第2話 大毒ネズミとルール違反(2)
開けた空間に差し込む光の筋。モンスターが出て来なければ、閑静かつ涼やかな空気が美味しい心地良い場所だ。
よくあるダンジョンの一つ。他と違うのは、広大なあまりに、平穏な村と猛者の集うダンジョンとを繋いでしまっているところだ。
軽い気持ちで乗り込むと、気付いた時には強者のエリアに足を踏み入れている。逆もまたしかり。レベル上げにもならない弱いモンスターを前に、屈強な勇者はどこで道を間違えたのかと不思議そうだ。
「あっ、あそこだね」
リコラが指さした先で、大毒ネズミがくるくると小さな円を描くように走り回った。
そこに倒れているのは、リコラよりも幼い少年だ。落ちている装備は、お手製だろうか見たことのない形をしている。村の方から入り、道を誤った典型的な例だ。
「足を噛まれて、毒が回ったんだね。じゃあとりあえず解毒して……」
状況を察するのは簡単だった。
足の傷は大毒ネズミの牙によるもの。そして大毒ネズミはその名の通り、牙に猛毒を持っている。
リコラはエプロンの内ポケットから小さな瓶を取り出し、それを少年の薄く開いた唇に流し込んだ。それを白いハンカチにも染み込ませ、傷口を覆うように足へ括り付ける。
「大毒ネズミさん、有難う。ルールを守ってくれて」
リコラが丁寧に頭を下げると、大毒ネズミは小さな鼻をヒクヒクと動かし、誇らしげに胸を張る。リコラはそんなモンスターに微笑みかけ、それから固く目を閉じた少年を見下ろした。
フンッと鼻から気合いを吸い込む。
続けて一度天を仰いだリコラは、パンッと少年の顔の目の前で手を力強く鳴らした。
「うわっ、うわあっ!」
少年は跳ねるように起き上がった。インパクトが二度あったのは、目覚めさせた音と、そこにいたモンスターのせいだろう。
「うん、大したことなくて良かったね」
「きみ、君は、え? そ、そのモンスター、は」
すっかりパニックに陥った少年は、絶えずリコラと大毒ネズミとの間で視線を彷徨わせる。毒が回った以外に大した傷のない少年は、既に万全な状態にまで回復したはずだ。
リコラはそれを確認するや否や、転がっていた少年の剣を掲げて見せた。
「はい、これ。ルール違反ね」
少年の茶色がかった瞳が、ぱちくりと瞬いた。
「アカデミーで最初に習うはずだよ。モンスターに使って良い武器は決まってるって。こんな刃の鋭いモノ使って、モンスターが深手を負ったらどうするの?」
「へ……?」
「そもそも! アナタみたいに実力の伴わない子は、ダンジョンに来ちゃダメだからね。まずは村の外の草むらとか、一般道にいるモンスターで経験値を上げなきゃ。ダンジョンのモンスターはある程度レベルが固定されてるんだから」
勇者とは勇ましい者を表す言葉だが、今や、かなり人気の職業だ。
勇者アカデミーでカリキュラムを熟し、資格を取得した者なら年齢問わず勇者を名乗ることが出来る。
その分、「勇者ルール」なるものが事細かに設けられていることを忘れてはならない。
一つ、モンスターの魔力を削る特殊加工の施された専用武器を持つこと。
一つ、ダンジョンにおいては決められたルート内でのみモンスターと接触すること。
一つ、勝利時に渡される戦利品以上に奪ってはならない。
一つ、瀕死状態のモンスターに攻撃を加えてはならない。
……エトセトラ。
「君の場合、ルートも外れてるし、武器も違う。最低限のルールくらいは守らないと、資格剥奪だからね」
「じゃあっ! じゃあっ、黙ってろってのかよ! 妹が怪我させられたのに、やり返すのもダメなのかよおっ」
リコラの真っ当な指摘に、若き少年が悲痛に嘆く。怒りと悔しさとが入り交じった熱い雫がぽとりと落ちた。
「っ、父ちゃんが、大事な指輪をこの森で落としたって。それで、妹は、指輪を探しに入っちゃったんだよ、そんで……ネズミに噛まれたって、腕を怪我して、だからオレ……」
ぐずぐずと、上擦った声が途切れる。継ぎ接ぎの言葉だったが、この状況を理解するには十分だった。
勇者と名乗るには準備も知識も不十分過ぎる少年は、妹の敵討ちに乗り込んできた兄でしかない。その妹は、当然のことながら勇者ではなく、心優しい幼き少女だ。
「……一つ、勇者ではない者は速やかに出口へ誘導すること」
リコラは溜め息混じりにそう呟き、ぱっとその場に立ち上がった。
「オーちゃん!」
「ゲェッ、なんでバレたっ?」
リコラの呼びかけに、木の陰からばさばさとオウムモドキが顔を覗かせる。毎度お馴染み、留守番が出来ないのは退屈だからか、はたまたリコラが心配だからか。
ともかく、この日ばかりは都合が良い。オウムモドキはリコラの肩まで飛んで来ると、バツが悪そうに、かつ面倒そうに足で頭をかいた。
「あー……少年よぉ、その指輪ってのは見つかったのか?」
「み、見つかって、ない……」
「じゃー、ミッションは二つかぁ」
