……っ」


 リコラはヒュッと息を吸い込んだ拍子にゲホゲホと咳き込んだ。先日、人間に襲われた恐怖の経験は、深くリコラに根を張ったままだ。

 やっぱり、諦めるべきなのだろうか。目を逸らして、モンスター警察に任せるべきなのだろうか。


 それは嫌だ、とリコラは首を左右に振った。

 あらゆる危険を想定したところで、リコラの想いは変わらない。多少の危険は覚悟の上で、それでも行動を起こしたいのだ。


「じゃあ、黒騎士さんにもついてきてもらう。それなら……」


 ぎゅっと拳を握り締めて、動かない黒騎士へと目を向ける。

 その時だった。とんと微かな接触音が聞こえ、オウムモドキが「ん?」とドアへ顔を向けた。


「おいリコラ、誰か来たみたいだ」

「え? 私には何も聞こえなかったけど……」


 リコラは目を丸くして、ドアの前で羽ばたくオウムモドキへ近付いた。外から聞こえる音は特にない。リコラは訝しげに眉をひそめながら、ドアをそっと開いた。


 オウムモドキの言った通り、ドアの前で待っているモンスターが一体。その姿を確認するや否や、リコラは「あっ」と声を上げていた。


 魚型のモンスターがリコラの腰の高さで浮遊している。ウキザカナと呼ばれ、水中と同じく空中をも泳げるモンスターだ。

 目付きも牙も厳ついが、浮遊する動作や気性の穏やかな彼等の生息エリアは、このダンジョン唯一の水辺である湖周辺となっている。


「あなた、もしかしてマーメイドさんの……」


 リコラの声に、ウキザカナの尾ビレがひらりと揺れ動く。モンスターの声を聞き取ったオウムモドキは「そうだってよ!」と嬉しそうに羽ばたいた。


「リコラ、行くのは話を聞いてからにしようぜ」


 先程までとは打って変わって、意気揚々とオウムモドキが声を弾ませる。言い負かされたようで癪ではあったが、リコラは素直にこくりと頷いた。

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