第11話 厳選漏れのアオツノムシ(1)

 がさがさと背の高い緑をかき分ける。

 リコラの視線は見えない足元に向き、そのせいで行く手を阻む木の枝に額をぶつけたのは幾度か。

 それでも青い瞳は気付くと落ち、ついに頭上を飛ぶオウムモドキが「おいっ!」と声を張り上げた。


「何、オーちゃん」

「何じゃねーんだよっ! 前、前!」 


 えっ、とリコラが前を見たときには既に遅く、べちんとしなる枝が額を弾く。

 リコラは度重なる打撃に赤くなった額を手で押さえ、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。


「いたたた……オーちゃん、ごめん~。間に合わなかったよ」

「お前なあ、ここ最近ボーッとしすぎなんだよ。気掛かりなことでもあんのかぁ?」

「う、ううん……そういうわけじゃないんだけど」


 言葉を濁すリコラに、オウムモドキの瞳がぎろりと光る。

 ここ数日、明らかにリコラの様子はおかしかった。

 背後に立つ黒騎士の存在に気付かず激突するのはまだ良い。相談にきたモンスターに気付かず挨拶を疎かにしたり、体力回復薬だと言って精神力増幅剤を渡したり、仕事にも支障が出ている状態だ。


「ともかく、依頼のモン、さっさと拾って今日は閉めちゃおうぜ? この前の風邪も完治してねぇんだろ」

「だっ、大丈夫だよ、そこまでしなくってもっ」


 リコラの物言いに、オウムモドキはじとっと目元で不審を表す。

 実際のところ、リコラの体調は万全だ。睡眠は十分すぎる程にとれているし、決して頭の重さも体の不快感もない。


 ただ思考がどこか、ふわりと飛んでしまうだけ。気付くと、あの気の強いナーガを思い出し、ぐるぐると考え込んでしまうのだ。


「……どうなったのかなぁ」


 ナーガから聞いた、ユージンとの馴れ初めの一幕。リコラの思考は、やはりその瞬間へとトリップしていた。

 相談所へやって来たナーガは、ほんのりと頬を赤らめてユージンに思いを馳せる。肩を撫でる烈火の髪を指先でいじり、自慢げにフフンと鼻を鳴らした。


「そのユージンが、髪飾りをプレゼントしてくれるのよ」


 予期せぬ状況を聞かされ、リコラが驚愕したのは言うまでもない。オウムモドキと顔を突き合わせ、ぱくぱくと音の出ない口を動かす。

 そんなリコラからの反応を待つ気はないらしく、ナーガは続けて憂いげに溜め息をついた。


「私のこの髪に似合う髪飾り。届けるから、ちゃんと持ち場で待ってろなんて、熱烈な男よね」

「そ、そうなんですか」

「でも、さすがにこんな服じゃ、どんな髪飾りも映えないでしょ。だから、ユージンにもらう髪飾りに似合う服を用意したいの、分かる?」


 オウムモドキが「アイツ……」と屈強な男を思い出して呟く。

 恐らく、気持ちはリコラも同じだった。

 あの人、そんなクサい台詞を言えるのねと。そして、それは警察としての働き方なのか、彼特有の方法なのかと。どっちにしても意外だ。


「じゃ、私は言われた通り持ち場で待ってるから。宜しくね、相談員さん?」


 言い残し背を向けたナーガは、やはり当初の印象と変わって麗しい女性そのものだ。

 ぶんっと揺れた下半身がドアの取っ手を破壊しなければ、リコラもオウムモドキも、うっかり見惚れたまま見送りかねなかった。


「おーい、リコラ?」


 リコラの鼻先をエメラルドの羽が上下する。

 はたと意識の糸を引き戻したリコラは、慌てて「お、落とし物ね」と取り繕うと、さくさくと草の絨毯を歩き出した。


 進行中の依頼は、勇者の落とし物らしき毒の瓶を回収して欲しい、というものだ。

 落とし物を見つけたシシナガタケがモンスターに効く毒だと気付いたのだが、ひょろひょろの腕にそれは重すぎた。周りのモンスターに持って行かせようにも毒だ。


「早く回収してあげないと、何かあってからじゃ、もっと大変だからね」

「っと、アレじゃねぇか?」


 人の掌サイズの小瓶。内容物は深緑の液体。

 リコラの頭の位置で羽ばたくオウムモドキの視線を追ったリコラは、ほっと緩やかに息を吐いた。そうこうしている間に、という最悪の事態にはならなかったようだ。


 たたっと軽やかに駆け寄り、腰を折り曲げて小瓶を掴み取る。

 そのリコラの腕に、むにゅと柔らかな感触がしがみついた。


「ひゃあっ!」


 思わず高い声を上げて尻餅をつく。そんなリコラに「なんだぁっ?」とさすがに焦燥に駆られた声を上げてオウムモドキが急降下する。 

 リコラの腕にぐるりと絡みついた太い青色。ぎょろりと大きな二つの目。額にある鋭い角。


「うげぇ、気持ち悪ィ!」


 思わずそう叫んだオウムモドキが叩き落とすように羽で打つと、青い塊がころんっと転がり落ちる。額の角が地面に突き刺さったらしく、逆さまのまま無数の丸状の足を蠢かせる様に、オウムモドキは重ねて「ぎゃっ」と震え上がった。

