第13話 ネムリネコと勇者ファースト(1)

 ぐーっと天井に腕を伸ばし、眠い目を擦りながらベッドから足を下ろす。

 ぺたぺたと歩くリコラのブラウスはべろんと着崩れ、前髪は左右にぴょこぴょこと跳ねている。怠けた装いのリコラは、開き切らない目元を擦りながら、ザッとカーテンを開いた。

 そうして飛び込んでくる外の景色は、何度見ても圧巻だ。光の粒が幻想的に舞っている様を目にしたリコラは、ほうっと溜息をついた。


「うん、今日もいい天気だ」


 思わず零した言葉は、自分を鼓舞するためのものだ。

 リコラが思い知ったのは、勇者ファーストという現状。ルールで良い関係を築いていると思っているのは人間ばかり。窮屈な想いを強いられるモンスターのことを、リコラですら考えきれていなかったのだ。


「オーちゃん、黒騎士さん、おはよう。もう朝だよ」


 リコラの声かけに、黒騎士はすぐさま赤い瞳を明滅させる。

 オウムモドキは薄ら目を開くも、眠そうに「う~ん」と唸った。数ヶ月前に「鎧のヤツよりも早く起きてやるぞっ」と見栄を切ったことは、既に無かったことになっているらしい。


「昨日の今日で、朝から働かなくたっていいじゃねぇかあ」

「そんなのダメに決まってるでしょ。今日だって困ってる子がいるかもしれないんだから」


 ピシャリと言い返すリコラに、渋々顔のオウムモドキが体をぐいーっと縦に伸ばす。意外にも目覚めてしまえば後は早く、ばさっと壁の止まり木を離れたオウムモドキは、器用に嘴を使ってタンスの引き出しを開けた。


「ん? リコラの服、増えてねーか?」

「あっ、それはその……」


 嘴でリコラの服を食み、ベッドの上にぽいっと放り投げる。

 しわくちゃのシーツに落ちたのは、レースの施されたクリーム色のブラウスだ。続けて取り出されたのは、モスグリーンのスカートに、薄いグレーの縦縞が入ったブラウス。そして胸元にリボンのついた水色のワンピース。

