第18話 囚われのリコラ(1)
不気味に木霊する鳥の囀り、サクサクと心地良い乾いた草の音。光の線となって差し込む木漏れ日は、幻想的な世界へと誘うかのよう。
一日ぶりにダンジョンへ帰ってきたリコラは、浮かれた足取りで小屋へと向かっていた。
気掛かりである留守番の黒騎士は、何事もなく出迎えてくれるだろうか。リコラの帰宅を喜んでくれるだろうか。
「おーい、リコラ。そんなに急ぐ必要ねぇだろうよお」
「急ぎたいの。黒騎士さんを待たせてるんだよ」
リコラの言い分に、オウムモドキは「なんだそりゃ」と呆れ気味に返す。
もともと一泊の予定はなかったのだ。何も告げずに一夜超えてしまった現状に、リコラの心はザワザワと落ち着かない。
早く帰って安心させたい、否、安心したいのだ。
「リコラ、お前よお、帰る前にナーガにそれ渡すんじゃなかったのかよ」
「えっ、あ!」
リコラの肩に着地したオウムモドキは、器用に羽の先を細くしてリコラの手元を指した。リコラの手に握られた紙袋には、ユージンが買ってくれた服が入っている。
先日ナーガから依頼された洋服だ。相談を受けてから数日過ぎていることもあり、「早く渡しに行きたい」と言ったのはリコラの方だ。
「っ……、うーん……」
「あのデカブツなら大丈夫だろ、気配でリコラが帰ってることくらい、もう察してると思うしな」
そうだけど、とリコラは足を止める。
視線はオウムモドキから手に持った紙袋へ。きっと似合う、早く着てみて欲しい。それは、確かにリコラの中にある想いだ。
「そうだよね。うん、先にナーガさんのところに行こっ」
モンスター相談員としても、選択すべきは間違いなくこっちだ。
リコラは小屋へと向かっていた足の向きを、ナーガが待っている奥のエリアに切り替えた。
その道のりは、歩を進めるほど険しさを増していく。ぎらりと怪しい眼差し、大きくなる影。
不安になる度に胸のバッジを指で触りながら、リコラは前を向き続けた。
通例のゴミ拾いのおかげで、リコラは全てのエリアを知っている。
しかし、末端のエリアは訪問回数が少なく、当然そこに暮らすモンスターとの関係は小屋付近と比べて薄い。
東のナーガ。西のマーメイド。その中でもバッジの効力を受けない中ボスは、リコラにとって別の世界にいるような存在だ。
だからこそ、少なくともナーガとは、良い関係を築けられそうだとリコラは安堵していた。
持ち場を放棄したこともあったが、あれ以来、ナーガの脱走は噂になっていない。
「ひぇえ、相変わらず怖ェ顔だなぁ」
ナーガのいるエリアへとやって来ると、トラウマの拭えないオウムモドキは、リコラの肩越しでぶるると体を膨らませた。
今まさに、勇者との闘いに興じているナーガの顔は、確かに中ボスらしいそれだ。勇者が剣を向けるに躊躇できない程の威圧感がある。
間もなく、勇者はナーガ討伐に成功したらしく、受けたダメージによろけながらも、艶やかな鱗を手に持ち立ち去った。
「ナーガさん!」
その隙にと、リコラは緑をかき分けて正規ルート側に顔を覗かせた。
ちょいちょいと手招きをすれば、ナーガは一瞬不快そうに顔を歪ませるも、ゆったりとした動きで裏側へと戻ってくる。
「アンタね、馴れ馴れしく顔出してんじゃないわよ。何」
冷めた口調で言われ、リコラとオウムモドキはしゅんと体を縮める。確かに今のは馴れた態度が過ぎていたかもしれない。
リコラは「恋バナ」でもする気分でいたことを反省しながら、おずおずと紙袋を差し出した。
「これ、洋服です。い、いえ、洋服ってほどじゃないんですけど、ナーガさんに似合うだろうなと思って」
「あぁ……やっと持ってきたの。ちゃんとユージンが好むものか、調査したんでしょうね」
「は、はい、きっと大丈夫だと思いますっ」
リコラの曖昧な返答に、「きっと?」と訝しげに細い眉根が寄せられる。疑っている顔だ。
その鋭い眼光を前に、オウムモドキはひゃっと飛び上がり、「だだだ大丈夫だって!」とリコラの代わりに声を張り上げた。
「なんたって、リコラはユージンの姪っ子だったんだからなっ」
「何よ、メイッコって」
