モンスター相談所へようこそ!~愛と規則の奮闘記~

あずま寿美

第1話 大毒ネズミとルール違反(1)

 木々に囲まれた薄暗い獣道。整備されていないそこに当然灯りはなく、踏みつけられて出来た土の道が続いている。

 時折ギャッギャと不気味な声が轟き、強烈な風が木々をざわつかせる。歩きづらい凹凸の正体は大きな足跡。不自然にぽっかりと穴の空いた木からは、ギラギラと赤い瞳が覗いている。


 村の外れにある「立ち入り禁止」と書かれた木製のゲートを越えた先、この森はまさに無法地帯だ。立ち入ったが最後、無数の獣に襲われるのが関の山だと言われている。


 そこへ迷い込んだのは、一人の少年だった。

 身の丈に合わない剣を腰帯に差し、左腕にはオモチャのような丸いバックラーをつけている。

 前方の草陰に見えたのは、二つの丸い耳が少年の膝よりも高い位置にある大ネズミだった。全身を黒く固い毛で覆い、鋭い牙は岩をも砕くという。


 少年は、やっと見つけたと拳を握り締めた。

 ただの人間からすれば凶悪なモンスターだ。しかし、図鑑には「これを倒せずして勇者は名乗るな」と書いてあった。最低レア度、かつ低級であることは間違いない。

 少年は柔い掌で剣の柄を掴んだ。多少手間取りながらも鞘から引き抜き、前へ突き出すようにして構える。


 一歩、二歩。まだ大ネズミは気付かない。

 意を決した少年は、振りかぶった剣を大ネズミの頭めがけて振り落とした。

 なぎ倒された黄緑が舞う。ガッと剣先が突き刺したのは、昨日の雨でぬかるんだ地面。


「あぁっ、しまった……!」


 意外にも俊敏な動きで攻撃を避けた大ネズミは、地に足をつくと同時に少年へと飛びかかった。

 大きく開いた口からはみ出した牙が、少年の太股へと突き刺さる。

 驚きのあまりに声も出せないまま、少年は剣を落として尻餅をついた。ぐらりと頭が揺れる。視界がぶれて、一匹の大ネズミが増殖したように映る。


「な、んだ、これ……」


 雑魚モンスターになんか負けるはずがない。そう思うのに、敵からのカウンター一撃で体が動かない。

 駆け出しの少年は、ずるりと地面に倒れた。

 殺される、死にたくない、頭の中が悲痛な思いで埋め尽くされる。走馬灯だろうか、グチグチと煩かった母親の姿はこんな時すら小言を吐いた。


 森の中には危険なモンスターもいるから、まずは人通りもあって、見晴らしの良い草原でレベルを上げなさい。

 ぽろりと目から涙がこぼれ落ちる。

 母の言うことを聞くべきだった。それでも、無茶をしてでも、怪我をした妹の代わりに復讐したかったのだ。

 力なく、小さな掌が地面に落ちる。それを見下ろしていた大ネズミは、飽きてしまったかのように少年に背を向けていなくなった。




「今日は随分静かだな。平和でイイこった」


 しゃがれた若い声が、脈絡なくそうボヤく。声変わり前の子供のような声音は、一聴には男とも女とも区別がつかない。

 口調から察するには生意気な少年といったところ。言葉とは裏腹に、体を左右に動かす様は暇そうですらある。


「この前迷いこんじゃった勇者さん、良い人だったもんね。きっと村の人に説明してくれたんだよ。知識もなく森に入るなって」

「ハァ~? 勇者にイイ奴なんていねぇよっ! アイツらはモンスターはっ倒して銭稼ぎすんのが生業なんだからな」


 森の奥にぽつんと建てられた赤い屋根の小屋。

 十二畳程度の一室をカウンターで区切った内装は、村にある武器屋なんかと同じ構造だ。かと思えば、仕切りの奥にある手狭な空間は、小さなベッドやタンスといった家具が、ごく一般的な生活感を漂わせる。


 白いシャツに膝下丈の紺色スカートという少女の無防備な服装も、こんな生活空間には馴染んでいる。木製のカウンターに腕を乗せ、椅子に腰掛けた足をぱたぱたと揺らす少女もやはり暇そうだ。


