第12話 厳選漏れのアオツノムシ(2)

 どさっと大きな段ボール箱を床に下ろし、リコラははぁ~っと大きく息を吐いた。

 数日ぶりに帰った実家に運んだ段ボール箱は二つ。見た目に反して重くはないが、わさわさと蠢く音と振動が、リコラの疲労をどっと倍増させた。


「ごめんね、お父さん。森に置いておくわけにもいかなくって」

「いや、構わないよ。そういう問題が起こっていたのも知っているしね」


 リコラの隣に立ったダンテは、段ボールを見下ろして困り顔を浮かべる。

 森に放たれたアオツノムシは全部で三十。それらの対処を考える時間は少なからず必要になる。その間も、森に放置するわけにはいかず、かといって小屋は狭すぎた。


「さすがに数が多いし、一カ所に放っていいのか、分散させた方がいいのかとか、考えちゃって」


 遠目にうかがうオウムモドキに対し、ダンテは箱を開いてアオツノムシ達に「こんにちは」と頭を下げる。

 入れ替わりに箱の上部へ顔を出すアオツノムシ達は、新鮮な空気にか、ダンテの雰囲気にか、嬉しそうに目を輝かせた。


「リコラ、この子達を皆どこかの郊外に放つつもりかい」

「えっ、うん。そのつもりだよ。パートナーが解消されたモンスターって、そうするのが普通だよね」


 ダンテが「まあね」と頷きながら腰を伸ばす。

 その細腕には、もっちりとした青い体が絡みつき、よちよちと肩の方へと這い上がった。


「この子に出来ると思う?」


 ダンテが指で自身の肩をとんっと叩くと、アオツノムシは嬉しそうに顔を寄せる。愛玩モンスターとして、正しい仕草だ。

 人に愛されたいと言う想いを持つ、人のもとで産まれたモンスター。それは果たして、対峙した勇者との戦いを楽しめるのだろうか。


「で、でも……」

「オウムモドキの通訳がなくたって、この子達の意志を読むことくらい出来るだろう? この子は、あの子は、あっちの子は、どうしたがってる?」


 リコラは父の真剣な面持ちを前に、ごくりと喉を上下させた。 

 普段穏やかな人だからこそ、こういう時に突き刺さるものがある。元勇者、リコラよりもモンスターと勇者の関係を良く知る人。

 リコラは箱から出ずに大人しくしているアオツノムシを一瞥し、ぱっとドアの方を振り返った。


「あ、わ、私……」


 そしてもう一度ダンテを向き直り、ぎゅっと拳を握る。


「私、ちょっと行ってくる!」


 決意に満ちたリコラの声に、ダンテの肩でくつろぐ青い塊がビクッと跳ね、ダンテは力強く頷いてみせた。

 たっと軽やかに駆け出すリコラの背に手を振って、「さて」と振り返るダンテはどこか満足げだ。対してジト目をこしらえるオウムモドキは遠巻きに口を挟んだ。


「回りくどいっつの、ダンテよぉ。他の方法くらい、自分で教えてやってもいいんじゃねぇのかあ?」

「いや。それじゃダメだ。これはあの子が選んだ道だから、答えは自分で見つけて欲しいんだよ」


 父として、モンスターを知る者として、ダンテの在り方は常にこうであった。協力は惜しまず、しかし最後には必ずリコラに選ばせる。

 それは決して、娘が家に帰らない現状を寂しく思うがゆえの八つ当たりではない。断じて。

 頑張れリコラ、でも本当はめげたっていい。そんな本音も秘めながら、ダンテは肩のアオツノムシを指先で撫でた。




 リコラが向かったのは、家を出てたったの数歩、隣の家の前だった。とんとんっとドアを軽く叩き、数秒待ってから呼びかける。


「サーシャ、サーシャいる?」


 壁の向こうから聞こえてくるのは、穏やかで優しそうな「リコラちゃんよ」と呼びかける母の声。続けて「サーシャ、リコラちゃんだって!」と急かすような姉の声。

 最後に「分かってるよっ」という返事が聞こえてくると、間もなくカチャと目の前のドアが開いた。


「ま、待たせてごめん。リコラ、帰ってたんだね」 

「うん、あのね、サーシャに聞きたいことがあって。今少し時間いい?」

「う、うん、勿論構わないけど……」


 サーシャは何かを気にするようにドアを振り返り、「ここじゃちょっと」と声を潜める。

 三年くらい前からだろうか、サーシャはリコラとの付き合いを家族に見られるのを嫌がった。昔は互いの家でも遊んだものだが、こんな調子で、家族ぐるみの付き合いからは遠ざかりつつある。