「み、身内、分かるか? 親戚だよ、親戚、血の繋がりがこう、あるような感じなんだっ」
ナーガは暫くポカンと気の抜けた顔をした後、自分で作ったのか丁度良い高さの切り株に腰掛けた。
体のダメージは一見してほとんどない。精神力の回復であれば、時間経過だけで十分のはずだ。
「……そういうことは、早く言いなさいよ」
ナーガは受け取った紙袋を胸に抱き寄せ、恐る恐るその中を覗き込んだ。続いて手を差し込み、黒い布を丁寧に引き出す。
「い……いい生地じゃない」
「大人っぽいナーガさんなら着こなせると思います」
両腕を左右に開き、顔の前で広げたナーガの顔付きがふわりと柔らかなものに変わったのは、脳裏に思い人の姿があるからだろう。
リコラは、その純粋な想いを再び目の当たりにし、チクリと胸に痛みを覚えた。
「ナーガさん、その……つらく、ならないですか?」
ナーガはこの地を離れられない。それは中ボスという在り方が決められているからだ。誰かがどこかで決めたルールが、モンスターの生き方までも縛り付ける。
頭を下げて落ち込んだリコラを暫く訝しげに見下ろしたナーガは、ハァッと馬鹿にしたように吐息を漏らした。
「勇者とモンスターはパートナーになることが出来るけど、それってお互いの気持ちが重要なわけでしょ」
「え、は、はい……」
「一方的なくせに、理不尽だって嘆いても馬鹿らしくない? ルールに文句言っておいて、相手にそんなつもりはないなんて断られたら、格好悪くて仕方ないわ」
遠くの空に目を向け、髪をかき上げる。そのナーガ横顔に、リコラは思わず見入った。
この国の在り方を理解し、納得しながらも、反旗を翻すべきタイミングも心得ている。
「お互いの想いが一つになったとき、あの人が私と同じように悩んだのなら、何か、変わるのかもね」
「ナーガさん……」
「お前さん、意外と冷静じゃねぇか。最初のあれはなんだったんだ?」
「っあれは、やり方を間違えたの。あの一回で学んだんだから、いいじゃない」
大人びた顔付きから一転、つんっと唇を尖らせたナーガは「それより」とリコラに視線を向けた。
「アンタの方はどうなの?」
「わ、私ですか?」
「あのクソ重鎧といい感じなんでしょ?」
ナーガの丸みを帯びた指先が、つんとリコラの顔の前に突き出される。その指は、虫でも寄せるかのようにクルクルと円を描き、終いにはリコラの頬を突いた。
鎧と言われ、リコラの脳裏には留守を守っている黒騎士が浮かぶ。「いい感じ」とは、つまり、恋バナにおけるニュアンスだ。
意図を察したリコラは、ぶんぶんっと大げさに掌を顔の前で振って見せた。
「ちっ、違いますよっ! 黒騎士さんは、そ、そりゃ大事ですけど、でもそういうのじゃなくて、お兄ちゃんみたいな感じというか……安心するっていうかっ」
「おいリコラっ、オレの事はガキ扱いするくせに、アイツにはそれか!」
「だって黒騎士さんの方が、大きくて、頼りになるんだもんっ」
「カーッ、結局大きさかよ! 女は背がデカけりゃいいと思いやがって! 大事なのはハートだかんな、ハート!」
ばっさばっさと羽ばたきながらリコラの肩を突くオウムモドキと、笑いながら「だってぇ」と制するリコラ。
二人のじゃれあいを眺めていたナーガは、小さくフッと笑い、くるりと背を向けた。
後ろ手で胸に巻いた布を解くと、はらりと薄汚れた衣装だったものが舞い、代わりに黒のノースリーブに腕を通す。
上半身だけ見れば、色白で透明感のある華奢な女性だ。黒い服と白い肌が醸し出す大人びた雰囲気が、この静かな森に浮かび上がる。
「ほー、いい感じじゃねえか?」
堂々と口に出したオウムモドキに対し、リコラは言葉を失ったまま見つめた。「綺麗だ」という紛れもない一言が頭に浮かんでいる。
ナーガはその新たな装いに胸を張り、「持ち場に戻るわ」とまるでショーにでも出るかのような顔付きで向こう側へと戻っていった。
「んじゃオレ達も行くか」
「あ、う、うんっ」
リコラは手で自分の顔を仰いでから、先に飛んだオウムモドキの後に続いた。
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