第195話 国を蝕む膿

 上げ蓋の入り口を潜って、地上へと這い出した2人。そのまま民家を出た所で――



「ククク……一体どこへ行こうというのですか、女王様?」

「……ッ!」



 ――囲まれていた。いつの間にか数十人の洗脳衛兵達が2人の周りをグルリと取り囲んでいたのだ。



 ロアンナが入る時には確実に誰も居なかった。ロアンナが施設内に入った後で包囲を敷いて、出てくるのを待ち構えていたらしい。


 ロアンナは厳しい表情でルチアを背後に庇う。人数的にほぼ全ての洗脳衛兵達を集めているようだ。ミリアリア以外にこんな事が出来るのは――



「あなた達だけ出てきたという事はミリアリアは死にましたか。まあ、あいつはもう用済みだったのでどうでも良いですが」



 衛兵達の後ろから姿を現した神官服の女性……カレン・アディソンであった。その顔は卑しい笑みに歪んでいる。


「カ、カレン……お主は……」


「女王様、駄目よ。こいつは話が通じる奴じゃなさそうだわ」


 ロアンナが厳しい目でカレンを睨みつけながら警戒する。カレンが少し興味を惹かれた様子になる。


「ほぉ……? 何か感づいたか? 伊達に狩人などと名乗ってはおらんようだな」


「あなた……一体何者? 見た目通りの存在じゃないでしょう?」


「それを知る意味があるのかな? どうせここで死ぬというのに」



 カレンが片手を上げると、数十人の洗脳衛兵達が一斉に包囲を狭めてきた。



「ククク、何なら逃げてみるか? お前1人なら或いは生き延びられるかも知れんが、その小娘は確実に守れんぞ?」


「……!」


 ここでルチアを置いていくという選択肢はない。つまりロアンナに逃げるという選択肢はないのだ。そして如何にロアンナと言えども、恐れを知らない百人近い敵兵を相手にしては生き延びる事は不可能だ。



(く……ここまで来て……。シュン……レベッカ……ごめんなさい。私はここまでみたい……)



 諦観に陥ったロアンナがそれでも最後まで足掻こうと短槍を構える……が、ルチアが妙に静かな事に気付いた。恐怖で固まっているという感じでもない。


「……女王様?」


「ロアンナ。さっき言っていたじゃろう? 最善を尽くすのだと……」


「え……?」


「だから……妾も最後まで諦めずに、最善を尽くそうと決めたのじゃ!」


「……ッ!?」


 その時になってロアンナは周囲の空気が微細に振動している事に気付いた。これはリズベットが神気爆発を使う際によく起こる現象……つまり大量の神力によって周囲の神気が震えている状態だ。


「じょ、女王様、あなた……!?」



 ――凄まじい量の神力がルチアを中心に渦巻いている。リズベットやライカすら比較にならない程の圧倒的な神力だ。



 そこでロアンナはハッと思い至った。そもそも国一つ丸ごと覆ってしまう程の、この『神膜』を張っているのは誰だ? あのライカですら、自分の周囲半径数メートル程度の『膜』を張るのが精いっぱいだと言うのに……!


 ロアンナは自分が……否、自分達がとんでもない思い違いをしていた事を悟った。『神膜』を張れる唯一の存在であるルチアを戦闘に出すなどという発想がそもそも無かった。だから幼い事もあって戦闘の訓練など一度もした事が無かった。故に誰も気付かなかったのだ。



 クィンダムの女王、ルチア・ランチェスターこそが最高……そして最強・・の神術使いであるという事に……!



「な……何だ、これは!? ま、まさか……!?」


 凄まじい神気の振動とルチアを取り巻く馬鹿げた量の神力に、遅ればせながらカレンも気付いたようだ。だが時すでに遅し。



「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」



 叫び声と共に、ルチアの小さな身体から溢れ出した膨大な神力が、渦を巻いて周囲に放射された! 


 それは包囲を狭めながら迫って来ていた数十人の衛兵全員の間を、不可視の風となって吹き抜けた。


「……!!」


 同時に衛兵達が1人の例外もなく、文字通り糸の切れた操り人形の如くバタバタと地面に倒れ伏した。起き上がって来る者は……誰も居ない。死んではいないようだが、皆意識を失っていた。



「ば、ば、馬鹿な……。何だ、今のは!? 貴様……何をした!?」


 ただ1人影響を受けていなかったカレンが慌てふためく。つい先ほどまで絶対的な優位に立っていた所を、いきなり丸裸にされたも同然である。慌てふためくのも当然だろう。


「皆……魔力で洗脳されていたのじゃろう……? だから、それを打ち消しただけじゃ……」


「……ッ!」


 神術の訓練を何もしていない状態で、いきなりあれ程の大量の神力を放ったせいで消耗して座り込んでいたルチアは、息を整えながら喋っていた。


 ロアンナの見た所、『ピラー』の魔力は衛兵達に混ざり合うように深く浸透しており、洗脳を解除する事は並大抵では不可能であった。少なくとも1人の洗脳を解除するのに、神官総出で解呪に臨まねばならないほどだ。


