第17話 勇者ダンテ

 勇者ダンテが初めてモンスターと対峙したのは、齢十の頃。勇者である父親に握らされた武器を手に、振り下ろした切っ先はモンスターの弱点を見事に突いた。

 殺さずの剣。精神力の戦い。ダンテは幼いながらに、モンスターごとに存在する精神力の核を見抜いたのだった。


 魔王の討伐に成功したのは十八の春。

 若くして大成したダンテにもはや恐れるものはなく、幾度も魔王に挑み、そして倒した。

 ダンテの力が増すほどに魔王の力もまた増大していく。気が付けば、互いの成長を見せ合うかのように、二人は剣を交えた。

 その闘いが三十回を超えた時、ついに変化は訪れる。


「貴様は、いつまで私とやり合うつもりだ」


 お決まりの文句ではなく、ダンテだけに向けられた言葉。

 ウェーブのかかった銀髪をさらさらと舞上げ、鼻の下から全身を覆い隠す漆黒のマントをたなびかせる。人型ではあるが、同じ地面に立つ魔王の頭はダンテよりも二メートル程高い。

 その人ならざる存在の、所謂閑話は初耳だった。


「貴様との闘いは何よりも私を高揚させる。だが、それ故に、他の者共が退屈で仕方がない。このままでは、貴様でしか満足できなくなってしまうではないか」

「は、はは、そんな、可愛いこと、言い出さないでくれよ」

「笑い事ではないわ、馬鹿者」


 聞き慣れた地鳴りのような声が、今はしっかりと言葉になっている。長い髪とマントの間に覗く金色の瞳は、まるでこの時を楽しむように細められた。

 ダンテの胸の内に宿ったのは高揚感だ。少しずつ薄れていった、初めて対峙した時の感覚が蘇ってくる。


「まさか、普通に会話が出来るとは思わなかったな……」

「何を言うか。人間よりも長く生きてきた私が、人間に劣るわけがあるまい」


 フンッと小馬鹿にするように鼻息を零した魔王は、マントの下に隠された膝をゆっくりと折った。近付く顔は、それでも尚ダンテよりも高い位置にある。


「人間が好きだ。だから合わせてやっているに過ぎんよ」


 ダンテはこの瞬間、モンスターの生き方を思い知った。

 街の外にいるモンスター、ダンジョンで待ち構えるボス、君臨し続ける魔王。皆、人間など簡単に屈服させる力を持ちながら、その足並みを合わせることで人間との時間を楽しんでいる。

