第21話 囚われのリコラ(4)

 コツコツと耳に響く冷たい足音。初めて来た他人の家のニオイ。冷たく固い床による臀部の痛み。

 馴染みのないモノが五感を刺激し、リコラは身動ぎをしてから重たい瞼を開いた。


「ん、んぅ……、いたたた、何これ……」


 真っ先に気付く違和感は、見知らぬ場所に身を置いているという状況。続いて、背中で縛られた腕。

 状況を把握しようにも、寝起きのせいか頭が回らない。とにかく、良くないことが起きているのは間違いないだろう。

 リコラは足を動かして臀部を浮かせると、立ち上がるために膝に力を込めた。


「おはよう、お姫様。よく眠れたかしら」


 大人びた女性を思わせる声に、リコラはハッと顔を横に向けた。

 声の主は、リコラのすぐ横に立っていた。腕を胸の前で組み、壁に寄り掛かって体を寛がせている。


 派手なメイクを施した女性だった。ウェーブがかった長髪と、体のラインを見せ付けるタイトな服装が艶やかだ。

 先程、ダンジョンで揉め事を起こしていた女性は、リコラの方へ体を向けると、冷たい視線で見下ろした。


「さっきの……。あの、私に何をしたんですか……?」

「ちょっと眠ってもらっただけ。大丈夫よ、対モンスター用の眠り薬だけど、人間用に薄めてあるから。体、違和感ないでしょ?」


 真っ当な返事があるとは思わず、リコラは慌てて肩を上げたり手首を回したりと出来る範囲の確認をしてから、こくりと頷いて見せた。

 女性はコツコツとヒールの音を鳴らしてリコラの前に立ち、ゆっくり膝を折る。


「嬢ちゃんが黒騎士の主っての、間違いないかしら」


 早速の問いかけに、リコラは「やっぱり」と内心項垂れた。

 タチイタチの相談を受けて現場へと急行したリコラを待ち受けていたのは、痴話ゲンカを繰り広げる男女だった。そこまでは至極普通な相談だ。

 しかし相手の男性に既視感を覚えたリコラは、すぐさま一人でノコノコと誘い出されたことを後悔した。


 数日前に若い男性とアイテムのことで口論していた年配の男性。あの日、すぐ近くで、黒騎士を目撃していた“可能性のある”人間だ。

 男性が「この子だ」とリコラを見て頷き、女性が瓶の蓋を外す。ばらまかれたのは、対モンスター用の眠り薬。まともに吸い込んでしまったリコラは、それから数時間、眠り続けることとなった。


