第19話 囚われのリコラ(2)
歩き出して数分、小屋まではまだあと五分は歩く必要があるかという頃。ついでのゴミ拾いで足元を見ていたリコラとオウムモドキの耳に、男性の荒々しい声が届いた。
「なんだぁ? あそこ、揉めてんぞ?」
表側に顔を向けていたオウムモドキが捉えたのは、分厚い木々の向こうで繰り広げられる、勇者二人の言い争いだった。
ほら、と指摘された隙間に目を凝らすも、リコラの青い瞳でそれを見るのは困難だ。しかし、荒々しい男性の声が、その口論の様をリコラにも想像させる。
「ま、とりあえず放っておいて、エリアにいるモンスターからどうにかしてくれって言われてからでいんじゃねぇか?」
「でも……せっかく通りかかったんだし、とりあえず、声かけてみようか?」
「え、や、やめとけよ、っておい、リコラッ」
オウムモドキが制止の声を上げたが、リコラは適当なところの草木をかき分けた。体の向きを横や斜めに切り替えて木々の壁をすり抜ける。
男性達はモンスター達が飛び出す準備をしている草むらの、すぐ傍の道でいがみ合っていた。リコラとオウムモドキに気付かず、向かい合って「オレが」「いや自分が」と言葉をぶつけている。
「あの、どうかしたんですか……?」
互いの胸倉を掴む勢いの男性二人は、割り込んだリコラに勢いよく振り返った。一人は髪を明るく染めた若い男性、もう一人は顔に小ジワのある年配の男性だ。
父くらいの年齢を思わせる容貌の男性は、ぱっと素早くしゃがむや否や、何かを抱えて駆け出していった。複雑な道が用意されたダンジョンだ。その男性の背中は木々の壁に遮られ、視界から消える。
あっという間の出来事に、若い勇者もリコラも、見守っていたオウムモドキですら「あっ」と声を漏らすのが精一杯だ。
「ようやくドロップしたレアアイテムなのに……」
辛うじて零れた男性の嘆きから察するに、どうやらモンスターが落としたアイテムがどちらのものか揉めていたようだ。つまりは、どちらがモンスターを倒したの口論だったのだろう。
「おいっ! アンタのせいで逃げられたじゃねぇか、どうしてくれんだよっ!」
「きゃあっ」
体の向きをリコラに切り替えた男性の腕が、運悪くリコラの頭にぶつかる。
突然の鈍痛に目をぱちくりと瞬かせたリコラは、臀部から地面へと落ち、二重の痛みが視界を滲ませた。
「おいこらっ、若い女の子に手ぇ上げるなんて、男の風上にも置けねぇことすんじゃねぇ! ふつーの警察呼ぶぞっ!」
オウムモドキの反論に、男は面倒そうにチッと舌を打つ。
態度が悪いのは事実かもしれないが、少なくともリコラへの打撃は事故だ。それを訴えようと口を開いたリコラは、肩に触れた大きな手にビクリと体を跳ねさせ息を呑んだ。
黒い手がカシャンと固い音を鳴らす。リコラを赤い光で覗き込んだ後、ゆっくりと立ち上がった大きな体。男性を睨みつける瞳は煌々と赤く輝き、足元から黒煙を巻き上げる。
「ダメッ、黒騎士さん!」
黒騎士の怒り。全てを呑み込む黒煙。
リコラが咄嗟に叫ぶと、黒煙の揺れが止まり、黒騎士の体へとズルズルと戻っていく。
男性は「ヒィッ」と情けなく声を上げ、前のめりに足をもつれさせながら走り去って行った。
さわさわと風に揺れる草の音だけが耳を通り抜けていく。
気遣うようにリコラの肩に飛び移ったオウムモドキは「あー……」とかける言葉を探った。
「ともかくアレだ、他のヤツに見られる前に戻ろうぜ、な?」
痛みと驚きと困惑に苛まれ、動けないままでいるリコラの肩をつんつんと嘴で突く。リコラはゆっくりと首だけを動かし、スカートを叩きながら立ち上がった。
