第176話 それぞれの思い
場所はクィンダムの北西に位置するビレッタの街から更に進んだ、ラークシャサ王国との国境に位置する『境目』。両国の間に跨る巨大な森林を背にした平野に、臨時の大きな天幕が張られていた。
そこがこの『対談』の会場であった。
「見えてきたぞ、あれがそうだな?」
遠目に見えてきた天幕群を認めて、レベッカは神機で並走するリズベットに確認する。
「はい。間違いありません」
リズベットが首肯する。彼女はクィンダム側の『使節』の代表者という位置づけで参加していた。レベッカ率いる戦士隊がその『護衛』という立場での随行となっていた。
「おほん! それで、その……本当なのか? そのアレクセイという<貴族>に、その……」
レベッカが奥歯に物が挟まったような言いづらそうな調子で質問してくる。リズベットは溜息を吐く。
「はぁ……ジリオラさんかフラカニャーナさんですね……。全く仕方のない人達ですね。ええ、まあ……本当です。少なくともアレクセイ様は本気のようにお見受けしました」
「……! そ、そうか……。私もロイド殿との交流を経て、昔ほど偏見は抱いていないつもりだが……その、お前はどうするのだ?」
「どうする、とは?」
「だ、だから、その……
言いにくそうなレベッカにリズベットは微笑む。
「受ける……と言ったらどうします?」
「……ッ! お、お前が、本気で……そう思うなら……。だ、だが……」
「ふふ、冗談ですよ。神官長たる私が立場やあなた達友人を捨ててどこかへ行く事などあり得ません。それはアレクセイ様も解っておられるはずですわ」
「そ、そうなのか?」
聞きながらも露骨にホッとした様子を見せるレベッカ。リズベットは苦笑する。
「ええ。ですから心配は無用です」
「う、うむ! そうだな。ま、まあ私には最初から解っていた事だがな! 試しに聞いてみただけだ! ほ、ほら、さっさと行くぞ!」
若干顔を赤らめたレベッカが照れ隠しにわざと大きな声でそう言って、神機のスピードを早めて駆け出す。その背中をリズベットは暖かい眼差しで見つめた。
「あそこに……ヴォルフ様が……」
莱香はあのアアル渓谷での別れを思い出す。あれから色々な事があった。自分はあの時から少しは成長出来ただろうか。ついそんな事を自問してしまう。するとそんな彼女の心情を察したようにクリスタが横に並ぶ。
「ライカさん。大丈夫よ。あなたは戦闘能力という意味では勿論だけど、精神的にも大きく成長しているわ。きっとヴォルフ様もそれを認めて下さるわ」
「クリスタさん……ありがとうございます。少し気が楽になりました」
「ふふ、どう致しまして」
「で、でもクリスタさんも久しぶりにヴォルフ様との再会になる訳ですけど大丈夫ですか?」
彼との付き合いはクリスタの方がずっと長いのだ。その関係の深さもまた……
「あら、心配してくれるの? ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。お互い納得づくでの結果だったのだし、私もヴォルフ様もその事について一切後悔はしていないから」
「そ、そうですか」
2人は莱香から見ればまさに「大人の関係」という奴で、ちょっと憧れる部分もあった。
随行する戦士隊の面々もそれぞれの思いを抱えていた。
「あそこには各国の<公爵>も来てるんだってねぇ。ラークシャサ王国の<公爵>は知ってるけど、他の奴等は当然初見だね。どんな強い奴等なんだろうねぇ?」
「……まさか戦ってみたいとか言わない?」
フラカニャーナの若干楽しそうな声音に、イエヴァが眉を顰める。
「ははっ! 流石にそこまで自信過剰じゃないよ! ただ興味があるだけさ。こんな機会は今後まずないだろうしねぇ」
「まあ……それは確かに」
<王>を除けば、純粋な進化種としては頂点に位置する存在だ。その「高み」を肌で感じておくのは悪い事ではない。
それに無いとは思うが万が一これが罠だったりしたら、その時は決死の覚悟で相手が<公爵>であろうが立ち向かうのみだ。
「……ラークシャサ王国の<公爵>には会った事があるの?」
「ん? ああ、何度かね。よく剣闘大会の主賓として来てたよ。この前の大会では<王>が来てたから来られなかったみたいだけど。ラークシャサ王国にも<公爵>は2人いるんだが、キンズバーグはかなりの剣闘好きだったみたいでね。その……あたしのファンだって言ってきた事があるんだよ……」
「へぇ……」
意外な……というか何気にかなり重要な情報ではないだろうか。
「……何でその事を今まで黙ってたの?」
「え? そ、そりゃあ……聞かれなかったしさ。恥ずかしいだろ、そんな話」
「……はぁ」
