第194話 狂躁の果て

「女王陛下。これだけお願いしているのに、どうしてもご協力頂けないのですか?」


 『ティアマトの目』の本部。その奥にあるギルドマスターの部屋にルチアは捕らえられていた。椅子に両手足を縛り付けられて身体を動かす事は出来ない。


 そのルチアの前にミリアリアがいた。何人かの洗脳衛兵を引き連れている。ミリアリアは他の衛兵達のように操られてはいないが、その目に宿る狂気と妄執の色は下手に洗脳されているよりもたちが悪かった。


「……くどい! 何度言われようとお主の狂った計画に協力する気など無い!」


 ルチアは気丈にミリアリアを睨み上げる。


「お主の計画など成功するはずがない。戦士隊まで排除して……一体どうやってこの国を守るというのじゃ!」


 ミリアリアは肩を竦める。


「ですからまさにシュン様のお力が必要なのです。これでシュン様なくしてこの国の防衛は立ち行かなくなりました。戦士隊など最初から必要無かったのです」


 当たり前のようにそうのたまうミリアリアの姿にルチアは悲し気にかぶりを振る。


「お、お主は……お主にとって戦士隊とはその程度の物だったのか? こんな風に邪魔だからと排除してしまう程度の……」


「仕方がないでしょう? 隊長は私の考えに理解を示して下さいませんでしたし……。その隊長に毒された・・・・戦士隊などに何の未練も愛着もありません」


 ミリアリアは新生戦士隊の選抜にも関わっていた。いわば自分が作り上げたとも言える戦士隊をこうまであっさりと切り捨てるとは……



(お主にとってシュンとの交わりは、そこまでお主を狂わせるものであったか……)



 尤もらしい事を言っているが、ミリアリアの頭にあるのはシュンの独占だろう。その為に既に恋人関係にあるライカやレベッカ達を罠に嵌めて排除した。他の隊員達は巻き込まれただけだが、ミリアリアにとっては「些細な犠牲」という訳だ。


「それに敵である進化種に関しても、カレンの本当の主・・・・がきちんと調整・・をしてくれるそうです。あちらにとってもクィンダムは滅びてもらったら困るようで、持ちつ持たれつでやって行くという事で話は纏まっているんです」


「……!」


 ルチアの推測が正しければ、カレンの本当の主はミッドガルド王国のはずだ。つまりミリアリアはそれを知っていながら、進化種と密約を交わして仲間を売り渡したのだ。


(そこまで堕ちたか……)


 最早彼女は越えてはいけない一線を越えてしまった。この期に及んで和解は不可能だろう。


「しかし神膜を維持する女王陛下には、どうしてもご協力を頂かないといけないんですよねぇ。このままずっとここに監禁という訳にも行きませんし」


 言いながらミリアリアは剣を抜いた。ルチアはギョッとする。


「な、何をするつもりじゃ……!?」


「ふふ、自分は神膜を張っているから殺される事は無いし、安全だと思っていました? 確かに死なれると困りますが、逆に言うと死なない程度なら何をやってもいいという事ですよね?」


「……ッ!」


 ルチアは青ざめた顔を引き攣らせる。女王とは言っても年齢的にはまだ十代半ばの城暮らしの少女だ。暴力に耐性など無い。ミリアリアが嗤う。


「ふふふ、さっきまでの威勢はどうしました? あなたも前線で戦う戦士の痛みを少しは味わっておくべきですね」


 ミリアリアはルチアの手の甲に剣の切っ先を当てる。ちょっと力を込めて押し込めば、そのか細い小さな手を無残に突き破る位置だ。ルチアの身体がビクッと硬直する。


「ひっ……や、やめ……」


「あははは、良い顔ですね、女王陛下? それじゃ、ちょっと痛い・・・・・・ですよ?」


「――――ッ!!」


 恐怖からルチアが思わず目を固く瞑って歯を食いしばった時――




「そこまでにしておきなさい。小さな子を虐めて喜ぶ……今のあなた、とっても醜いわよ?」




「……ッ!?」


 弾かれたように声のした方を振り向くミリアリア。扉の開かれる音と共に入り口に佇んでいたのは……赤髪の狩人、ロアンナであった!



