第10話 ナーガの煩い(2)


「クソ、何なのお前ッ」


 独特な響きを持つ女性の声だ。

 リコラとユージンは一度顔を見合わせ、頷いてから、その声の方へと駆け出した。


 不安げに体を寄せ合うタチイタチの視線の先、まずリコラの目に映ったのは黒い鎧だった。どっしりと緑の地面に膝をつく黒騎士は、リコラの気配に気付き振り返る。


「黒騎士さんっ? さっきのナーガさんは……」


 一体どこに、という問いかけは必要なく。黒騎士の体の下から伸びる太い胴体が、べしんべしんと力強く地面を叩いた。


「そこの人間っ、アンタがこいつの主人でしょう、何とかしなさいよッ!」


 先のナーガが地面に突っ伏し、その体の上に黒騎士が跨がっている。上半身を起き上がらせようとするも、黒騎士は非情にも、彼女の頭を掴んで地面へと押しつけた。


「……さすが、君の騎士は強い上に容赦がないね」

「く、黒騎士さん! もういいよ、落ち着いてっ」


 リコラの声に反応し、のそりと黒騎士が立ち上がる。

 同時にユージンがリコラを庇うように前に立ち、黒騎士と入れ替わりにナーガへと歩み寄った。


「ここからは俺の仕事だ。リコラちゃんは、この子と一緒に、小屋に戻っていなさい」

「何よ、アンタ」

「モンスター警察だ。君を指導しに来た」


 ピリッと空気が張り詰める。リコラは黒騎士の腕を掴み、無意識に後ずさった。


「人間に、私たちの何が分かるって言うの」

「分からないな。だから話をしに来たんだ」

「話したって分からないでしょうね。同じ場所で、同じような台詞を吐いて、何度も何度もやってくる勇者相手にして、自分の体の一部を渡す。その苦痛なんてッ!」


 ナーガの目が見開かれ、チカッと鋭い光が明滅する。

 それを合図に白い虎がぐるると唸り、黒騎士が覆い被さるようにリコラを抱き寄せた。


「リコラちゃん、早く行って」

「……、すみません」


 この場にいたとて邪魔になるだけだろう。リコラはぺこりとユージンの背に頭を下げ、黒騎士と共に小屋の方へと歩き出した。

 後ろ髪を引かれる。胸の奥がざわつき、頭の中にはナーガの叫びがこだまする。


「中ボスさんには、また違った悩みがあったんだ、ずっと……」


 ナーガが勇者に負けた時に渡すのは自身の鱗だ。肌の一部を剥ぐのは痛みを伴うだろう。癒やすのも時間が必要だろう。

 同じ場所に滞在し続けるのだって、退屈かもしれない。戦いが嫌いだったなら尚更だ。


「可哀想、なんて、思ったらダメなのかな」


 リコラが俯きながら、ぽつりと呟く。黒騎士はリコラの背を手で支え、すりと小さく撫でるだけ。

 既に、朝日が森を照らし始めていた。


 