オウムモドキは「あとでモモのパイな」とリコラに告げてから、エメラルドが輝く羽を広げて飛び去った。一見、重そうな体だが、見事なコントロールで木々をかき分ける。
それを思わず目で追った少年に、リコラはそっと手を差し伸べた。
「後のことは大丈夫だから、安心して。とりあえず、おうちに帰ろっか」
泣いた疲れもあったのか、少年は、抵抗なくこくりと頷いた。
少年の柔らかな手を取り、共に出口へと向かう道のりは平和だ。リコラの胸のバッジのおかげで、モンスター達は遠巻きに二人を眺め、見送るように尾や手を揺らす。
光の降り注ぐ入り口で、少年の目が濡れたのは安堵のせい、だけではないだろう。
離れた手は力強くそれを拭い、リコラの顔を振り返ることなく走り去っていった。
「大丈夫。きっと何とかなるからね」
人とモンスターは、長い間、共存が難しいとされていた。それは、お互いがお互いを脅かす存在だと認識していたからだ。
そんな状況を緩和すべくルールが選定されたのは、さほど古い話ではない。それゆえに、広く出回った逸話や物語によって、「モンスターは人間の敵である」と思っている者は未だ少なくなかった。
モンスターと勇者双方に対するルールの周知。ルール違反への注意喚起。それが、モンスター相談員の存在意義なのだ。
くるりと向き直ったリコラは、武器の一つも持たずにダンジョンへと入っていく。それも、本来人間は立ち入ってはならないと定められた正規ルートを外れ、裏と呼ぶ無法地帯へ。
待ち受けるのは、無数のモンスターの声、ギラギラと光る瞳、足を擦る音。
その間を堂々と突き進むリコラには、誰よりも頼りになる彼の姿が見えていた。
「黒騎士さん……!」
動物や虫、植物といった形状のモンスターが生息するダンジョンにおいて、目立ちすぎる無機質な図体が、木々の間にそびえている。
リコラが駆け寄り、黒騎士が歩み寄る。二人の距離がなくなると、黒騎士はそっと、リコラの背中に手を添えた。
「心配して来てくれたんだね。うん、実はちょっとだけ……ちょっとね、不安だったんだ」
野生のモンスターがルールを守らないことなど常だ。その管理もリコラの仕事の一つではあるが、手に負えないケースも想定される。
それを危惧するのだろう、黒騎士は、リコラが一人きりで不安を抱くと決まって現れた。
黒よりも、より深い黒。光を浴びて鮮やかに彩り放つ鎧。
リコラに寄り添う黒騎士は、この森ではトップクラスのハイレアモンスターだ。強さ、出現率ともに、桁違いの数値を記録している。
それをリコラが再認識するのは、野生のモンスター達が、遠巻きに敬意と畏怖の眼差しを向けてくる瞬間だった。何にも臆さず凜と立つ姿は、モンスターに抗う力を持たないリコラにとって、頼もしいことこの上ない。
「……うん、帰ろっか。困ってる子が、まだいるかもしれないしね」
リコラに彼の言葉は理解できないが、時折、相槌を打って微笑みかける。そうして小屋へと歩き出す足は、同時にかしゃんと動いた。
彼の無骨な指にかかる力と瞳の揺らぎ。意志を持つ首の動きが、言葉のない二人を繋いでいた。
後日、リコラの手元には、シルバーのリングが届けられた。
細く長い尻尾に絡めるようにして、リングを持ってきた大ネズミ。しゅんと耳を折り曲げて、足取り重くやって来たあたり、オウムモドキの忠告は受け入れられたのだろう。
「ネズミ族へのルールの周知と、指輪の捜索。オレが森中飛び回って言って来たんだからなっ!」
「もう、分かってるってば」
あの日、真っ先に飛び去ったオウムモドキは、リコラが少年を送り届けている間にミッションをやり遂げていた。
指輪を見つけたら相談所へ持ってきて欲しい。
大ネズミ達は、勇者以外に手を出さないルールの指導を改めて徹底すること。
それを飛び回りながらモンスター達に伝えてきてくれたのだ。
「あんまり恩着せがましくなると、有り難みが薄れるんだけど……」
「ほー? オレがこの指輪を少年に届けてやろうってのに、ンなこと言っていいのかなぁ」
「いいよ、私が行ってくるから」
「遠慮すんなって。実際、オレが行った方が早いわけだし?」
オウムモドキは器用に足で指輪を掴むと、ばっさばっさとわざとらしくリコラに風を吹き付ける。前髪は大事なのと訴えるリコラへの、恒例の嫌がらせだ。
そうしている間に、かたんとドアが音を立て、リコラは慌てて背筋を伸ばした。
「はいっモンスター相談所です! あ、オーちゃんっ」
新たなモンスターが入ってくる隙に、オウムモドキが飛び去っていく。口達者で器用なオウムモドキだ。指輪は無事に少年へ届けられることだろう。
「……頼りにはなるんだけどね」
リコラは腰を捻って振り返り、小屋の隅で膝を抱える黒騎士に苦笑いを向けた。
ここはモンスター相談所。今日も悩めるモンスターがドアを叩く憩いの場。そうあるために奮闘する少女の一日が始まる。
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