第20話 囚われのリコラ(3)

 ある日の昼下がり、タチイタチの親子が小屋のドアをくぐった。まるでネムリネコのように目を細め、手を引かれる子供の方はふらふらと半ば意識がなさそうだ。


「こんにちは、モンスター相談所です!」


 お決まりの明るい挨拶にも、親子そろって鼻をヒクつかせるだけ。夜行性の彼等には辛い時間帯なのだろう。

 リコラはその愛らしい姿を拝むように胸の前で手を結び、我慢できずに「可愛いねぇ」と独りごちる。

 そんなリコラを呆れ顔で一瞥したオウムモドキは、ととんっと前に出て、欠伸混じりの訴えに耳を傾けた。


「うるさくて眠れない? なんだそのご近所トラブルみたいな話……ゲッ、勇者がもめてるってのか」

「え、オーちゃん、タチイタチさんは何て……?」

「寝床の近くで、勇者のいざこざだってよ。なんか、イヤな話だよなぁ」


 オウムモドキはカッカッと爪で頭をかきながら、リコラの様子を横目でうかがう。

 このタイミングだ、嫌でも先日のコトがよみがえる。リコラは細い眉を寄せて、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い込んだ。


「……それ、どんな人だったかって分かります?」


 リコラもオウムモドキも同じく、脳裏に浮かんでいるのは、あの若い男性だ。黒騎士の姿をはっきりと目撃した注意人物。

 がーうがうと、ゆったりとした口調で返すタチイタチに、オウムモドキは「あぁ」と少し安堵した相槌を打った。


「女と男だってよ。ま、たまーによくある痴話ゲンカってやつだな」

「違う人……。あはは、ちょっと嫌なこと考えちゃった」


 苦く笑うリコラに、オウムモドキも「だなぁ」と笑う。

 もしも、あの時の男性だったなら、黒騎士を狙っての罠だと疑わずにはいられなかっただろう。


「じゃあ、黒騎士さんはここに居てね。オーちゃん、一緒に来てくれる?」

「あーいや、オレはちと行きたいとこがあんだ。そいつらと一緒に行って来てくれ」


 ゴミ袋と念の為の薬瓶を入れたウエストポーチを巻き付けたリコラは、意表を突かれてオウムモドキを振り返った。


「珍しいね。どうしたの?」

「や、まあちょっとな」

「ふうん……私がいない間に行きたいってことね」


 リコラは「オッケー」と軽く返すと、エプロンの胸元で光るバッジを握ってから小屋の外に出た。

 



 リコラを見送ったオウムモドキは、森の入り口の方へ戻り、薄暗い空の下へと抜け出した。

 今にも雨が降り出しそうな天気だ。濡れては堪らんと急ぐオウムモドキが向かったのは、ダンテが待つ家。


 オウムモドキは開いた窓から中へと入り、「ダンテー」と家主に呼びかけた。

 ダンテは「あれ?」と不思議そうな顔をして、店のから顔を覗かせる。瞳をぐるりとさ迷わせたのは、オウムモドキだけで来たという珍しい状況を疑ったからだろう。


「一人で来たのか。虐められたのか?」

「ちっ、違ぇやい! ちょっと聞いときたいことあんだけどよぉ」


 ととっとオウムモドキがテーブルの上に降り立つと、ダンテは「ん?」と小首を傾げながら椅子に腰掛けた。

 シンクには朝食の名残、テーブルの上には折り重なった新聞紙。愛娘の帰省予定がないと、怠けた四十路らしい。

 それを何気なく確認したオウムモドキは、ダンテの肩に乗った青いモノを目に留め「ギャアッ」と跳び上がった。


「なななな、なんでそいつがいるんだよ!」

「ん? あぁ、この前の一件ですっかり懐いちゃって。この子だけ育てることにしたんだよ」

「なっ……オレというものがありながら、何つーコトを……」


 カタカタと身震いしたオウムモドキに、再びダンテが肩を竦めて笑う。肩に乗るアオツノムシは、すりとダンテに寄り添い満足げだ。

 それで一層ぐぬぬと顔をしかめたオウムモドキは、へにゃりとお腹からテーブルに突っ伏した。


「あーあ……リコラといい、ダンテといい、オレのこと除け者にしやがって。グレちゃうぞ」

「はは、可愛いなあ、オウムモドキは」

「うるせぇー」


 シュンと垂れ下がった冠羽をダンテの指が繰り返し撫でる。手馴れた指さばきだ。

 オウムモドキの目がうっとりと細められると、ダンテは「それで?」と逸れた話題を手繰り寄せた。


「あー、あのな、リコラから聞いたんだけどよぉ。黒騎士のヤツは人前に出たらヤベェってのは何なんだ? そんなにアイツは狙われ気質なのか?」


 オウムモドキは先日のリコラの態度に違和感を覚えている。例え黒騎士が貴重であるとは言え、あの動揺っぷりは度が過ぎているのではないか、と。

 リコラはおかしい。リコラは間違っている。そう思うも、真っ正面から否定する度胸もないオウムモドキは、「リコラは考えすぎた」という自分の意見をダンテに同意して欲しかったのだ。


