第14話 ネムリネコと勇者ファースト(2)
ネムリネコの尾が、ぴんっと立って揺れている。どうやらリコラの対応を、それなりに喜んでくれたようだ。
先導に従って行くと、一人の若い男性勇者がうろうろと草むらを歩いているのが見えた。
勇者らしからぬ軽装だ。ぴょこと別のネムリネコが飛び出すも、顔をしかめて距離をとる。続いて赤い鳥の姿をしたアカカラスが飛び出すと、剣を振るって勝負を挑み、勝利はするものの小さく舌を打った。
「……確かに嫌な態度だね。分かった、話聞いてきます」
リコラはネムリネコにそう告げてから、木々をかき分け表へと出た。
その音に振り返った勇者は、心底驚いた様子でギョッと目を見開く。そんな彼にも「こんにちは」と頭を下げると、リコラは少しばかり緊張しながら近付いた。
「すみません、ちょっと話を聞きたくて。今、何をしてるんですか? 素材集めかなって、思ってるんですけど」
「はあ、そうだけど」
リコラは自分の予想が当たっていたことに安堵し、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。実はその……モンスターさん、出ていっても勇者さんに嫌な顔をされるのが嫌だって言ってて。つまり、えっと、今探している素材ってなんですか?」
しどろもどろのリコラに、ますます勇者の顔付きが険しくなる。非正規の裏側から出てきた少女を怪しんでいるのだろう。
眉をひそめながらも、何かを期待するのか「カラスルビー」だと男が零す。
それは、アカカラスが落とすアイテムのうちの一つだった。カラスルビーはアカカラスが羽の内側に抱えている宝石のことで、非常に高価なレアアイテムだ。
「う……ううん、分かりました。ちょっと話してきます。今回、一回限りですからねっ」
リコラは再び相談主であるネムリネコのもとへと戻り、こそこそと声を潜めて勇者のことを伝えた。周りに気を遣うような声音は、目的の代物を聞けばアカカラスが嫌がるだろうと思ったからだ。
しかし、この状況に辟易していたのは彼等も同じ。
ネムリネコがしなやかなステップで木に登りアカカラスへ伝達すると、アカカラスは迷うことなく、羽に嘴を差し込んで宝石を取り出した。
リコラも見る機会の少ない代物だ。
光を反射してチカッと瞬く赤。うっとりと見上げたリコラは、アカカラスがそれを勇者に向けて放り投げるのも呆然と見送っていた。
「……へっ、」
驚いたのは、勇者だけではない。リコラは思わず口を掌で押さえ、ぶんぶんっと首を横に振った。
「だ、ダメだよっ! 戦って負けたときに渡さなきゃ……」
アカカラスもネムリネコも、不思議そうにリコラを見ている。その二つの視線は先の勇者に移り、立ち去るのを見ると嬉しそうに高い声を上げた。
「ち、違う……、これじゃあ、ただのプレゼントだよ」
リコラは足先から凍り付いたように動けなくなった。
勇者はモンスターと戦うことで経験値を得る。素材を含むドロップアイテムを手に入れるか否かは運だ。
モンスター達に課せられたルールは、程良く、適度に、ランダムで自身の持っているモノを渡すこと。当然、敗北が条件となっている。
「私がルール違反を仕向けた……? ど、どうしよう、ごめんなさいっ! お願いだから、こんなやり方、二度としないでっ」
ルールのことを念頭に置いていれば、間違った対応だということくらい容易に判断できたはず。自分で自分が信じられないような、初歩的なミスだった。
リコラは、モンスターに寄り添わなければと必死で、冷静さを欠いていたのだ。
愕然とするリコラに対し、ネムリネコは「分かってる」とでも言いたげな顔で、リコラを見下ろし「ナーァー」と甘い声で鳴く。
リコラが破らせることを、もとより期待していたかのよう。
「……これで、良かったの、本当に……?」
結果的に、リコラはモンスター達が望む判断を行ったのだ。現に、ネムリネコもアカカラスも、かの勇者を追っ払えたことに満足している。
「よ、良かった、のかな。そうだよね、解決したんだもんね……?」
自問自答を繰り返しながら、リコラは足を引きずるように小屋へと引き返した。
間違えた。間違えていない。正しかった、誤った。自分の中で、二つの感情がぶつかり合っている。
正当化だ、いや現実だ。あの子達は、確かにこれを望んだのだ。他に方法は、なかったに違いない。
「ねぇ君、そこにいるんだろう?」
リコラの絶え間ない思考を、ひょうひょうとした青年の声が遮った。
ハッと顔を上げると、木々の向こうから、手招きする先程の勇者が見える。
「さっきは有難う。次はネムリネコの爪をお願いしたいんだけど」
勇者の言葉は、がつんとリコラの頭を殴った。
胸はどくどくと早鐘を打ち、息苦しさがリコラを襲う。それでも何とか緑をかき分け表に出ると、勇者はぱっと嬉しそうに笑みを見せた。
「また長くかかりそうだからさ、モンスター達に伝えてよ」
「わ、私がやったのは、モンスター達が困っていたからであって……貴方のためじゃないんです」
「結果は同じだろう? またアイテムが手に入るまで居座ってたらモンスター達も嫌がって、オレも面倒。また君が助言してくれたら、ウィンウィンじゃないか」
勇者の言い分は、至極真っ当なものに思えた。リコラには、それを否定する理由が見つからない。