「そんなこと言わないの。勇者さんの仲間になりたいって言ってる子もいるんだから。っていうか、オーちゃんこそ、そうでしょ」

「おっオレは違ぇよ! パートナーになってくれぇって情けなく言われたから仕方なく~っていうだな」


 少女の穏やかな声音と、対照的な刺々しい声が、テンポ良く言葉を投げ合っている。気の合わなそうな二人は、所謂、兄弟のような関係だ。姉か兄かは、答えのない問答になる。

 少女は「ハイハイ」と受け流すように頷き、壁にかけられた時計を確認してから立ち上がった。


 壁にかけたハンガーから赤いエプロンを剥ぎ取り、手際よく後ろ手で紐を結ぶ。

 丸文字で「リコラ」と書かれた名札と、小指の先くらいの小さな金色のバッジが胸元についた仕事着だ。

 亜麻色の髪は高い位置で一つに結わき、「よしっ」と一言で気合を注入し、最後にドアの施錠を解く。

 これで、朝十時の準備完了だ。


「さてと、今日も宜しくね。オーちゃん」

「客が来りゃあな」


 リコラのとろけるような甘い微笑みに、オウムモドキはほんのりと頬を赤らめて顔を逸らした。ばさばさと大きな羽を羽ばたかせ、どすんと細い肩の上に足をかける。


「いたた、ちょっと爪伸びたでしょ」

「おい、まさかまた、オレの最高に格好良い爪を切るって言うんじゃないだろうな」

「だって肩に刺さるんだもん。嫌なら先端、自分でやすっておいてよね」


 再び足のつかない椅子に腰掛けたリコラは、自分の掌に収まらないオウムモドキの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 ころんと大きな頭から生える冠羽は鮮やかな黄色だ。エメラルド色の顔にはつぶらな黒い瞳と橙色の嘴。

 時折こうしてペットのように愛でるのが、リコラの癒やしの時だ。気持ち良さそうに目を細めたオウムモドキの喉がくるるっと心地の良い音を鳴らす。


 そんな穏やかな時間を引き裂くように、分厚い木の扉がガリリッと鋭いモノで傷つけられるような嫌な音を立てた。


「だぁあっ、またドアが壊されるっ」

「はいはーい、ちょっと待っててくださいな」


 ぱっと今かけたばかりの椅子から腰を上げ、カウンター脇のゲートを手で押す。そのまま扉の方へ駆け寄ろうとしたリコラの後ろで、ガシャンッと大きな鎧が立ち上がった。


「うおっ、お、お前さん、急に動き出すなよ。びっくりするだろうが」

「黒騎士さん、どうかしたの?」


 兜から足先の武具まで烏羽色の大きな鎧が、一歩、二歩とゆっくり歩む。リコラはぱちくりと目を瞬かせながら、ゲートを通りたそうにする黒騎士に道を譲った。


 兜の額から伸びる角のような装飾は、彼が少しでも宙に浮けば天井に激突してしまうだろう。濡れた烏のように濃く鮮やかな黒の面を見上げたリコラは、とことこと後ろについてドアに向かった。

 動かしづらそうな武具を纏った指が、器用に扉の取っ手にかかる。ぎぎぎと引くと、その膝元にいた獣がぴゃっと跳び上がった。図体の大きな鎧に驚いたのだろう。


「おはようございます、どうぞ中へ、お入りください」


 黒騎士の後ろからリコラが顔を覗かせると、太い牙で口の塞がらない、大きなネズミのようなモンスターがふるふると体を震わせた。


「何でもお話うかがいます、モンスター相談所です!」


 腕を左右に開いたリコラの肩で、オウムモドキがばささと羽を鳴らす。黒騎士はがしゃんと一歩下がり、そのまま先にカウンターの奥へ戻っていった。


 ここはモンスター相談所。人間に対する不満や要望を受け付ける、モンスターのために建てられた憩いの場だ。

 訪れたモンスターは、窓口まで案内され、それぞれに合った高さの椅子に腰掛ける。四つ足の獣は椅子の上にピョンと跳び乗り、ちょこんとお座り状態で口を開いた。


「フンフン……何? 雑魚の大ネズミに間違われて困ってる? 弱そうな奴を返り討ちにしちまった?」

「えっ? い、今ですか?」


 黒い毛に覆われた体が、そわそわと落ち着きなく動いている。

 リコラが回答を求めてオウムモドキを見やると、再びフンフンと相槌を打ったオウムモドキが冠羽を盛大に逆立てた。


「ついさっき。うっかりやりすぎちまって、そいつは森の中に放置して来たってよ」


 オウムモドキが通訳しきるよりも早く、リコラはガタンッと椅子を揺らして立ち上がった。


「その勇者さんがいる所に案内してくださいっ! オーちゃん、ここお願いしてもいい?」

「へ? いやそれはいいけど、お前まさか一人で……」

「じゃあ行ってくるね!」


 オウムモドキがばっさばっさと仰ぐように羽を動かしている。

 リコラはその愛らしい動きに手を振り返した後、ひらりと紺のスカートを揺らし、大毒ネズミの後ろを駆けて行った。

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