「私を使って、黒騎士さんを誘い出すつもりなんですね」

「嬢ちゃんが素直に譲ってくれるのなら、手荒なコトをするつもりはないのよ。これ以上はね」


 女性はふわりと柔らかそうな茶髪をかきあげ、リコラにずいと顔を近付ける。その背後では、熊に似たモンスターが白い牙と爪を光らせた。

 おおよそ、日頃から悪さをしている連中だ。モンスターはおろか、人を傷つけることすら厭わない。下手な行動をとれば、リコラの細腕など容易く折られるだろう。


「……すみません、でも、私に出来ることはない、です」


 全てを察して恐怖に体を縮こまらせながら、リコラは乾いた唇で言葉を紡ぐ。

 明らかに不利な状況だ。それでも否定的なリコラの態度に、案の定、女性の目が不快感を露わにしてつり上がった。


「は、状況分かってないの。お願いしていると思ったら大間違いよ」

「違うんです、本当に……」


 リコラは素早く首を左右に振り、立てた膝に顔を埋めた。スカートは砂埃で汚れ、膝はどこかで擦ったらしく血を固めている。

 悲しい、悔しい、痛い、つらい。胸がキリキリと痛み、リコラはぎゅっと目を閉じた。


「黒騎士さんは、私のパートナーじゃありません。黒騎士は、愛玩モンスターになれないモンスターです、だから、私とは関係ないんです」

「は? 冗談ならもう少し上手に言いなさい」

「本当です、あの子は……黒騎士さんは、誰のものでもありません。野生のモンスターなんです」


 女性は怪訝そうに眉根を寄せ、フーッと大げさに鼻から息を吐き出した。その音に肩を揺らしたリコラは、恐る恐る視線を持ち上げる。

 黒騎士は愛玩モンスターとして扱うことを許可されていないし、勇者ではないリコラにはパートナーなど作れない。

 これが事実なのだ。何年にも渡って、リコラが見ない振りをしてきた真実だ。


「……ふん、どうでもいいわ。それが本当だろうと嘘だろうと。黒騎士がアンタを姫と認めているのなら、アンタの危機を嗅ぎつけて来るはずなんだから」


 冷たい声が下を向いたリコラの耳をすり抜ける。

 女性は非情にもクイッと折り曲げた指で合図を出し、そこに控えていた男性から太く長い木の棒を受け取った。


「少しだけ、泣きわめいて頂戴」


 ヒュッと振り上げられた腕。高々と掲げられた凶器。

 俯いていても風を切る音が耳につき、リコラは反射的にぎゅっと身を縮めた。木の棒はリコラの顔のすぐ横を叩き、ガアンッとけたたましい音を立てる。


「声、出した方がいいわよ? でないと本当に殴るから」


 カタカタと震えるリコラの顎に棒の先が触れる。

 思わず上げた視界には、口元だけ笑みを浮かべた女性と、複数の男性が観戦でもするかの周りを囲っている様が映った。


 再び女性が棒を振り下ろす瞬間を目の当たりにし、反射的に横を向いたリコラの頭部を棒の先端が掠める。

 ヒュウッと高い音。同時に鳴り響いたのは、ガシャンッというガラスが砕けたような音。


「あぁ……ッ」


 目を開いたリコラは、か細い声で嘆いた。

 体の横に散らばった鮮やかな破片の正体は、リコラの髪を飾っていた花たちだ。

 

「っ、黒騎士さんが、初めてくれたもの、だったのに……」

「あら。そうだったの、残念ね。動かない方が身のためよ。狙いがずれちゃうから」


 嘲る声など聞こえない程、リコラの心中は自責の念に埋め尽くされた。

 これは罰だ。自分のものではない黒騎士をまるでパートナーのように、友人のように、家族のように傍において独占しようとした罪。


 肩の横、腕の脇、掌の近く、足元、ガンッガンッと寸止めの波は落ち着く間もなく押し寄せ、リコラの食いしばった口からは言葉にならない嘆きが嗚咽になって出る。

 泣き叫んで事が終わるのなら躊躇わずそうしただろう。

 しかし、オウムモドキはリコラと目的を違えていた。黒騎士には小屋を出るなと告げてきた。誰もいない。助けなど来るはずがない。

 戦う術を持たないリコラに出来ることは、この悪党の一寸の優しさを信じて耐え忍ぶだけだ。


「っ、ぅ……うぅ、……」

「ふうん、意外と堪えるじゃない。さすが、黒騎士を仕える姫様ってところかしら?」


 ふーっと長いため息の後、女性の動きが止まった。乱れた長い髪を耳にかけ、煩わしそうに首をかいている。


「腕一本くらい、折るしかないわね」


 声音と纏う空気の変化に、リコラは思わず息を呑んだ。

 立ち上がろうにも、腰が抜けて思うように動けない。どくどくと激しく心臓が音を立て、もはやろくに見えていない目を見開き女性を見上げる。

 ポロと零れ落ちた涙を見て嬉しそうに笑みを浮かべた女性は、握り直した棒を先をリコラの二の腕あたりに押し当てた。


「い、いやです、おねが、お願いしますやめて……っ!」


 ついに耐えきれず、がむしゃらに叫んだリコラに、女性の口角がニィッと吊り上がる。


 その時、女性の背後がドンドンッと音を立てた。

 硬いドアが外側から開かれ、一人の若い男性が駆け込んでくる。女性と同じジャケットを羽織っているあたり、この悪党集団の一員だろう。


「姐さんやばい! なんかとんでもなく強いヤツが乗り込んできて、こっちは壊滅状態だっ!」


 訝しげに顔をしかめた女性の目の前で、男はまるで力を吸い取られたかのように、その場にぐったりと倒れ込む。

 その男の背中に見える、白く艶やかな毛並みの獣足。ザッとその横に立った若い男性は「しまった」と小さく呟いた。


「はは、俺が一番乗りになっちゃったか。リコラちゃん大丈夫?」

「ゆ、ユージンさん……?」


 警察の制服を纏ったユージンは、普段通りの爽やかな顔でそこに立っていた。手に持っていた鞘に入れたままの剣を腰帯へと戻し、肩越しに後ろを振り返る。

 その視線の先からは、バサッと広げられた翼のシルエット。


「お前さん、一番いいとこ持ってってんじゃねぇよっ!」

「さすが、現役は違うってところを見せつけられたな」

「や、やめてくださいよ」


 場にそぐわない朗らかな会話に、リコラはおろか、棒を握り締めた女性まで呆気に取られて固まっている。

 道を開けたユージンの横から現れたのは、リコラと同じ髪色の男性と、エメラルドの羽が美しいオウムモドキ。二人と二体。急遽結成されたチームメンバーは颯爽と並び、リコラを安堵させる笑みを見せつけた。


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