第15話 街(1)

 白い壁の家々、背の高い建物。華やかに着飾った人々は、立ち並ぶ店に吸い込まれていく。店頭を飾る繊細な装飾、人為的に植えられた木々や花、行き交う人の群れ。

 見慣れた村とは色彩や雰囲気、そもそも技術や文化が異なる街で、リコラはきょろきょろと辺りを見渡しては感嘆の溜め息をつく。


 午前の十時、いつもなら小屋でモンスター達を待つ時間だ。

 匂いの異なる爽やかな風が吹き、リコラのワンピースが躍る。黒いパンプスは馴染みのない固い地面にコッコと音を鳴らし、リコラは戸惑いながらも歩を進めた。


「今日は付き合ってくれて有難う」


 低い声が上から降り注ぎ、リコラは慌ててシャキッと前を向く。

 さりげなく先導するように半歩前を歩くのは、モンスター警察であるユージンだ。

 いつも連れている白い虎はおらず、紺のかっちりした制服も纏っていない。プライベートのユージンは普段よりも砕けた雰囲気で、柔和に目尻を下げた。


「あのナーガとその場で約束を取り付けたはいいものの、女性の好みなんて分からなくて。はは、情けないな、困ってたんだよ」

「わっ、私で良かったんでしょうか……。お洒落とか、普段全く気を遣ってないのに」

「そんなことないだろう。今日だって可愛いよ」


 場違いな子供じみたワンピースと、髪に差した花を見て、ユージンは甘ったるい文句を放つ。

 これまた馴染みのない状況に、リコラはボッと顔に熱をたたえた。


「いっ、イテテテテッ! 鞄を握るなこのバカッ」


 あまりの緊張にきゅっと握り締めた鞄から、バサッと淡い黄色の冠羽が飛び出す。続いて覗いたエメラルドグリーンの顔は、暑苦しかったのか疲れた様子で、へなりと鞄の縁に乗せられた。


「おーい、お前さんいいのかぁ? こんな年端もいかない女を口説くなんてよ。ダンテが知ったら殴り込んでくっぞ」

「ハハ、口説くって。大丈夫だよ、ダンテさんには言ってある。丁重に娘さんをお預かりしますってね。それに親子みたいな年の差で、その発想はないだろう」


 彼女に失礼だ、と笑うユージンに、オウムモドキですら毒気を抜かれた様子で「はぁ」と間抜けな声を零す。

 ユージンはそれでも尚、爽やかな風を吹かせることをやめず、リコラのポニーテールを結び目につけられた三輪の花を見て、優しげに口角を上げた。


「それにしても、その髪飾り、リコラちゃんの髪色に凄く似合っているね」

「あっ……有難うございます。これ、黒騎士さんがくれたんです。私に似合うって。嬉しかったから、樹脂で固めたんです」

「そうか、あの子が。君のことをよく分かっているんだね」


 あの日、落ち込んだリコラに手渡された花は、黒騎士からの初めてのプレゼントだ。そのまま枯らせてしまうのは惜しく、リコラは特殊な樹脂で固めて髪飾りにしていた。


「そ、そういえば、ユージンさんはどうして、ナーガさんに髪飾りを贈ることにしたんですか?」

「あぁ、今リコラちゃんを見て安心したんだけど……あの子も喜ぶんじゃないかと思ったんだよ」


 リコラは思わず髪飾りに手を重ね、気恥ずかしさに俯いた。無邪気に喜び過ぎただろうか。


「あのナーガは人間の女性と同じような感性を持っていたんだ。退屈で窮屈な生活の中、人間に向ける視線は嫉妬に似ていた。だから、女性が喜ぶものを贈れば、気が紛れるんじゃないかと思って」

