第7話 タチイタチの食糧難(2)

 小屋の奥に設置したシャワー室で髪と体とを洗ったリコラは、束ねた亜麻色を絞りながら腰を伸ばした。

 鏡に映る顔が、ほんのり赤らんでいる。

 それに気付いているらしいオウムモドキは、荒っぽくリコラの頭の上からタオルを落とした。


「さっさと拭け、バカ。ンでさっさと寝ろよ」

「うん、有難う。でも、取ってきたゴミを整理しなきゃ。後でやるの、すっごく億劫だから」 


 捲ったブラウスの袖を直し、かしかしと少し乱暴に髪をタオルで擦る。それを片手間に、ビニール袋の中から一つずつ回収したものを取り出した。


 瓶、食べ物を包装していたビニール、モンスターとの先頭で破けた衣服の切れ端。そういった単なるゴミの類なら分別だけで済む。

 しかし、中には未使用の薬やその他アイテム、更には重要なブロンズリングまで混ざっている。


「こういうのは、なるべく早く街の方へ届けておかないと」

「だからってよぉ、どうせ今日行けるわけじゃねぇんだし。明日でもいいじゃねぇか」

「そうなんだけど……」

「ほらっ、そうと決まれば寝ろ寝ろ!」


 リコラはオウムモドキに背中を叩かれ、渋々ベッドに腰掛けた。

 しっとりと濡れた髪にはタオルを巻いたまま。リコラの「おやすみ」を合図にオウムモドキが電気をぱちんと消すと、リコラはやむなく目を閉じた。


 そうして一夜明けても、リコラの胸にかかる影はなくならなかった。

 訪れたモンスターの相談を受けながらも、意識がタチイタチとカジュの実に向いている。

 昨夜体を冷やしたせいかぼうっとする時間も多く、リコラはオウムモドキに言いくるめられる形で、普段よりも早い時間に受付を閉じることになった。


「ったく。あっさり風邪なんて引きやがってよう。今日はさっさと寝ろよ」

「うん、分かってるけど……」 


 リコラはカウンターに頬杖をついたまま、うつらうつらと図鑑を眺めていた。

 この森で、リコラが会ったことのないモンスターはそう多くない。指で押さえたページを行ったり来たり、そして傍らに置いたくすんだ色の実を確認する。


「クシュンッ、うぅ~……」


 ぶるりと体を震わせた拍子に、ぱらぱらとページが巻き戻る。それを境に、リコラはぱたりと図鑑に頬を押しつけた。

 嫌な予感、寒気。リコラの頭には、一つの仮説が立てられている。


 鋭い牙を持ちながらも、人間っぽい形状をしたモンスター。このダンジョンにいて、あの場所で果実を食らうのに、リコラが会ったことのない存在。

 この条件に当てはまるモンスターは図鑑を見る限り、一種類だけだ。


「お、お前さん、オレがやるから退いてろってっ。オレ一人で十分だからっ」


 思い悩むリコラに対し、オウムモドキはこんな時でも騒々しい。

 思案と眠気の狭間を邪魔されたくない一心で、リコラはきつく、ぎゅっと目を閉じる。


「あぁ、もう、じゃあソッチ側持ってろよ。落とすなよ、リコラにぶつかるなよ」


 いつもよりボリュームを抑えたような声だが、次第に近付いてくるそれは、到底リコラを寝かすつもりとは思えない。

 しかし、リコラの肩には、ふわと上着がかけられた。

 近くにある二つの気配。それが、納得した様子でこくりと頷くのが分かる。

 今度は遠ざかる羽と鎧の音を心地よく聴きながら、リコラは意識の浮上を隠しきれずにフフッと小さく笑った。


 その時だった。

 ガリガリッとドアを爪がかく音に、オウムモドキが「うわぁっ」と例のごとく驚きの声を上げた。


「お、おいおい、もう受付けねぇって、ドア見て分かるだろ」

「もしかしてタチイタチさんっ?」

「げ、リコラ、起きちまったのか」


 ぱっと跳ねるように腰を伸ばしたリコラは、上着に片手を添えて立ち上がった。

 誰よりも早くドアへと駆け寄り施錠を解くと、リコラの予想通りにタチイタチがもじもじと立っていた。

 時間外ということは認識しているのだろう、首を下げて、無いはずの眉も下がっているように見える。


「おいっお前! 時間外は受け付けないからな! それにリコラは調子が悪いんだ、明日にしてくれっ」

「お願い、オーちゃん。話を聞いてあげて」

「えっ、で、でもよう」


 リコラはその場に膝を折り、タチイタチと目の高さを合わせた。

 伏し目がちだった獣の瞳がリコラをとらえる。そこに悲壮感と焦燥感を見たリコラは、もう一度急かすようにオウムモドキを見上げた。


「っ、な、なんだってんだよ。クソ。さっきの話だろ、盗まれてんだってよ。どうせ知識のない若い勇者の仕業だ」

「タチイタチさん、それって、もしかしてモンスターじゃないんですか。森の、強い、そこにいるはずのない……」

「リコラ、何言ってんだ?」


 モンスターには必ず生息エリアが決まっている。その中でのテリトリーは当然互いに認識し合っているし、たまの縄張り争いなんてモンスター同士で解決させてきたことだ。


 つまり、わざわざ人間であるリコラに伝えるということは、ただならぬ事態を危惧している可能性が高い。

 それをこのタチイタチの様子と、立てた仮説によって見出したリコラは、こくりと頷いて見せた。


「タチイタチさん、私が何とかします。もう一度、案内してもらえますか? オーちゃんは来ない方がいいかもしれない。黒騎士さん、ついてきて」

「はぁっ? オレがいなくっちゃ、コイツと話も出来ねぇだろっ」

「事情は分かってるから十分だよ。すみません、タチイタチさん。宜しくお願いします」


 リコラが外に出ると、タチイタチも安堵した様子で頷いた。まずはタチイタチがちょこちょこと二足で飛び出し、続いて黒騎士が後を追う。

 一度小屋の中を振り返ったリコラは、羽を膨らませてソッポを向いているオウムモドキに「ごめんね」と呟いてから現場へと急いだ。

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