裏道を通り小屋へと戻ると、リコラは疲れた様子でベッドへと腰掛けた。受付開始時間前、ドアの吊り看板はひっくり返していない。
黒騎士はリコラに怪我がないことを目視で確かめ、ようやく安堵した様子で定位置に腰掛けた。オウムモドキはカウンターの上で羽の付け根を竦めてジィッとリコラの様子をうかがう。
リコラは無言だった。ここまで戻ってくる間もずっと。
「……黒騎士さん、どうして人前に出てきちゃったの」
そしてようやく開いた唇は、吐息に包まれたか細い声を落とした。
「黒騎士さんは、凄く貴重なの、珍しいの、狙われちゃうんだよ。でも私には力がないから、守ってあげられないんだよ」
焦燥感が、リコラを早口にする。次第に声量の上がる訴えに、オウムモドキが「でも」となだめるように口を挟んだ。
「し、心配することないんじゃねぇか? だって、強いんだろ、黒騎士ってのは」
「でも、魔王を討伐した事があるような勇者さん相手じゃ敵わないよ。このダンジョンに挑む人だけじゃない、勇者には、もっと強い人がいっぱいいるの。だから黒騎士さんは隠れているべきだって、お父さんが教えてくれたんだよ?」
「だ、ダンテがなぁ」
黒騎士の出現率は、多々いるモンスターの中で最低だ。その上、鎧が持つ力はあらゆる場面で重宝する。武器は勿論、防具、アクセサリー。勇者のパートナーとしても活躍するだろう。
リコラがまだ幼かった頃。大事な箱入り娘をダンテがダンジョンへと送り出したのは、黒騎士が傍にいるという前提があったからだ。
黒騎士を手放さないために注意すべき事として、ダンテは「黒騎士を勇者に見せないように」と告げた。それがリコラを守ることにも繋がるから、と。
「助けに来てくれたのは、すごく嬉しかったよ。でも、黒騎士さんのこと私も守りたいの。だから、これからは絶対に人前に出ないでね、本当に、それだけは私よりも優先して」
リコラは黒騎士に、そっと手を差し出した。指切り約束を交わすかのように、リコラは黒騎士の手に自分の手を重ねた。ぎゅっと強く、優しく、小さな両手が必死に黒い手を包み込む。
黒騎士を人前に出さないという、これまで徹底してきた状況は崩れてしまった。それがリコラの胸に不安の根を深く張り巡らせる。
「そりゃ、ちょっと違うんじゃねぇかな……。リコラを守るって前提がある以上よぉ、何よりもリコラを優先するってのは、当然だろ?」
「でも、黒騎士さんがいなきゃ……」
リコラは口籠もり、視線を手元に落とした。
「私には黒騎士さんがいないと……」
再び顔を上げたリコラは、穏やかなテンポで明滅する赤い瞳に困惑を見る。
困らせたくない。けれど、困らせてでも。リコラは自身の身勝手な想いに顔をしかめ、おずおずと手の力を緩めた。
「私、そんなにおかしなこと言ってる、かな」
「い、いや? まぁ、いんじゃねぇか? お前さんもほら、リコラの気が落ち着くまでは聞いてやってくれよ、な」
ばさばさとオウムモドキが黒騎士の頭に飛び移る。
黒騎士は納得のいかない様子で数秒の間を開けたあと、顔を斜めに向けて頷いた。
この日から、リコラは緊張した日々を過ごした。
人間とすれ違う度に、黒騎士を狙ってはいないかと注視する。小屋の方向へと歩く勇者の後をつけて様子を見ることもあった。
一日、二日、三日、「それでも」とリコラの緊張の糸は解れない。
五日を過ぎるとピリピリとした空気は薄れ、リコラは「気にしすぎたったのかも」と楽観的に事を捉え始めていた。
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