第8話 タチイタチの食糧難(3)

 カジュの木の根元に作られた巣には、小さなタチイタチと相談主よりも少し大きな個体が体を寄せ合っていた。

 昼間と異なり、その瞳はらんらんと輝いている。夜行性である彼等は、日中に眠り、夜になってから表の草むらで勇者を待つという生活を送っている。

 今が丁度、子供達を残して表へと移動する時間帯なのだろう。


「まだ、何も起きてないみたい。でも、これから、その犯人が来る可能性が高いってこと、だよね?」


 そう疑問を抱くリコラへの返事はなく、成熟したタチイタチはぺこりと頭を下げて、表の方へ駆けていく。

 決められた時間に決められた場所で勇者を待ち構える。それがモンスターに課せられたルールだ。

 残された小柄なタチイタチは、いつまた“それ”が来るかと怯え、体を震わせている。少なくとも、リコラの目にはそう映った。


「……うん、分かった。黒騎士さん、こっち」


 リコラは黒騎士を手招きながら巣を離れ、近くの背の高い茂みで膝を折った。黒騎士はリコラの横に並び、二メートルはある大きな体を小さく折って丸くなる。


「あの子達の様子からしても、ここに何か来てるってのは間違いなさそうだよね。とりあえず、暫く見張ってみようと思う。何も来なければ、それはそれでいいし」


 オウムモドキがこの場にいれば、時間の無駄だと文句を吐き出しただろう。黒騎士は重そうな頭を僅かに上下させ、リコラを真似して巣の様子をうかがった。


「やっぱり、明らかに様子が変だよね」


 それぞれの巣に残された小さなタチイタチ達は、きょろきょろと何かを探すように首を動かしている。

 やはり、カジュの実が盗まれるのは、一度や二度の犯行ではないのだろう。この辺りで頻発している事態だったのだとしたら、やはり解決は急ぐべきだ。


「でも、いつ来るか分からないモノを待つって、結構大変かもしれないね」


 一分後、十分後、一時間後かもしれないし、一日、二日、数日間に渡っても何も起きない可能性もある。

 それでもリコラには、怯えるタチイタチの子供達を眼前に、この場を去るという選択肢は浮かばなかった。

 朝になって何も起きなければ、他のモンスターに協力を呼びかけてみよう。ダメならまた張り込んでいればいつかは。


「……、ふぁ、あ、あはは、ごめんね、欠伸しちゃった」


 森の暗さと静けさがリコラに睡魔を運んでくる。いけない、と首を横に振るも、リコラの体は傾き、傍らの固い体にぶつかった。

 具合が悪いせいだろうか、頭と体が重い。しかし、夜風に当たった黒騎士の体は、ひやりと心地よい冷たさを纏い、それが不思議と懐かしく、リコラは「あ」と独りごちた。


「そういえば、こういう感じ、初めて会った時を思い出すね」


 何も言わない黒騎士の瞳が、赤を明滅させる。


「あの日、一人で森に迷い込んで……私、凄く心細くって。その時は、不思議なんだけどね、黒騎士さんの体が温かかったんだ」


 黒騎士の体に熱源はない。日差しを浴びて熱を溜め込むことはあっても、この森の中では無いに等しい。

 それでも、嘗て、幼いリコラは、黒騎士の体に温もりを感じたのだ。


「よっぽど、安心したんだろうなぁ……。ふふ、今もだよ。今はずっと安心してるから、ひんやり気持ちいい」


 黒騎士は微動だにせず、じいとリコラを見下ろしている。

 一体、彼の瞳にはどう映っているのだろう。リコラは黒騎士の膝に手をかけ、乗り出すように、その薄ら桃色がかった赤を覗き込んだ。


「おいーおいおいおい! オレがいねぇからって、何急にイチャついてんだッ!」


 まるでそんな二人の邪魔に入るかのように、バササッと賑やかな声が牽制する。

 顔を声の方に向けたリコラは、機嫌を損ねたはずのオウムモドキを視界にとらえた。


 それと同時に見えたのは、髪の長い女性の影。

