第22話 囚われのリコラ(5)
「アンタらは……そうか、そういうことか! こんな嬢ちゃんを黒騎士の傍に置いている理由は!」
その顔ぶれを前に、女性の顔に汗が滲む。
嘗て魔王と心を通わせた勇者ダンテ、若きモンスター警察の実力者ユージン。寄り添う白い獣は、勇者ダンテの意志を継ぐ、ユージンのパートナーだ。
女性はチッと強く舌打ちすると、リコラの背後に周り、その細首に手をかけた。
「ここまでやって、後戻りなんて出来ないんでね、嬢ちゃんの黒騎士だけは渡してもらうよ」
リコラの首に、女の爪が食い込む。それを見たダンテの顔色は焦りに染まり、ユージンも踏み出しかけた足にブレーキをかけた。
一同にサアッと冷たい空気が流れる。こんな状況では、下手に動くことは出来ない。締まる程の力で握られていないことを知る、リコラ以外は。
「黒騎士さん……っ」
リコラは掠れた声でそう叫んだ。
その声に反応した足元が、じわじわと黒いモヤを放ち始める。触れた感触もなく、熱や冷気もそこにはない。ただ立ち上がる黒いものがリコラを包み、悪党の女は咄嗟に手を放した。
きつく閉じた視界の向こう、リコラの体には固く冷たいモノがぶつかっている。そこに感じるのは、優しく暖かな温もりだ。
「リコラ、ちょっと待ってろよぉっ!」
安心感のあるしゃがれた声が迫り、もふっとした塊がリコラの腕にしがみつく。食い込む爪と腕の肉を食む嘴に「いたたたっ」と声を上げているうちに、はらりと腕の拘束が解けた。
「よし、リコラは平気だな。ユージン、そっちの奴等を頼む」
「はい!」
恐る恐る開いた瞳に映るのは、烏羽色の美しい黒騎士と、肩に乗るオウムモドキ。そして、ダンテとユージンによってひれ伏した男達。見事な形勢逆転の景色だ。
ぷつんと緊張の糸が切れ、リコラの目からは滝のように涙が落ちる。それを黒騎士の指先が掬い、オウムモドキの羽が撫でた。
「……黒騎士さん、オーちゃん」
「ごめんな、リコラぁ。せめてオレがついてってれば、もう少し早く気付いてやれたってのに」
「ううん、もういいの。何もなかったから、皆が来てくれて、凄く嬉しいから」
柔らかなオウムモドキの頬を撫で返すと、くるるっと喜びの声が漏れる。もう片方の手で黒騎士の手を握ると、黒騎士は瞳を煌々とさせてリコラの手を握り返した。
「これが黒騎士……! なんて美しい、これが、あの……」
女性はよろよろと数歩下がり、壁にどんっと背中をぶつけた。彼女の意識は黒騎士に奪われている。まるで黒の亡霊が彼女を侵したかのように、勝ち気な瞳が黒一色に染まる。
縋るように黒騎士へと伸ばされた手は、ユージンによってガシャンと手錠をはめられた。黒騎士から目を逸らさない女性は、抵抗もなくユージンに誘導される。
戦意すら黒騎士に呑みこまれたのか、素直に引きずられた女性は、他の連中と共に警察へと引き渡された。
それから数時間後。
先の事件が夢だったかのように、穏やかな時間が訪れていた。
「……リコラちゃん、大丈夫でしたか?」
落ち着いた雰囲気のある木製の椅子に腰掛けたユージンは、潜めた声で問いかけた。階段を降りてくる途中だったダンテは、とんとんと残りの数段を踏みながら頷き返す。
「怪我は膝の擦り傷だけ。手荒な事をされたみたいだけど、けろっとしてたよ。強がりじゃなきゃいいけど」
苦く笑うダンテの脳裏には、空元気で振る舞いがちな娘の姿が張り付いている。大きな怪我がないのは事実だが、心の傷は些細な程度ではないだろう。
「それでも、この程度で済んだのはユージンのおかげだ。有難う」
「……いえ、そもそも俺が事前に捕らえていたら、こんなことには……」
正面に座ったダンテから目を逸らすように、ユージンは両腕で頭を抱えた。
事の前兆は、数日前、リコラとユージンとが街へ出かけた日に起きていたのだ。