 理由など至極簡単なこと。人間が好き、ただそれだけのために。

 唖然と立ち尽くしたダンテに、魔王はくっくと肩を揺らした。


「勇者ダンテよ、貴様の幸福とはどこにある」

「幸福……」

「我らの幸福はこの時よ。勇者を待ち、勇者と闘う。相手が強ければ強いほど、我らも力を発揮できる」


 魔王はマントの下から細腕を出し、目の前で拳を作ってみせる。パッと手を開くと、キラキラと光の粒子が舞った。

 これが、モンスター特有の精神力によって生み出された「魔法」と呼ばれる力の一端だ。


「……貴様は、この場を他に譲っても良いのではないか。貴様の幸福は、他にあろうよ」

「他に……」


 勇者として生きる事、それがダンテの全てだった。闘い、力を得て、その力でまた闘い、魔王を繰り返し討伐する。

 素材やアイテムも必要以上に揃った。既に財産として申し分もない程に。それでも尚、勇者で在り続けるつもりだったダンテの未来図は、たった今引き裂かれた。

 彼等の生き様を知って尚、剣をぶつけることは出来ない。


 ダンテは握り締めていた剣を腰帯へと戻し、ふーっと大きく息を吐き出した。体の中身を入れ替えるように、深く吐き、そして吸い込む。


「……はは、魔王に説教されるとは。でも、何となく、そうだな、体が軽くなった気がするよ」

「そうか。それならば、口を開いて良かったというものよ」


 ダンテはその日初めて、魔王と剣を交えることなく背を向けた。無防備な背を狙う悪者など、どこにも存在しない。

 この瞬間から、ダンテはモンスターに刃を向けることを辞めたのだった。




 それから一年。


「ダンテ先生! おれの剣、見てくださいっ!」


 スライディングする勢いで飛び込んで来た少年が、ダンテに向けて切っ先を突きつける。ダンテが渡した対モンスター用の武器だ。

 それに驚いたのだろう、ダンテの後ろで寛いでいたソウヨクトラがぐるるっと低く唸った。


「ソウヨクトラかっけぇー! おれも、いつか絶対仲間にするんだっ」


 これまで一緒に闘ってきたパートナーである羽の生えた白い虎は、子供の騒々しい声にフンッと鼻息を荒くしてそっぽを向く。

 闘いを離れた今、この強い相棒が力を発揮する時はなくなった。

 忘れたことはないあの魔王の言葉に、ダンテは迷う。モンスターの幸福は、闘うことにある。それがこの相棒にも当てはまるのなら、このモンスターは今をどう思うのか、と。


「……お前は、きっと闘いたいんだろうな」


 ひそめた声に、ソウヨクトラの尖った耳がピクッと動く。のそりと顔を動かしダンテを見上げた金の瞳は、そのまま真っ直ぐに遠い空を見据えた。

 まるで、あの日々を思い返すかのよう。

 ダンテは「そうか」と力強い背中をぽんと叩き、細腕に剣を携える少年に目をやった。


「ユージン、いつか君に譲ろう」

「えっ、なんですか?」

「君が十分にモンスターと闘えるようになった頃には、この子を君に譲るよ」

「えっ! ホントっ?」


 声変わりしたばかりの少年は、「わーいっ」と少し掠れた声を高らかに上げる。天に突き上げた腕は、同年代の子供達よりも太く、日々のトレーニングの成果をまざまざと見せ付けた。


「安心しろ、相棒。コイツは強くなるぞ、きっと俺よりも」


 ダンテは自身の相棒を見下ろし、その柔らかな感触を確かめるように頭を撫でた。嬉しそうに目を細めた獣は、ダンテの体に擦り寄り、その毛並みを押しつける。


「ダンテさん、ごくろうさまです」


 そうしてモンスターと戯れていたダンテは、はっと声の方へと振り返った。

 腰にかかる長い黒髪がなびき、ふわりと甘い香りが辺りを包む。ダンテは引き寄せられるように女性へと駆け寄った。


「いつも、ユージンに指導してくださって、有難うございます」

「いえ。彼は飲み込みが早いから、教え甲斐がありますよ」


 ユージンの姉であるソフィは、実家の薬屋の手伝いに日々忙しそうだ。買い出しに出て、店頭に立ち、やってくる勇者達に励ましの声をかける。


「姉ちゃん! 俺、ダンテさんとソウヨクトラをもらう約束したんだっ」

「やだ、そんな……。ごめんなさい、ユージンが無理を言ったのでしょう?」

「いえ、むしろ、この子のためなんです。気にしないで」


 ダンテがくしゃりと美しい毛並みの頭を撫でると、ソフィは安心したように胸を撫で下ろした。

 恐る恐る、ダンテの横に鎮座する獣の顔を覗き込み、ふふっと小さく笑う。「嬉しそうね」と「良かったわね」とまるで犬猫にするように声をかけ、ソフィーは体を起こしてダンテに目を向けた。


「あの、またモンスターとの話を聞かせてくださいませんか? 私、魔王にも……いえ、モンスター達、皆にそれぞれ心があるんだって、気付けたことが嬉しいんです」


 目を細めて微笑むソフィーの眩しさに、ダンテは思わず身震いした。勇者として全国を駆け回った頃にはなかった感覚だ。


 あの日、魔王との闘いを止めた日。

 暗闇を歩き出したダンテに、真っ先に声をかけたのが、ユージンという名の少年だった。勇者ダンテに憧れを抱いた少年は、出会いを喜び、弟子にしてくれと危険な刃物を握っていた。