「少しだけで大丈夫だよ?」

「す、少しだけでもさ。せっかく帰って来たんだし……。ほら、久しぶりに高台の方へ行ってみない?」


 言うが早いか。サーシャはリコラを横切り、家を背にして歩き出した。

 彼の言う高台とは、この村の外れにある見晴らしの良い丘のことだ。幼い頃の二人が、親に叱られた時や悩みがある時に訪れた場所。


 大人しくて怖がりで泣き虫で、リコラよりも小さかったサーシャも今や、すっかり頼りになる青年だ。

 高台へと向かう階段を行くサーシャの背を見上げ、リコラはふっと、胸のつっかえを吐き出した。


「……サーシャ、私、自分が思っていたよりも全然、モンスター達のことを考えられていなかったみたいなんだ」


 リコラの声に、サーシャは振り返ることなく「うん」と相槌を打つ。

 丘のてっぺんへと先導するのは、嘗てはリコラの役割だった。サーシャの泣き顔を見ないように、零れる声に頷くだけ。

 リコラは自身の乾いた頬を撫で、その手でサーシャの背をとんっと叩いた。


「サーシャ? 私、泣いてないけど」

「へっ、い、いや、そういうつもりじゃ……」


 リコラは妙に反応の鈍いサーシャの隣に並ぶと、彼よりも先に最後の一段を踏み越えた。

 眼前に見える青空と、村の風景。変わらない光景に、嘗ての自分がフラッシュバックする。


 小さなリコラとサーシャ。その間にオウムモドキ。

 モンスターを好ましく思わないサーシャと自分に自信を持つオウムモドキは、当時から仲が悪かった。


「懐かしいね。昔はよく一緒に来たのに」

「お互い、忙しくなったから」

「ね。サーシャも、都会に出て働くために、勉強頑張ってるんだもんね」


 サーシャは「まあね」と気恥ずかしそうに言うと、その場で膝を折った。緑の絨毯でサーシャが胡座をかく。リコラはその隣に三角座りで並ぶと、ようやく本題を切り出した。


「今日、聞きたかったことなんだけどね。サーシャって、勇者とモンスターの関係に反対派だったでしょう?」


 リコラの言葉に、サーシャは少しばかりバツが悪そうに頬をかいた。

 もともとサーシャは、リコラがモンスター相談所を始めるという話にも力強く反対を示していた。

 モンスターは人間と離れて生きるべき。それがサーシャの持論であることを、リコラは良く知っている。


「人間の手で放棄されたモンスターは、どこに行ったらいいと思う? 勇者と戦いたくないモンスターにとっての安息の地が、どこにあるのか……私には、分からなくて」


 サーシャは小さく「なるほど」と呟いた。

 知識を掘り起こしているのか、しばしの沈黙の間、サーシャの藍色の瞳が遠く、生い茂る木々を見つめる。

 その表情は真剣そのもので、リコラは自然とその横顔に期待を膨らませた。


「方法は、一つではないよ」


 そうして提示された言葉に、リコラは無意識に背筋を伸ばした。


「例えば、愛玩モンスターを探している人。勇者じゃない人は自分でモンスターを連れて来れない人だろう? だからこそ、安全の保証されたモンスターを欲しがってる。ダンテさんのお墨付きなら、引き取り手は少なくないんじゃないかな」

「なるほど……」

「あとは、最近じゃモンスター広場がいいと思う」


 サーシャと目が合い、リコラは首を傾げ、小さく肩を竦めてみせる。モンスター広場という場所に、リコラは覚えがない。

 無知さを恥じながらも「それって?」と問うと、サーシャも快く足並みを揃えた。


「人とモンスターの触れ合い場っていうと分かりやすい? 戦いを許さず、モンスターと接触出来る場所なんだ。相性が良ければ愛玩モンスターとして連れ帰ることも出来るらしいよ」