「まあ、そうだね。それも事実だよ。彼のレアリティは奇跡レベルだ。その上価値が高すぎるのだから、当然狙われるだろう。でも俺がそれを言ったのはリコラを守るためだよ」

「リコラを? そりゃ、黒騎士が守ってくれるって話じゃなくてか?」


 自然とあの黒騎士を持ち上げる話になり、オウムモドキの瞼がジトッと閉じる。

 ダンテは首を左右に振ると、胸の前に右手と左手、両方の人差し指を立てた。


「もしもリコラと黒騎士が一緒にいるところを見られたらって話だ。黒騎士を誘き出す手段ってのはなんだと思う?」

「誘き出す?」

「リコラを誘い出す方が容易だろ」


 右手で立てた人差し指を、すーっと横に移動させる。距離の離れた二本の指。その後を追うように、左手の人差し指も平行移動した。


「そりゃあそうだけどよぉ。こっちだって間抜けじゃないんだから、連れてこいって言われたって連れてかねぇよ?」

「黒騎士が動かずにいられない状況があるだろ。あぁ……オウムモドキは黒騎士の性質を知らなかったか」


 少し馬鹿にされたと感じ、オウムモドキが顔をしかめる。そのわかりやすい表情にダンテはクスッと笑い、リコラの手元にある図鑑よりも古いものを本棚から取り出した。


「リコラはさすがに知っていると思うけど」


 該当するページを開き、ダンテが指を置く。そこに視線を落としたオウムモドキは目をまん丸にさせて、嘴をぱっくりと縦に開いた。

 そこに記されているのは、黒騎士の身体的特徴や、持っている技とアイテム、そして特性、ルーツだ。


 黒騎士は守るべき姫を守れなかった騎士の成れの果て。消えない未練を抱えるがあまり、一度守りたいと決めた人間を執拗に守ろうとする。

 守ると認めた人間の気配に過敏で、特に危険を感じると高速で移動する。その際には鎧の中に潜む実体のみで移動し、瞬時に鎧を復元させている。

 守ることが生き甲斐であり、守るためには他のことなど厭わない、悲しき亡霊。


 オウムモドキはそれを黙読し、絶句した。

 この理屈を真に受けた場合、リコラに危険があれば、黒騎士は他を投げ捨ててでもリコラのもとへ駆けつけることになる。

 そして、それを裏付ける事実は、今までに何度か起きている。


「……黒騎士を誘き出す方法は、リコラの危機ってことか」

「当然考える方法だろうな。勇者、なんて言っても、あくどい方法で儲けようって輩は少なくない。だからリコラには、黒騎士は絶対に人前に出すなって教えてあるんだよ」


 なるほどと納得を声に出しながら、オウムモドキの喉の奥は窮屈にヒュウッと細い音を立てた。

 愛娘の平穏を切に願いながら、危険な道を行くことを許した父親を目の前にして、オウムモドキの小さな心臓がドクドクと激しく脈打つ。


「ま、まずいコトに、なってるかもしんないぞ……」

「……まさか、何かあったのか」


 オウムモドキの柄にもなく怯えた様子に、ダンテの顔も凍り付く。

 いやそんな、まさかタイミング良くそんなこと。と頭の中で言い訳しながら、オウムモドキは数日前の出来事をダンテに話す。


 森の中で揉めている勇者がいたこと、仲裁に入ったリコラが殴られて黒騎士が姿を晒してしまったこと。そして今、揉めている人間がいるという相談があり、リコラが一人で対応しに行ったこと。

 とはいえ。前に問題を起こしていた者と今の者とは別人だ。それを緩和剤として投入するも、ダンテは切羽詰まった様子で立ち上がった。


 勢いのあまり、肩に乗っていたアオツノムシがころんとテーブルの上に落ちる。それを気にかける余裕もなく、ダンテはクローゼットから勇者の剣を取り出した。


「まずは、リコラの安全を確かめに行くぞ」


 低い声はビリリッと空気を震わせ、オウムモドキは反射的に「おうっ」と高らかな返事をして飛び上がった。

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