リコラを送り届けて立ち寄った森のダンジョン。そこでユージンが見かけたのは、やけに声を張り上げて揉める男女だった。
仲裁に入るや否やへこへこと立ち去った二人を不審に思い追跡すると、「失敗だ」「出直すか」と怪しげな会話をしながらダンジョンを去っていく。
更に二人を追って辿り着いた先が、あの悪党どものアジトだ。
しかし、現行犯でない以上、ユージンに出来ることはなかった。
それでなくとも、モンスター警察と一般の警察とは、その曖昧な境目を原因に睨み合っているところだ。証拠の揃わないユージンの主張は通りづらいだろう。
そう考えたユージンは、悪党集団のアジトを突き止めていながら放置していたのだ。ダンテに「怪しげな連中がうろついている」と伝えるに留めて。
「考えが甘かったんです。何か被害が出ることを想定して、もっと、強く行動に出ていれば……」
「でも、下手な行動のせいでアジトの場所が変わりでもしていたら、リコラの発見が遅れたかも知れない。最悪な事態にならなかったのは、ユージンのおかげだよ。ユージンからのあの連絡があったから、俺もすぐに動けたしね」
ダンテは静かな口調でそう言うと、暖かなコーヒーをすっと口に運んだ。「うん、美味い」というダンテの独り言につられて、カップを口に運んだユージンは、その香りにどこか懐かしさを覚えて目を見開いた。
唇に触れたコーヒーから、嘗て、大人ぶって嗜んだ苦みと程良い酸味が広がる。
ユージンは僅かに頬を緩め、「それにしても」と声音を落ち着かせて目線を上げた。
「リコラちゃんと彼等の関係はいいですね。信頼や愛情で繋がっていることを、今日改めて実感しました」
「そうかな。さすがに仲が良すぎるというか……父としては、少しリコラの将来が心配なんだよな」
「はは、まだ彼女は十六歳ですよ。好きにさせてあげるのが一番良い……」
まるで父のような表情を浮かべた直後、ユージンの声がぷつんと途切れる。
ユージンは何かを躊躇うように一度口を結び、すっと鼻から大きく息を吸い込んだ。
「すみません、ダンテさん」
そうして頭を下げるユージンに、ダンテは「ん?」と首を傾げる。
ユージンが謝るいわれはない。その想いを含んだダンテの疑問符に、ユージンは小さく首を横に振った。
「姉さんが病気で亡くなった後、うちの両親がダンテさんを酷く責めて追い出して……。俺、何も出来なかったこと、ずっと悔やんでいました」
「あぁ……まあ、お前はそういう性格だろうな」
もとより、ソフィとユージンの両親はダンテとの結婚に前向きではなかった。その上、子供が生まれて間もなく、ソフィは亡くなった。
勇者という罰当たりな職の男と結婚したからだ。モンスターの呪いだ。お前と結婚したせいで。あらゆる根拠のない罵倒の末に、ダンテは家族と縁を切られた。
それから今まで、ダンテはユージンとすら、顔を合わせる機会を失っていたのだ。
「どうか、これからは俺も……」
「ユージン、ずっと言いそびれていたことがあるんだけど」
ダンテは、ユージンの掠れた声を遮り、朗らかな笑みを浮かべた。
「俺からすれば、ユージンはずっと、大事な家族の一人だよ」
ダンテの掌が、そっとユージンの頭に乗せられる。師として、義兄として。ダンテがユージンを想う気持ちは、何十年経とうとも変わっていない。
触れた温かさにそれを感じ取ったユージンは、気恥ずかしさに肩を竦めてはにかんだ。
「これからは、堂々と、リコラちゃんを見守りますね」
「あぁ、そうだな。こっそりリコラをデートに誘うなんてこと、絶対にするなよ」
「……あっ」
一転、サッと青ざめたユージンの頭に、ダンテの指がぎりぎりと食い込む。
その二人の姿は、嘗ての面影に重なっていた。
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