「ロ、ロアンナ……」


「女王様、ちょっとだけ待っててね。すぐに助けるから」


 呆然としたように目を見開くルチアに向かって片目を瞑る。


「な……馬鹿な……『ピラー』で全員ニブルヘイムへ転送されたはずじゃ……?」


「こっそり抜け出してたのよ。気付かなかった? でも……ふぅん、ニブルヘイム、ね。確かミッドガルド王国の首都の名前よね? そういう事……」


 得心したように頷くロアンナ。これだけで彼女には凡その背景が理解できていた。逆にミリアリアはロアンナの姿を見て青ざめさせていた顔が、今度は見る見るうちに真っ赤になる。


「あなたの小賢しい企みはお終いよ。大人しく降参して女王を引き渡しなさい。今なら命だけは助けてあげるわ」


 ロアンナが短槍を構えて最後通告を突きつける。しかしミリアリアは引き攣ったような笑い声を上げる。


「ふ、ふふふ……たった1人でノコノコと……。確かにお前は私より強い。でも、こっちは1人じゃないのよ!」


 ミリアリアの動きに反応して、3人いる護衛の衛兵達もロアンナに向かって武器を構える。ロアンナが諦めたように悲し気にかぶりを振った。


「……それが答えという訳ね。残念だわ、ミリアリア」


「殺せっ! 殺せぇっ!!」


 叫ぶような命令と共に衛兵達が襲い掛かってくる。同時にミリアリア自身も剣を振りかぶって斬りかかってきた。


 ギルドマスターの部屋は広く、ルチアの監禁に際して邪魔な家具や装飾の類いを片付けてあったので、5人の人間が辛うじて立ち回る事は可能だった。 


 ロアンナは敢えて自分から前に出る事はせずに、防戦に回りながら冷静に敵の動きを見極める。衛兵達の洗脳は細かな指示までは与える事が出来ないようで、それぞれが思い思いに動いている。他の仲間と連携を取って戦おうという意思がないようだ。


 ましてや広い部屋とはいえ、閉鎖空間だ。挙動は自ずと限定される。ミリアリアも部下の衛兵に攻撃を邪魔されて斬りかかれない場面が幾度かあった。


 ロアンナは口の端を吊り上げる。


「ええい! 何をしている! 敵は1人だ! 一斉に掛かれっ!」


 中々追い詰められないロアンナに焦れたミリアリアが、苛立たし気に衛兵に命令を下す。だがこれこそがロアンナの待っていたものだった。


「ふっ!」


 全員が文字通り一斉に繰り出した武器が迫ると、直前まで引き付けてからまるで床に這いつくばるような勢いで素早く身を屈めた。


 ガキィッ!! と金属音が響いて3人の衛兵の武器が衝突して弾き合う。3人の体勢が大きく崩れる。


「な――――」


 ミリアリアが驚愕の声を上げた時には、ロアンナが旋回させた短槍の柄が衛兵達の首筋や鳩尾を打ち据えていた。


 バタバタッと倒れ伏す衛兵達。ミリアリアの顔から血の気が引く。



「さあ、後はあなた1人よ? あなたのやった事は今更無かった事には出来ない。自分の欲望の為にレベッカ達を死地に追いやり、女王を傷つけ、国を危機に陥れた。あなたに戦士を……いえ、この国の一員だと名乗る資格はないわ」


「く……!」


 追い詰められたミリアリアは咄嗟に踵を返し――


「う、動くな! 動けば女王を殺すぞ!」


「ぐぅ!?」「……!」


 椅子に縛り付けられているルチアの背後に回って、その細い首を抱えるようにしながら剣を突きつける。ルチアを人質にとったのだ。



「……心底見下げ果てた女ね。せめて最後くらい戦士らしく散る事さえ出来ない訳?」


「う、うるさい! お、お前は前からずっと気に入らなかったんだ! ちょっと強いからっていつも私の事を見下して……。お前達さえいなければ私だってこんな事は……!」


「別に見下してなんかいなかったわ。そう感じていたとしたら、それはあなた自身の心の在り様がそう思わせていただけでしょう? むしろ最近はあなたの事も認めていたのよ?」


「……!」


「尤も……それは先日までの話。今は確かにあなたの事を心底見下しているわね。今のあなたは進化種の〈市民〉にも劣るただの生ゴミよ」


「……お、おのれ……おのれぇぇっ!!」 


 激昂したミリアリアの意識が完全にロアンナの方へ向いた瞬間――



 ――ガブッ!