 モンスター相談員に就けるのは、モンスターへの敵意がない人間に限られる。

 モンスター警察が屈強な元勇者なら、その真逆。勇者としてモンスターと戦った経験がない者の方が評価が高い。

 人間や勇者に対する文句を、否定せず論破せず、全面的にモンスターに寄り添うべき存在だからだ。


 ナーガの問題は、あの後、一時間も経たないうちにユージンからの「もう大丈夫だよ」という一報にて終了した。

 もどかしい想いはある。しかし、これが仕事だ。これが相談員の限界なのだ。


「ナーガのヤツ、どうなったのか気になるよなァ……。あーあ、オレが戦えれば」

「大事なのは戦って屈服させることじゃないよ」

「そーはいっても、舐められっぱなしゃロクに話もできないっての」


 オウムモドキは、あの日にアッサリと戦闘不能になったことを気にしているらしい。決まってナーガの話を蒸し返すのは彼だ。


「あのユージンさんが相手をしてくれたんだから、大丈夫だよ。ね、黒騎士さん」

「ケッ、雑魚の意見は用無しってか」

「もう……」


 フンッと鼻息を荒くしたオウムモドキがそっぽを向く。こうなると、機嫌を直すのは至難の業だ。

 リコラはやれやれとカウンターに肘をつき、これまでに受けた相談リストに視線を落とした。


 勇者のゴミポイ捨て問題。

 レベリングのために待ち構える勇者への出現頻度相談。

 ドロップアイテムのストック不足。エトセトラ。


 即解決できない相談の対応も、随時行わなければならない。一つの問題を気にしすぎては、今後の仕事に支障がでてしまう。


「なーんて、そんなこと考える時点で、私も引きずってるなぁ」


 はぁあと深い溜め息を落とし、カウンターに額から突っ伏す。

 すると、そんな呆けた瞬間を狙いすましたかのように、トントントンと礼儀正しくドアがノックされた。


 慌ててシャキッと顔を上げ、持ち上がった前髪を手ぐしで戻す。「はいっ」とリコラの返事を待ってから開いたドアから覗くは、ギラリと鋭い眼光。それに気付いたオウムモドキはばさっと大きく跳び上がった。


「なっ、なんでお前が来るんだよおっ」


 心底失礼極まりないオウムモドキの叫びだ。

 リコラはそれに反応せず、ガタンッと椅子を倒して立ち上がり、ぱくと音の出ない口を動かした。


「何ソレ、失礼じゃない」

「なっ、ナーガさんっ? どうしてここに……!」


 ずるりと長い胴体を引きずって小屋へと入ってくるのは、まさに話題となっていたナーガだった。

 腕を組み、顎を上げ、堂々たる出で立ち。オウムモドキは驚きのあまりにカチンと硬直している。


「相談所、なんでしょ。ちょっと頼まれて欲しいんだけど」

「は、はい、何でも、うかがいます」


 動揺がリコラの声を上擦らせる。それを気にする素振りも無く、ずりずりと近寄って来たナーガは、どんっとカウンターに手を乗せた。


「私に似合う服。用意してよ」


 リコラは「はいっ!」と反射的に返し、それからコテンと首を傾けた。そのまま横を向き、オウムモドキと視線を通わせる。

 ぽかんと同じ顔。どうやら聞き間違いではないらしい。


「服……、洋服、衣服のこと、ですか?」

「そう言ってるでしょ。べ、別に? アイツにまた会うことを期待してるとかじゃないからっ」


 フンッと顔を背ける彼女の唇が、つんと前に突き出している。

 ナーガが纏うのは、薄汚れた布。それを胸元に巻いているだけで、下半身は剥き出しの蛇そのものだ。

 この装いで誰かに会うのを恥じらうのかのよう。リコラはナーガの言葉を脳内で復唱し、今度は「アイツ?」と顔を上げた。


「あ、あいつって、その、ゆ、ユージンさんのこと、ですか? この間の、モンスター警察の……?」

「へぇ、アイツ、ユージンっていうの。ふーん、そう、ユージン」


 斜め上、天井の隅を見上げるナーガの脳裏には、ユージンの姿があるのだろうか。

 尖らせていた唇は解け、緩やかな弧を描く。ほんのりと赤らんだ頬と伏せた瞼は、一転して儚げな美女を演出した。


「……お、おおお、お前、まさか……っ」


 この妙な空気の変化に、何かを察したのはオウムモドキだ。


「何、オーちゃん?」

「何ってお前、どんだけ鈍感なんだよ! こりゃアレだろ、恋だっ、恋!」


 リコラを壁にしてナーガと距離を取りながらも、興奮した様子でリコラの腕をぺしぺしと叩く。その柔らかな羽さばきを腕に受け、リコラは眉根をぎゅっと寄せた。

 コイ。あるいは鯉。故意か、濃いのか、来い、こい……恋。


「えっ、ええええぇっ!」

「騒々しいわね。ちょっと、お願い聞いてくれるんでしょうね」


 仰け反った拍子に体勢を崩し、どたんっと尻餅をつく。

 カウンター越しに見上げたナーガはじれったそうに、けれど期待をたたえた瞳を輝かせていた。

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