 聞き心地の良い中音が、リコラの耳から体の奥まで浸透していく。

 それは安堵の音だった。吹き抜ける涼しげな風と共に、リコラへ喜びを運び、視界を明るく開かせる。


「そんなところがあるなんて……。私、本当に視野が狭かったみたい。有難う、サーシャ」

「いっ、いや、リコラの力になれたのなら嬉しいよ。だって僕ー……」


 リコラは居ても立っても居られず、サーシャの声を遮るかのように勢いよく立ち上がった。


「サーシャ、私先に戻るね!」

「えっ? せっかく来たんだし、もう少しゆっくりしたっていいんじゃないかな」

「ううん、今はなんだか、頑張りたい気分なんだっ」


 唖然とするサーシャに対し、リコラは満面の笑みで感謝を示す。

 リコラとサーシャが異なる考えがあるように、モンスターもそれぞれだ。戦いを好む者、人と触れ合いたい者、ずっとゴロゴロ怠けていたい者だっているだろう。

 リコラは置いてきたアオツノムシ達を思い出し、急くようにサーシャへ手を振り走り出した。


「り、リコラ、頑張って!」


 背に投げられた鼓舞に、リコラは「有難うっ」と一度体を反転させてから、階段を駆け下りていく。

 一段二段、幅の狭いところを飛ばしながら、登った時よりも遥かに早いペースで下ったリコラの息は切れ切れだ。それでも、気分がいい。


 帰宅するや否や、リコラは段ボールの前にしゃがみ、アオツノムシ達一人一人に目を配った。

 ころんと丸くなって寝ているもの、しきりに体を動かすもの、怯えるように隅で小さくなっているもの。顔付きも態度も三者三様、十人十色だ。


「君は戦いたくないよね。そっちの君は大丈夫そう……。分かるのに、無視しようとしたなんて、酷いよね」


 無数の大きな瞳が、リコラにはぱぁっと輝いたように見えた。

 それを確信に変え、リコラは「えいっ」と段ボールをひっくり返した。どさっと転がるアオツノムシに、遠くで「ぎゃあっ」と掠れた悲鳴が上がる。


「皆聞いてっ! こっちの段ボールに入った子は、勇者と戦える草原行き。それで、こっちに入った子は、穏やかに過ごせるモンスター広場行きとするよっ」


 リコラは手で段ボールに触りながら、アオツノムシ達にそう呼びかけた。

 一瞬の沈黙。お互いの顔を見合うような仕草の後、のそのそとアオツノムシ達が動き出した。

 高さのある段ボールに入るために、アオツノムシ達は互いの体に乗り、押し上げるようにして、ころんっと段ボールへ入って行く。


「リコラ、決めたんだね」


 その様子を見守っていたダンテの声は、優しさ八割、甘さ二割。いつもの優しい父親に戻っている。


「ごめんなさい。後のことは、お願いしてもいい?」

「勿論。面倒な手続きは僕に任せて。リコラには、待っている子がたくさんいるんだろう?」


 リコラは自信満々に強く頷くと、続けてえへへとはにかんだ。

 今日も明日も、毎日、相談所に来るモンスターがいる。リコラを頼ってくる、悩み多きモンスター達だ。


「よーし、荷物まとめて、早く帰ろう、オーちゃん!」

「ゲェッ、一日くらい休んだっていいじゃねぇかあ」


 今なら、今まで以上に、モンスターに寄り添った答えを出せる気がする。

 リコラは段ボールの側面で困ったように体を揺らすアオツノムシを一匹抱き上げ、よしよしと柔い背中を撫でた。


「ねえお父さん、そもそもこういう、大量にモンスターを手放す行為は規制できないの?」


 もとはと言えば、人間の心ない行為がなければ起きなかった事態だ。

 指に擦り寄るアオツノムシは、産まれてすぐ、目の前にいた人間にも同じことをしたのかもしれない。


「……それは難しいだろうね。繁殖そのものは合法だし、より強いモンスターをパートナーにすることも、強くなるための手段として認められているし」

「でも、こんなにたくさん……」

「結局、人間ファーストなんだよ。現状のルールはね」


 ダンテが突きつけた現実に、リコラはきつく唇を噛んだ。

 別に驚くことでもない。考えてみれば、リコラですらそうだったのだ。窮屈なモンスター達の想いも察せず、彼等に寄り添った気になっていたに過ぎない。


「……ごめんね」


 柔らかな青の体に頬を寄せ、リコラはそっとアオツノムシを段ボールへと戻した。

 ぎゅうぎゅうと狭い段ボールの中から、たくさんの瞳が救いを求めるようにリコラを見上げている。

 それが息苦しく心苦しく、リコラはしゃがみ込み段ボールの縁に指を引っかけた。


「そっ、そうだダンテ、オレも卵から孵ったよな?」


 この空気に耐えきれず、オウムモドキがそぐわない声音を張り上げる。意表を突かれたダンテが頷くのも待たず、しゃがれた声は矢継ぎ早に続けた。


「やっぱオレって、産まれた時から格好良かったってことか? ダンテだって、パートナーは選んだんだろう?」


 自信満々に胸を張り、羽をばさっと大きく広げて見せる。

 ダンテは開いた口を、一度躊躇うように閉じた。すっと鼻から息を吸い込み、視線は木の壁へ。


「そうだったかもしれないね」

「へっへ、そうだろぉ」


 その瞬間の、錆び付いた歯車のような噛み合わなさにリコラは気が付いていた。

 オウムモドキが心底満足げだからか、ダンテが気を遣って取り繕ったからか、自分の事で精一杯だったからか、ともかくリコラはアオツノムシ達から目を逸らさなかった。


「っいた」


 チクッと指先に感じた痛み。

 目をつり上げるアオツノムシの角が、リコラの肌を刺したらしい。一筋の赤が、ぽたとシャツにシミを作る。


「……そうだよね、不安なのは君たちの方なのに。私がこんな顔してちゃダメだね」


 自惚れでもいい。リコラはその叱咤激励に笑みを返し、よしっと力強く立ち上がった。

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