 それをたった1人で、しかも百人近い洗脳を一瞬で解除してしまったのだ。カレンが絶句するのも頷ける。



「女王様、あなたは本当に良くやってくれたわ。後は私に任せておきなさい」


「ロ、ロアンナ……済まぬ。この国を……頼む」


 座り込んでいるルチアの頭を撫でてから、ロアンナは短槍を構えてカレンを睨み付ける。


「さあ、これで形勢逆転ね? どうする? 尻尾を巻いて逃げてみる?」


 ロアンナの挑発に、カレンが悪鬼の如き形相となる。



「こ、の……クソ女共がぁぁっ!!」

「……!?」



 ロアンナはカレンの悪罵に驚いた……のではなく、彼女の掲げた手の先に生み出された物・・・・・・・を見て目を見開いた。


 カレンの掌の上に大きな火の玉・・・・・・が浮かび上がっていた。 


「あなた……まさか!?」


「死ねやぁっ!!!」


 カレンが火球を放ってきた。それは放物線を描くようにして尚且つ高速で飛来してきた。自然ではあり得ない現象……つまりは、魔法・・だ。


「く……!」


 躱せばルチアに被害が及ぶ。ロアンナは短槍を盾のように翳し、障壁を全開にして迎え撃った。直後に火球が衝突。熱波と衝撃がロアンナを炙る。


「……っぅ」


 ロアンナの障壁はリズベットやライカ達ほど強くはない。それでも何とか耐えられたという事は、〈貴族〉や〈僧侶〉に比べたら魔法の威力は弱めという事だ。


「……ふっ!」


 苦痛を押し殺して強引に突撃する。このままルチアを庇いながらでは勝機は薄い。カレンが次の魔法を放つ前に接近して槍を突き出す。


「ひゃはぁっ!」


 カレンは素早い動きで飛び退って槍を躱した。戦闘訓練を受けていない神官の動きとは到底思えない。



「……いい加減正体を現しなさい。あなた……進化種・・・ね?」



 ロアンナの断定口調。離れた所で聞いていたルチアの目が見開かれる。カレンがニタァ……と嗤う。



「ク……クククク……。久しぶりだなぁ……元の姿に戻る・・・・・・のは……!」



 そう言い放つと同時にカレンの姿が変化・・した。まるで内側から殻を破るように表皮がバリバリ……と捲れたかと思うと、から異形の怪物が姿を現した。


 極端に曲がった鷲鼻、卑しく歪められた双眸、切れ長の尖った耳、口からは不揃いな牙が覗く。人間大の身体はやや猫背気味で、その背中には一対の皮膜翼が生えていた。


 その姿は神話や伝承の中に登場する『悪魔』を連想させる禍々しいものであった。ただ奇妙な事にその体色は金色っぽい色に輝いていたが。血塗られた禍々しい輝きであった。



「……有翼タイプの魔人種ね。それにその体色……まさか〈役人オフィサー〉?」



 ロアンナは油断なく冷静に分析する。物心ついて『神膜』を発現させて以来、初めて進化種を目にしたルチアが恐怖に慄く。


「ホォ……。流石ハ『狩人』……。ソノ通リ、俺ハ〈役人〉ダ。〈王〉ノゴ命令デ、コノ国ニ間諜トシテ潜入シテイタンダヨ」


「……俄かには信じがたいけど……他人に変身する能力……。それがあなたの……?」


「ソウ……コノ俺ノ、ユニーク能力ダ。ソイツノ脳ミソ・・・ヲ喰ラウ事デ、姿ダケデナク記憶マデコピー出来ルノサ」


「……! じゃあ、本物・・のカレン・アディソンは……」


「タダノ奴隷ノ女ダ。ソイツヲ喰ッテ姿ト記憶ヲ頂イタ上デ、コノ国ニヤッテ来タノサ」


「…………」


 神官のナンバー2、頼れる屋台骨のカレン・アディソンは最初から幻影だったという事だ。


「更ニ記憶ダケジャナク、能力・・マデコピー出来ル。ワザワザ神術・・ニ適正ノアル女ヲ喰ラッタ甲斐ガアッタトイウ物ダ」


 進化種にとっては毒となるはずの神術まで扱う事が出来たとは。これでは誰も見破れなかったのも致し方ない話だ。

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