 普段真っ白のブラウスを仕事着としているリコラからすると、それなりに洒落た服たちがベッドに並べられた。


「それは、ほら、ナーガさんが着れるものあるかなあ、と思って。一応、持って来てみたんだけど……」

「あー、なるほどなあ。つっても、なんかちょっと……イメージ違くねぇかあ?」

「だって、私のだし」


 顔立ち華やかで大人な女性風であるナーガを脳裏に浮かべれば、これらの服が「何か違う」ことくらいオウムモドキでも分かる。

 当然リコラも薄々気が付いてはいたが、僅かな期待で持ち帰ったのは、やはり間違いだったようだ。


「ち、ちなみに、黒騎士さんはどう思う?」

「おい、なんでそのカタブツに聞くんだよ」

「オーちゃんよりはユージンさんに近そうでしょ? 大人っぽいっていうか」


 オウムモドキが怪訝そうに眉をひそめたが、リコラは気に留めずとんとんとベッドを叩いた。

 黒騎士の視線がベッドの上を泳ぎ、ゆったりとした所作で立ち上がる。

 不思議そうに首を傾けワンピースに手をかけると、それをリコラの腕へと預け、今度はこくりと頷いてみせた。


「い、いやいや違うってお前さん。リコラが言ってるのはナーガに似合う服……。おい、リコラ、こいつ全然分かってねぇって」


 オウムモドキの指摘を受けても尚、黒騎士はリコラをじっと見下ろしたまま動かない。 


「……え? もしかして、私に着るように言ってる?」

「だからこんなカタブツに聞いたって意味ねぇって言ってんだ」


 逸らされない赤が、チカチカと瞬く。

 リコラは妙な照れくささを感じながら、「じゃあ」とワンピースを掴み上げた。


 父親であるダンテが買ってくれた、余所行きの服だ。こうして相談所を開いてからは着る機会を失った、数年ぶりのワンピース。

 いそいそと着ている服を脱ぎ、ワンピースに足を入れ、袖を通す。ひらりと揺れた裾は、リコラの膝を柔らかくくすぐった。


「へへ、ちょっと子供っぽいかな」

「……まぁ、たまにはいいんじゃねーか? 別に、服装に決まりなんてねぇんだしな」


 白ブラウス縛りは、リコラなりのけじめだ。仕事とプライベートでの気持ちを切り替えるために自ら作ったルール。

 リコラはオウムモドキの心意気に頷き、えへへと緩んだ表情で黒騎士を見上げた。


「有難う、黒騎士さん。なんかちょっと、ナーガさんの気持ちも分かったかも」


 可愛い服を着ても、眠気眼じゃ映えないのは当然だ。ぼさぼさの髪でもダメだろう。髪型も、髪飾りも、見合うモノを選ばなくては。

 そんな気持ちが、リコラの胸の内にも芽生えている。


「このワンピースなら、いつものリボンじゃなくって……きっともっと似合うのがあるよね。こんなこと、考えたことなかったなぁ」

「へぇ、そんなもんかぁ? 女ってめんどくせーなぁ」


 リコラはぱたぱたと洗面台の前へ移動すると、顔を洗い、普段よりも丁寧に髪の毛を整えた。前髪を横に流してみたり、後ろ髪を下の方で二つに結わいてみたり、くるくると手で巻いてみたり。

 結局いつも通りに結わくと、「やっぱり難しいね」と肩を竦めて笑って見せた。

 



 そんな朝を過ごし、窓口を開放して暫くした頃。

 とんとん、とドアをノックする音に、リコラはしゃんと背筋を伸ばす。顔を見せた今日の悩めるモンスターは、ネムリネコという獣型のモンスターだった。


 常に眠そうに目を半分閉じたような面持ちのネムリネコは、まさに寝起きのリコラのような顔付きだ。ククッとほくそ笑むオウムモドキの頬を突いてから、リコラは「こんにちは!」と大げさな笑顔を向けた。


 ネムリネコは椅子に軽やかなステップで跳び乗ると、欠伸のような間延びした声で訴える。

 頷き聞くオウムモドキは、ふうんと退屈そうに相槌を打った。


「嫌な勇者がいるってよ。相手を選んでて、出ていっても嫌な顔をされるから早く帰って欲しいんだと」


 それは、割と良くある相談の一つだった。

 勇者がダンジョンに来る主な理由には「経験値を積む」「ダンジョン攻略の称号を得る」のほかに「素材集め」がある。

 特定のアイテムを目的に来る勇者は、その素材を落とす可能性のあるモンスターを選びがちだ。


「ごめんなさい、たぶん特定の素材を狙っている勇者さんだと思うんですけど、だからって無視するわけには、いかないというか……」


 勇者が目的とするモノを察して対応するにしても、その境目の判断が難しい。いつから、何回、いつまで。

 モンスターとの戦闘回避に関する上限のルールがない以上、仕方なしとして受け入れる他ないのだ。


「勇者は相手を選ぶのに、オレ等はダメなのかってよ」

「そ、それは……」


 ネムリネコは目元を心なしかつり上げ、二股の尻尾をぱたんぱたんと大きく揺らして不服を唸っている。

 無意識にも、そこには勇者ファーストが根ざしていた。残存する不公平。それを当然だと思っていた自分に嫌気が差し、リコラはきつく下唇を食んだ。


 もっと相談員としてモンスターに寄り添わなくては。

 リコラの頭の中はぐるぐると渦巻き、沈黙をネムリネコが唸り声で引き裂くものだから、余計に焦ってまとまらない。

 ついにリコラは、「分かりました」と口走った。


「じゃあ、じゃあ私ー……そうだっ、その勇者さんに何が目的なのか聞いて見ます。それで、手渡して、満足して帰ってもらいましょう?」

「お、おいリコラっ」


 リコラの提案にオウムモドキが焦燥感を帯びた声を上げる。制止を訴える声音だ。

 しかし、目の前の悩めるモンスターに急かされるように、リコラは「ちょっと行ってくる」と立ち上がった。

 これ以上モンスター達に幻滅されたくないという一心が、リコラを急き立てていた。

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