 カジュの木に細腕を伸ばした女性は、オウムモドキの声をきっかけにリコラを振り返り、ギラと瞳を光らせた。


「アンタ達……そんなとこで、何してんの?」


 聞こえたのはハスキーな女性の声だった。

 その女性は、ずるりと何かを引きずるような音を鳴らして、リコラ達へとにじり寄る。

 黒騎士がリコラを庇うように立ち上がると、オウムモドキも慌てて女性と対峙した。


「なんだぁ、お前さん……。この辺りじゃ見ない顔だぞ」

「へぇ、それどの口が言ってんの?」

「おっ、オレ達は、ここに住んでるモンスター達が食いモン荒らされてるってんで、調査に来たモンスター相談員だッ」


 オウムモドキが黒騎士の頭の上に止まり、威嚇するように羽をばたつかせる。逆立った冠羽は憤りの証拠だが、愛らしいのが玉にキズだ。

 当然のように威勢に効力はなく、無慈悲にも、女性は何か太いモノでカジュの木の幹を叩いた。ごろごろと果実が転がり落ち、タチイタチがきゅーっと嘆く。

 黒騎士の後ろから顔を覗かせたリコラは、ようやくその女性の全貌をとらえた。


「あ、なたは……やっぱり」


 予想していた通りとはいえ、困惑のあまりに、リコラの声が切れ切れになる。


 烈火のごとく赤い髪と、切れ長な瞳をたたえた華やかな顔立ち。千切った布をサラシのように纏った装いすら、ファッションに見せる出で立ちだ。露わになった腹部は白く、綺麗な形をした腹部が色気を醸し出している。

 しかし、その下に伸びるシルエットは人間のものではなかった。何も纏わない下半身に見えるのは、太い蛇の胴体だ。


「中ボスのナーガさん……! あなたの持ち場は、もっと奥のはずですっ」


 リコラが会ったことのないモンスターの一人、中ボスであるナーガが目の前に君臨していた。

 中ボス以上のクラスに振り分けられたモンスターは、持ち場を動いてはならないと決まっている。その上、リコラの胸に付いた敵対心緩和のバッチは、中ボス以上に無効だ。


「……何、人間ごときが私に口答えすんの。デカブツの影に隠れてないで、出てきなさいよ」

「っ……、ど、どうしよう、黒騎士さん……」


 リコラはシュッと体を引っ込め、黒騎士の後ろで縮こまった。

 恐らく、ではあるが、ナーガが黒騎士に襲いかかることはないだろう。彼女の持ち味である石化は、黒騎士には通じない。

 この状態のまま話し合うことは可能だろうか。それが無理でも、黒騎士が動けば、この場は引き下がってくれるだろうか。


「っ、リコラ……オレだって、オレだって……」


 リコラが思案する最中、突然オウムモドキがばさばさっと飛び上がった。

 重たい体で突進するかのように、頭上からナーガへと急降下する。


 それをナーガが瞳に映すのと、その瞳が不気味な赤紫色に光るのはほぼ同時。

 視線はまるで光線のようにオウムモドキを貫き、それを浴びたオウムモドキはごとんっと地面へ落ちた。


「お、オーちゃん……っ」


 石化だ。図鑑で見て知っていた通り、ナーガは視線だけで相手を石化させる力を持っている。

 リコラは黒騎士の後ろからそれを確認すると、小刻みに首を横に振った。


「黒騎士さん、一旦引き下がろう? 大丈夫、この状況を確認できただけで十分だから」


 リコラの考えに気付いた黒騎士は、こくりと頭を動かした。「ごめんね」と一言と共に、黒騎士の背を撫でると、それを合図にカシャンと大きな鎧が前進する。


 その一瞬、ナーガが怯んだ隙に、リコラが素早く飛び出した。地面に落ちたオウムモドキを拾い上げ、一目散に来た道を戻る。

 森のざわめきと、モンスター達の生きる音。

 慣れたはずのそれが、リコラの胸を酷くざわつかせた。

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