 アオツノムシ。この森にいるはずのない、低級のモンスターだった。




 目的のものを回収したリコラ一行は、かくして小屋へと帰還した。

 安息の地である小屋のカウンターには、先のアオツノムシが鎮座している。


「うーん……。困ったな」

「困ったじゃねぇよ、お前が心を鬼にして外に追っ払えば良かったんだっ」


 不服そうに嘴を動かすオウムモドキは、アオツノムシと視線が合うや否や、ぶるるっと体を震わせる。

 このアオツノムシの生息分布は、村や町の外、人里に近い草木だ。少なくとも、このダンジョンにいるはずがない。

 仕方なしに小屋へと戻りがてらアオツノムシを村の方へと送り届けるも、リコラの腕にしがみついて離れなかったのだ。


「でもオーちゃんが言ったんでしょ? 怖いって言ってるって」

「そりゃ言ったけどよぉ、オレ、この手のヤツ嫌いなんだよー。まさか小屋に連れ帰るとは思わねーじゃねぇか」


 オウムモドキはカウンターから距離を置き、ベッドの横に座っている黒騎士の頭に腰を下ろしている。

 その間に、リコラはアオツノムシを白い台の上に乗せ、ピッピと機械を作動させる。待つこと数秒。台の上部のモニターには、八桁の数字が表示された。


「……やっぱり、この子、パートナーの勇者がいるはずだ」


 一度でも勇者をパートナーと認めたモンスターには、所有者番号なるものが設定される。パートナーや愛玩モンスターの窃盗や迷子が多発した事による対応策だ。


「迷子になっちゃったのかな、心細かったんだね」

「……いや、ちょっと待て、リコラ」


 可哀想にとアオツノムシの体を撫でたリコラに、オウムモドキが口を挟んだ。先程とは打って変わって、冷静かつ潜めた声だ。


「前にダンテから聞いた話なんだけどな、最近、厳選漏れのモンスターの大量投棄が問題になってるらしい」

「厳選? 何?」

「自分のパートナーを自分で厳選したいって勇者が増えてんだってよ。手元でモンスターを繁殖させて、いらないヤツは捨てるってこった」


 リコラはすうっと吸い込んだ息の逃げ場を失った。

 目を見開き、口も塞がらないまま、まさかという思いでアオツノムシを見やる。アオツノムシの大きな瞳は、不安と恐怖と寂しさを潤ませている。


「別に不思議な話じゃねーだろ、リコラ。その点、オレだってそうだしな! オレはダンテのもとで産まれたんだぜっ」

「オーちゃんとは同じじゃないよ。少なくともお父さんは、無駄にたくさん繁殖なんて、させたりしないはず」

「んー、まーな、オレに兄弟はいなかったけど」


 薄れた遠い記憶を遡り、オウムモドキは目を閉じている。

 リコラより前に産まれていたオウムモドキが、どうやって家族になったのかはリコラの知るところではない。


「ふふ、もし兄弟がいたら、オーちゃんは今、ここにはいないかもね」

「は? なんでだよっ」

「だって厳選、でしょ? オーちゃんが残るとは考えにくいなぁ」


 からかうようなリコラの声に、オウムモドキは体を膨らませて冠羽を高く立てる。そうしてリコラに「なんだとっ」と飛びかかろうものなら、黒騎士の手にがしりと囚われた。


「クソー! なんだってお前はそんなにリコラに味方するんだっ、オレの方がリコラを良く知ってんだからなっ」


 オウムモドキの扱いに慣れた黒騎士は、傷つけないようにオウムモドキの足の間に手を入れて、離すまいと優しく握っている。

 リコラはくるりとカウンターの方へと向き直り、アオツノムシに視線を落とした。アオツノムシはその芋のような体を縦に伸ばし、リコラの後ろを気にするように左右に揺れている。


「え? 何、どうかしたの?」


 リコラの後ろにいるのは黒騎士とオウムモドキだ。その隣にはベッドや備蓄用のチェスト。それらが寄り添う壁には、僅かな光を差し込む窓があるだけ。


 そのリコラの背中を照らす僅かな光が、突然何かに遮られたかのように薄暗くなった。

 日が陰った時とは違う。背後に黒騎士が立った時のよう。

 リコラはその違和感に恐る恐る振り返り、窓を視界にとらえた瞬間、ガタンッと椅子から転げ落ちた。


「ひゃあっ!」


 情けなく声を上げたリコラに、黒騎士が跳ね起きる。

 バランスを崩しながらもバサッと黒騎士に並んだオウムモドキは、彼同様に窓を振り返るや否や「ギャーーッ」と嘴を大きく開いて叫んだ。


 光を遮ったもの。窓を埋め尽くすアオツノムシの集団が、小屋の中を覗き込んでいる。

 カウンターで体を伸ばすアオツノムシは、その集団に応えるように体を揺らしていた。

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