「そう、ですね。ナーガさん、待つのも退屈じゃなさそうでした」

「あぁ、そうみたいだね。安心したよ」


 そっと固まった花に触れるリコラを、ユージンは父のような視線で見下ろす。

 その視線に気付いたリコラが笑みを返すのとほぼ同時に、通りすがりの女性が間に割って入るかのように「ご苦労様です」と声をかけてきた。


 それだけでは済まず、すっかり女性達に囲まれたユージンは、あれよあれよと身動きが取れなくなっていく。

 全国的に飛び回っているユージンの知名度は、もはや有名人のそれだ。

 応援や労いの声をかけてくる人の年齢は幅広く、特に若い女性は目元をうっとりとさせてユージンに握手を求める。


 今のこの「見知らぬ少女を連れている」状況すら、仕事の延長と見られる理由は、二人の年齢差だけではないだろう。


「うわ、うわわ、ユージンさん、すっごく信頼されてるんだね。なんで私なんか誘ってくれたんだろう?」

「リコラ、勘違いすんなよ。リコラなら連れてても親子だか妹だかにしか見えねぇしな。丁度いいってだけだろ」

「そっか。恋人に見えちゃったら、大騒ぎになりそうだもんね」


 容姿端麗、質実剛健。それでいて独身なのだから、世の女性が放っておかないのも無理はない。

 リコラは「そうだよねぇ」と重ねて相槌を打ち、オウムモドキの柔らかな頭をくりくりと撫でた。


「ごめんリコラちゃん、待たせたね。さ、行こう」


 大きな体をへこへことさせながら、ユージンが戻ってくる。さすればスマートに半歩前に立ち、環境に慣れないリコラを安心させるように倒した掌で店へと誘導した。




 大人びたお店に入り、二人でナーガの特徴を思い出し、語りながら商品を手に取る。これは違う、あれも違う。色合い、形、サイズ。簡単とは思っていなかったが、意外にも難航し、気付けば午後。


 ユージンの手には、シックな紙袋が一つ増えている。

 選んだのは、白とゴールドの花弁にパールのあしらわれた髪留め。あのナーガのイメージとは異なる清楚なチョイスだが、ナーガの髪色によく似合うだろう。


「選べて良かったよ、有難う、リコラちゃん」

「そんなっ、私の方こそ! 洋服が欲しいって、依頼を受けたのは私なのに……」


 ユージンの紙袋には、リコラが選んだ服も一緒に入っている。

 動きやすさも意識して選んだ、ハイネックのノースリーブだ。髪飾りとは対称的に黒色の、首から胸元にかけてレース生地になっているそれは、ナーガなら素敵に着こなすだろう。

 必死に頭を回して選んだのはリコラだが、それを買ったのはユージンだ。店員である女性は、女物を買うユージンにショックを受けた様子だった。


「髪飾りを贈るなんて俺が言ったのがきっかけだろう? 俺が巻き込んだようなものなんだから、当然だよ」

「すみません、何から何まで……」

「いーんだよ、リコラ。未婚男性なんて、金の使いどころに困ってるはずなんだからな」


 外に設けられた椅子に腰掛けるや否や、顔を出したオウムモドキが毒舌を炸裂させる。リコラは慌てて「コラッ」と鞄の中にオウムモドキを押し込んだが、近くを通った女性数人の集団は、心なしか顔をしかめてリコラをじとっと睨んだ。

 当人のユージンは「仲が良いんだね」と笑うが、居たたまれない想いだ。


「……そ、そういえば、この街はモンスターがいないですね」


 ぐるりと辺りを見渡してもそう、この数時間を通してもそう。モンスターを連れている人は見かけていない。

 ふと、そう切り出すと、ユージンはやや間を開けてから、スッと息を吸い込んだ。


「そもそもこの街には、勇者のための装備屋や薬屋、休憩所なんてものがなかっただろう? モンスターや勇者といった存在とは隔たれた街といってもいいかもしれないね。ほら、あそこ」


 ユージンが目線で誘導した先には、犬を連れ歩く人がいた。

 普通の動物が生きる場所では、モンスターは受け入れられにくい。特別な精神力で火や風や水を扱えるモンスターは、普通の動物にとって脅威でしかないからだ。


 モンスター側のルールで「勇者以外への攻撃は禁止」と決まっているが、それを守らせるのは人間の仕事だ。接触しない、させない。そういう状況作りも重要とされている。


「俺の仕事もリコラちゃんの仕事も同じだ。モンスターは敵じゃない、共存できるんだってことを周知するために、守るし罰する必要があるんだよな」

「……そう、ですね」

「リコラちゃん?」


 リコラの頭の中に、散り散りになったはずの重い感情が戻ってくる。

 人とモンスターが共存していくために敷かれたレール。外れないようにと足元を見れば見るほど、その道が人間のそれよりもガタガタで錆びていることに気が付いてしまった。


 リコラの視線がオウムモドキに跳ね上がった冠羽に落ちる。膝の上で握った手は自然と力み、黒い瞳が心配そうにリコラを見上げた。


「……私、どうしてもモンスターに窮屈な想いをさせてしまうんです。ルールの中で、モンスターも人も、どちらも幸せになることは、本当にできるんでしょうか……」

「うん。それも、俺達次第かもしれないな」


 ユージンは、思案することもなく答える。

 経験の差か、それとも知識の差か。悔しいのか悲しいのかも分からず深く俯いたリコラに、ユージンはフッと吐息で微笑んだ。


「リコラちゃん、君を連れて行きたい場所がある。もう一カ所、付き合ってもらえるかな」

 

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