イエヴァは溜息を吐いた。フラカニャーナにその辺の政治的な判断を期待するのがそもそも間違いだろう。そのフラカニャーナが話題を変えるように、黙って並走しているジリオラの方に水を向けた。
「どうしたんだい? 今日はえらく大人しいじゃないか。柄にもなく緊張してんのかい?」
「……うるさいですわね。私にだって色々と事情があるんですのよ」
彼女にしては暗い……というか思い悩んでいる口調であった。その様子にイエヴァが目を細める。
「……進化種側の使節の名前を聞いてから気になってた事があるんだけど……。バフタン王国の<公爵>……確か、シュテファン・
「……ッ!」
ジリオラが目に見えてビクッとする。
「アイゼンシュタット? あん? そういや確かあんたの苗字も……」
「し、し……知りませんわ! 私は何も知りませんわ! た、ただの偶然ですわ!」
「……ジリオラ。少しでも『交渉』を有利にできる要素があるのなら今のうちに……」
「だ、だから! 何も知らないと言ってるんですのよ!?」
怒鳴るように叫んだジリオラは、神機のスピードを速めて先頭のレベッカ達がいる所に駆けて行ってしまった。
「どうしたんだい、あいつは? あの日か?」
「……あなたはもう少し場を読んで」
イエヴァは再び大きな溜息を吐く。ジリオラとシュテファンの苗字が同じなのは勿論偶然ではないだろう。それは彼女の様子からして明らかだ。だが本人が知らないと言い張る物を無理に聞き出す事は出来ない。
「変に拗れたりしなければいいけど……」
若干胃が痛くなる思いのイエヴァであった。元々周囲への関心が薄く感情も乏しいはずの彼女であったというのに、いつの間にやら常識人、苦労人のポジションに置かれつつある気がして、微妙に納得が行かなかったのは余談である。
「さて、そろそろ到着ね?」
先頭を走るレベッカとリズベットの2人に追いつくように並走してきたのは……
「ロアンナ……済まんな。お前まで付き合わせてしまって」
ロアンナは肩を竦める。
「別にいいわよ。シュンに留守の事は任せろなんて大口叩いちゃったしね。それにグスタフの奴も来てるんでしょう? なら『大使』の私が出向くのも当然じゃない?」
ロアンナはシュンに告げた言葉通り、彼が不在の間は『狩り』を自粛して、戦士隊への教導や王都での仕事を手伝ってくれていたのだ。戦士隊が出動して王都が空になった時も留守を預かってくれていた。
ロアンナは後ろから追随している戦士隊の面々を見回した。
「……ねぇ。そう言えばミリアリアの姿が見えないようだけど?」
「ん? ああ、あいつは志願して王都に残ってくれたんだ。お前も私達もリズベットも全員イナンナを空ける状況だから、誰か信頼できる者に留守を預かってもらう方が確かに安心だからな」
「ええ。カレンも残ってくれていますし、女王陛下のお側に誰もいないという状況は不安ですから、ミリアの申し出はありがたく受けさせてもらいました」
「ふぅん……そう、なの?」
微妙に釈然としない様子のロアンナ。レベッカが訝し気に視線を向ける。
「どうした? あいつに何か用事だったか?」
「そういう訳じゃなくてね……。ねぇ、最近ミリアリアの様子に何か変わった所は無かったかしら?」
「うん? ……いや、どうだろうな。シュンが出立する時、妙に熱っぽい様子だった気はするが、その……あいつもシュンに懸想しているそうだから、まあそういう事もあるだろうしな」
「そう……あなたはどう? 何か気付いた事はある?」
ロアンナはリズベットにも水を向ける。
「そうですね。私も特にこれと言っては……。そう言えば最近カレンと仲がいいようですね。神官時代はそれ程話をするような間柄でもなかったように思いますが……」
「カレンと? ふむ……」
ロアンナが少し考え込むような仕草を取る。
「おい、何なんだ? ミリアリアがどうした? 何か気になる事でもあるのか?」
「……うん、そうね。イナンナに帰ったら、ちょっとあなた達に相談したい事があるわ。でも今は一旦忘れて頂戴。まずはこの『対談』に集中して無事に終わらせるとしましょう」
「む……ふむ、そうだな。了解した。ではイナンナに戻ったら、いつでも良いので声を掛けてくれ。リズもそれで良いな?」
「ええ、承りました」
2人が頷くのを見てロアンナも頷き返す。
「悪いわね。まあ杞憂に終わればそれに越した事は無いって程度だから。さあ、それじゃ気合を入れて『虎穴』に入るとしましょうか!?」
唯一微かな違和感に気付いていたロアンナ。だがその違和感も、目下の『進化種との対談』という大事の前に後回しにされてしまう。それが失敗だったと彼女らが気付くのはもう少し後の事になる……
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