勇者は素材を欲している。モンスター達はそんな勇者の対応を嫌がっている。それならば、目的のモノをさっさと勇者に渡してしまえば済むのではないか、と。
「ー……と、とにかくダメなんです。モンスターからの相談でないと、ダメなんです」
リコラは自分の思考に首を振ったが、説得の言葉は空っぽのままだった。効果のない凄みを前に、その勇者はあからさまに不機嫌な面持ちで舌を打つ。
「なんだよ、アンタがやったことだろ」
そうして吐き出された一言が、リコラの胸に深く突き刺さる。言い返す言葉が見つからない。全面的に自分が悪い。それを分かっているからだ。
口を薄く開けたまま、時だけが過ぎる。数秒でさえ耐え難い。早く諦めて帰って欲しい、ただそれだけを祈り、リコラは目を閉じて押し黙った。
「仕方ねぇな、おいリコラ退けっ!」
その閉じた視界の向こうから聞こえたのは、しゃがれた少年の声。
先の見えない暗闇に光を与えたのは、オウムモドキだった。
「コイツが悪かった。それは先に謝るけどよ、それはそれだ。お前さんよぉ、そんなことお前さん“だけ”に許すわけねーだろっ」
頭上を飛ぶオウムモドキに、若い勇者は呆気にとられている。それを知ってか知らずか、オウムモドキは矢継ぎ早に続けた。
「やってくる勇者全員に、そんな都合の良い対応してみろ。そのルビーは貴重品か? 頑張ったヤツだけ手に入る代物だから価値があるんだろ。そのルビーの価値にあやかりてぇんなら、そいつを有り難く思って帰りな。二度はねぇッ」
「な、なんだよ、その子が悪いんだろっ! オレは欲しいものを伝えただけ……」
「そうだ、だからそれだけ持って、さっさと帰れっつってんだ!」
オウムモドキの言い分に、男は不服そうに顔をしかめる。正論だという納得はあるのだろう。しかし、怒鳴られている状況を理不尽に思うのか、チッと鋭く舌を打つ。
「お前、モンスター相談員ってやつだろ。こんなガキがそれじゃ、このダンジョンは終わったな」
男性はリコラへと歩み寄った。リコラの胸元にあるバッジに指を突き付け、馬鹿にしたように笑う。
その距離が引き金となったのか、青年の足元が黒いモヤが立ち上った。覆いつくすように広がる闇に、青年は「ヒィッ」と声を上げて尻餅をつく。
肝心のカラスルビーがポケットから転がり落ちたが、勇者はモヤを払うように腕を振りながら後ずさった。
「な、なんだこれ、ガキっ! お前がやったのかっ?」
「そーだぜ。リコラは強ぇんだ、手を出さない方が身のためだ」
「お、おお、オレは悪くないからなっ、そのガキの教育ちゃんとしろよ!」
軽装の勇者でも、このモヤが何かまずいものだと悟ったのだろう。闇に紛れて見えなくなったカラスルビーを追うこともなく、逃げるように走り去った。
草と土とを踏む音が遠ざかると、リコラの体を力ませていた緊張がスッと解かれる。
「……オーちゃん」
「ったく。間抜けなコトしやがって。最近、いろいろあったからな、混乱してたんだろ」
オウムモドキの柔らかな羽が、ぺちとリコラの頬を叩く。
優しい羽さばきを受けてズキズキと痛むのは、リコラの小さな胸の奥。歪む顔を隠すように俯いたリコラの背には、黒騎士の大きな掌。
先のモヤは黒騎士の力で生み出されたものだ。オウムモドキと一緒に、追いかけてきてくれたのだろう。
「黒騎士さんも、ごめんなさい……。黒騎士さん……?」
黒騎士はぽんぽんとリコラの背を撫でながら、もう片方の手をリコラの頭へと近付けた。
黒を基調とする彼の手の中に、彩色華やかな花が握られている。それに気付いて目を丸くしたリコラの髪に、すっと花の茎が差し込まれた。
一つ、二つ、三つ。白、桃、黄。寄り添うように、キラキラと光の粒子を纏う花がリコラの亜麻色の髪を飾る。
「それが似合うってよ」
「……有難う、ありがと、オーちゃん、黒騎士さん……」
まだ気持ちは晴れない。立ち直るのには時間が必要だ。それでも、リコラは自身の髪に触れ、はにかむように微笑んだ。
リコラの頬を伝った雫は、己の未熟さを悔やみ憤った証だ。
オウムモドキと黒騎士は顔を見合わせ、自然と互いの定位置へと並んだ。オウムモドキはリコラの肩へ、黒騎士はリコラの隣へ。
三人並んで帰路を歩くさまは、まるで兄妹か姉弟のようで、仲良しの夕暮れのようでもあった。
暗がりに橙色のライトが一つ。
ベッドで眠りについたリコラの表情は、未だ、決して明るくはない。手で擦った名残が目元を赤くし、葛藤の痕跡は消えそうにない。
ととんっとカウンターに飛び移ったオウムモドキは、電話の横に置きっぱなしになっていたメモを見下ろした。数字を小さな頭に焼き付け、受話器を足の爪に引っかけ持ち上げる。
ほら、やっぱり切らなくて正解だ。曲線を描く黒い爪を誇りながら、オウムモドキの嘴は器用にボタンを一つずつ押していく。
プルルと鳴ったのは森のダンジョンには馴染まない電子音。
それが途切れると代わりに聞こえてくる「はい」という低い声が成功の合図だ。
「あー……もしもし」
しゃがれた少年声で受話器に話かけながら、オウムモドキは自身の芸当に酔いしれるように、目を細めていた。
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