ッ!?」


 ルチアが自分の首を抱え込んでいたミリアリアの腕に噛みついた! 曲がりなりにも鍛えられた戦士であるミリアリアだ。本来年端も行かぬ少女に噛みつかれたくらいで怯むような女ではなかった。


 だがこの時は完全に想定外の痛痒であった為に、その痛みは彼女の身体を硬直させ、その意識をルチアの方に向けさせるには充分な効果があった。


 注意が逸れたのは一瞬。しかし熟練の戦士であり狩人でもあるロアンナにとっては、その一瞬で充分事足りた。


「――はぁっ!!!」


 気合一閃。〈職人〉すら仕留めた事のある裂帛の突きが、正確にミリアリアの胴体を――心臓のある位置を貫いた!


「がはぁっ!?」


 その勢いのまま後ろの壁に背中から衝突したミリアリアは、口から血を吐き出す。致命傷であった。



「そ……そ、んな……私は……、シュ、シュン、さ、ま…………」


「……さようなら。あなたの事は忘れないわ」


「…………」



 槍を引き抜くと、最早喋る事もなくうずくまるように床に倒れ込むミリアリア。そのまま二度と動き出す事は無かった。床に血だまりが広がっていく。


「せめて安らかに眠りなさい……」


 静かに黙祷を捧げたロアンナは、ルチアの方に向き直る。


「さあ、待たせたわね、女王様。今解いてあげるわ」


「あ、ああ、ありがとう、ロアンナ。そなたは私だけでなく、このクィンダムにとっても恩人だ……」


 まだ青い顔をしたままのルチアが、それでも気丈に礼を言った。目の前で人が死んだのだ。基本的には温室育ちだった少女がショックを受けないはずはない。しかもつい先日まで臣下だった見知った人間なのだ。


「いいのよ。クィンダムになくなられると私も困るし。シュンやレベッカ達も帰る場所が無くなってたら困るでしょう?」


「……! そ、それもそうじゃな……」


「さあ、解けたわ。立てる?」


「あ、ああ、何とかな……」


 ロアンナに手を引かれて何とか立ち上がったルチアは、青い顔はそのままにそれでもミリアリアの死体の方を振り返った。


「女王様、無理に見るものでは……」


「いや、いいんじゃ。この国で起きた事は妾にも責任がある。目を逸らしたくないのじゃ」


「…………」


「なあ、ロアンナよ。ヴァローナといいこのミリアリアといい……大人の女とは皆このような二面性を隠し持っておるものなのか? 一体どうするのが正解だったのじゃ? 妾には解らなくなってしもうた……」


 ただでさえ小さいその姿が、今は自信の無さから余計に小さく見えた。ロアンナは嘆息しつつ、ルチアの頭を撫でる。


「他人の心が読めない以上、そこは何とも言えないわね。でも少なくともレベッカやライカはそんな二面性とは無縁の真っ直ぐな女達よ。それは保証するわ」


「……!」


「それにこれが正解っていうのも無いんじゃないかしら? 未来が見えたり過去に戻れるような力でもあれば別だけどね。皆迷いながらそれでも最善を尽くそうと努力しているのよ」


「最善、か……」


 ルチアは何か考え込むような様子となった。ロアンナはふっと笑いながら彼女を促した。


「さあ、とりあえずここを出ましょう。城で神官達が待っているわ。この国を元に戻す手立てを一緒に考えましょう」


「……! む……そうじゃな。いつまでもこうしてはおれん。妾には国を守る義務があるのじゃ!」


 最後にミリアリアに黙祷を捧げると、決然とした表情となる。そして二度と振り返る事無く部屋を後にしていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る