 ダンテがそんな少年に、対モンスター用の武器を渡し、モンスターとの闘い方を教えたのは自然の流れだ。

 ダンテの期待通りに、ユージンがモンスターと闘える程の力をつけるのに時間はかからなかった。剣の扱い、身の守り方は勿論のこと。彼は、大事なモンスターへの気遣いも忘れなかった。


 それは、恐らく彼の姉の影響もあっただろう。

 姉のソフィが抱くモンスターへの興味は底知れず、手荒な勇者によって深手を負ったモンスターの治療や保護を積極的に受け入れていた。

 その二人を傍で支えながら、ダンテの新たな未来図はすっかり描き終わっていた。




 それから、更に数年が経過する。


「ユージン、あんなに無駄に飛び回って……」


 青空を見上げるソフィは、少し疲れた様子でフゥッと息を吐いた。

 出会ってから二年、ダンテはついに、パートナーをユージンへ譲った。ユージンは心底嬉しそうに瞳を輝かせ、いてもたってもいられないと空を飛び回っている。久々に勇者を背に乗せた喜びに、大きな翼も張り切って羽ばたいている。


「よほど嬉しかったのね。憧れのダンテさんから、パートナーを譲り受けたんだもの」

「あぁ……アイツも嬉しそうだ。闘いたかったんだろうな」


 暫くは闘いの機会なく、すっかりくたびれていた元パートナーだ。

 疲れた毛並みは、若々しく光り、太い尾までぶんぶんと左右に振れている。

 ダンテに、後悔も未練もない。満足げに空を見上げていたダンテの腕に、細い手が控えめに絡んだ。


「ダンテさん、私、モンスター相談員になろうと思うの」


 視線をソフィに移動させたダンテは、思わず息を呑んだ。

 線が細く儚げな彼女が、凜とした顔付きでダンテを見上げている。柔和で優しげな声音にも、今ばかりは太い芯が備わっている。


「……覚悟を決めたんだね」


 ダンテの言葉にも、ソフィは強く頷く。

 ソフィの決意。それがこんなにも強く太くなったのは、実家の薬屋を誰が継ぐのか、散々もめたからだ。

 だからこそ、誰にも曲げられない程、揺らぎないものになった。


「心配しないで。君のお父様の薬屋は、俺が継ぐから」

「ごめんなさい、私ばかり、好きなことをさせてもらって」

「何言ってるんだよ。俺は今、君と一緒になって幸せなんだ。君のために、何だってする」


 互いに向かい合い、見つめ合って微笑み合う。

 ダンテは自然とソフィの髪を指で梳き、暖かな頬に掌を重ねた。


「そうだ、ソフィが預かってきたあの卵、最近動くんだよ」

「ほんとう? 良かった、順調に育ってるのね。モンスターだって、産まれた時に親がいなかったら寂しいはずだもの……」


 ダンテが切り出したのは、数日前、ソフィーが持って帰ったモンスターの卵のことだ。

 母親モンスターは心ない勇者によって傷つき、保護されたのだという。残された卵を気にかけ、胸に抱いて帰ったソフィは、すっかり母親の顔だ。


「親のオウムモドキのためにも、立派な子に育ててあげないとね」

「……あぁ、家族がもうすぐ四人になるんだ、楽しみだね」


 ダンテはソフィの肩を抱き寄せると、そっと腹部に手を寄せた。触れただけでは実感もない、もう一つの命。

 次の春には、きっと賑やかで慌ただしい毎日が始まっているはずだ。ダンテは思いを馳せるように、遠く広がる青空を見据えていた。




「と、まあそんな感じで」


 へらっと笑いながら言うダンテに、リコラは未だ放心状態のまま硬直していた。


 モンスター相談員であるアンナの話を聞いた後、リコラはソウヨクトラの背に相席して実家へと戻った。

 共に村へと降り立ったものの、ユージンは遠慮がちな態度で「パトロールして来るよ」と森へ向かい、家には上がっていない。

 

 そして親子二人とオウムモドキの水入らずで聞いたのは、十六年間、リコラが知らされていなかった真実。

 それは少しずつ、時間をかけてリコラの中に染み渡った。


「ユージンさんって、私の伯父さんだったのっ?」

「お、まずそこにいったか」


 勢いのままに立ち上がり、テーブルに手をついて上半身を突き出す。ダンテは尚も落ち着き払った様子で、ただ、何か懐かしむように頬を緩めた。


「初めて会った時は、まだ今のリコラよりも小さくて、やんちゃな子だったよ。僕に憧れてるんだって、キラキラした目で語ってくれてね」

「そ……なんで教えてくれなかったの?」

「いや、隠していたわけじゃないよ。暫くは縁も切れていたから……言い出すタイミングがなかっただけかな、たぶんユージン自身も」


 何となく納得がいかず、リコラは唇を尖らせて席についた。

 しかし、これまでのユージンの振る舞いには納得がいく部分もある。あれほど優秀で、多忙な人が何故、というリコラの疑問の答えはこれだ。

 ユージンにとって、リコラは若くして亡くなった姉の娘、姪だったのだ、と。


「おい! ダンテ、全然厳選してねーじゃねぇかっ! オレは親なしの可哀想なモンスターだったたけかっ!」


 リコラの肩で大人しくしていたオウムモドキは、ばさばさと跳び上がるや否や、ダンテの顔面に飛びかかった。


「あいたたた、げ、厳選した、って言ってたっけ」

「言った! 騙しやがったなぁ!」


 クソーッと高い声を上げ、ブーメランのようにリコラの肩へと戻ってくる。それでもオウムモドキの鬱憤は晴れないのか、冠羽を広げ、体を膨らませた。


「お父さん、お母さんは……病気、だったんだよね?」

「うん。リコラを産んで少し経ってから、発症して、そのまま」


 リコラは自分の母親の事とは言え、不謹慎にも安堵した。一人の命と引き換えに産まれたのだとしたら、リコラは自分を責めずにはいられなかっただろう。


「お母さん……モンスター相談員を目指してたんだね」

「結局、叶わなかったけどね」


 ダンテの撫でた肩が、更にストンと落ちる。テーブルの上で祈るように重ねていた手が僅かに震え、それを隠すようにテーブルの下へと消えた。


「リコラがモンスター相談員になると豪語した日は、本当に驚いたんだよ。親子は、やっぱりどこかで繋がってるんだなあって」

「うん、私も凄くびっくりした」

「本当はリコラにはもっと安全な場所にいて欲しいけど、こればっかりは、止められないよね」


 一瞬歪んだダンテの顔に見えたのは、妻の無念だ。新たな日々を語り合った、始まる目前で失われた未来。


「リコラ、辛いこともあると思う。上手くいかないこともあるだろ。でも、失敗は必ず次に活きる。いいか、繰り返さない失敗はした方がいいんだよ」

「……お父さん」

「自分に負けるな、リコラ」


 厚みのある父の声に、リコラの背筋がピンと伸びる。

 これからどうすれば良いのか、その回答はまだ出せない。しかし、ただの迷い子ではない、自分の道を選ぶことくらいは出来る。

 リコラは呆けた顔を引き締めると、オウムモドキの頬に指先で触れた。


「オーちゃん、これからも一緒にいてくれる?」

「へっ、そんなの当たり前だろ。危なっかしくて放っておけるかっての」


 色の異なる目を合わせ、形の違う顔で笑い合う。

 リコラの笑顔を前に、ダンテは視線を窓際に移してから、にっこりと微笑んだ。

 窓際の棚に置いた写真立て。その中では、ソフィがリコラと同じ顔で見守っていた。

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