第175話 安寧を守る為に
「陛下! レベッカです! 進化種の王国から『使節』が来たと伺いました!」
「お、おぉ……レベッカか。構わん。入るがよい」
ルチアは露骨にホッとしたような表情で入室の許可を出した。ルチアとリズベットは扉の方に気を取られて、カレンが小さく舌打ちしたのを見逃した。
間髪を入れず扉が開かれる。レベッカだけでなく莱香とクリスタも随伴していた。
「失礼致します、陛下。それにリズも。新生戦士隊、無事にアラルの街の防衛に成功し、ただいま帰還しました」
「おぉ、レベッカ。よくぞ戻った。ライカ達も一緒か。大体の戦果は既にリズから聞いておるが、大勝だったそうじゃな? 頼もしい事じゃ。これでクィンダムも安泰じゃな!」
「勿体ないお言葉にございます、陛下。これも偏にこのライカ達の獅子奮迅の働きと、優秀な隊員の選抜に協力してくれた皆の力があっての事です。それで、先程城の者から『使節団』の話を聞いて駆けつけて参ったのですが、本当の事なのですか?」
「う、うむ。実はそうなのじゃ。それでどうするべきか話し合っておったのだが、中々意見が纏まらず……。帰ってきたばかりで済まぬが、丁度良いのでお主等の意見も聞かせては貰えぬか?」
「勿論です、陛下。その為にこうして取り急ぎ駆けつけたのです」
レベッカは莱香やクリスタと目線を交わして頷き合う。莱香が進み出る。
「あの……リズベットさん。『使節団』のメンバーの名前は解ってるんですよね? 改めて教えて頂いても良いですか?」
「は、はい……。バフタン王国からは〈公爵〉のシュテファン・アイゼンシュタット及び……〈伯爵〉ヴォルフ・マードック」
「……!」
ヴォルフの名に強く反応したのは莱香とクリスタの2人だ。
「続いてラークシャサ王国からは、〈公爵〉ギリウス・キンズバーグ及び……〈
「ロイド殿……!」
レベッカが目を閉じて頷く。
「アストラン王国から〈公爵〉ヒルベルト・アラニス及び、〈侯爵〉アレクセイ・ナザロフ。以上の6名が『使節』の内訳です。これに一応敵対の意思が無い事の表明に、オケアノス王国から〈公爵〉グスタフ・ベルウッドが立ち会う事になっています」
「……ありがとう、リズ。陛下、我々の意見としましては……『対話』に臨んでみるべきだと考えます」
レベッカの意見にルチアは机から身を乗り出さんばかりになる。
「お……おぉ、そうか! そう思うか!」
「はい、使節団の内、ロイド殿に関しては私が……そしてヴォルフ殿に関してはライカとクリスタの2人が、その人柄を保証します。我々を罠に嵌めて陥れようなどという卑劣な行為を是とする人物ではありません。彼等が名を連ねているなら、話し合う価値は十分にあると思われます」
莱香とクリスタも力強く頷いている。だがそれに待ったを掛けるのはカレンだ。
「お待ちください、陛下。使節団の中には各国最上位の〈公爵〉も名を連ねています。進化種の王国は基本的に上位の者が力で支配する社会。〈公爵〉がそうと決めたなら、下位の〈貴族〉は逆らいようがないはずです。それを考えるとやはり安易に信用するのは危険すぎます」
「む、むぅ……そう言われると確かにその通りじゃが……」
一旦身を乗り出したルチアは再び難しい顔になってしまう。
「私達は彼等の人となりを知っている。ロイド殿は〈王〉相手にも臆する事無く自らの望みを通していた。意に添わぬ圧力に屈するような男ではない。私は……私達は彼等を信じてみても良いと思います」
「レベッカ……」
「ヴォルフ様もより上位の〈貴族〉相手に奴隷の扱い方を諫めたり、時にはその奴隷をご自分が買い上げて保護されていました。決して〈王〉や〈公爵〉の言いなりなどではありません」
クリスタも口添えする。
実体験に裏付けられた意見は、机上の空論の何倍もの説得力がある。ルチアだけでなくリズベットもその自信に目を瞠る。だが往生際の悪い者が1人……
「な……あ、あなた達戦士隊の仕事はこの国を脅かす敵を排除する事でしょう!? 新生戦士隊も発足したばかりだというのに、同盟が成ればあなた達の役目も仕事も無くなってしまうのですよ!?」
「お前は何を言っているんだ。この国を守る事が使命だからこそ、国民の安全と安心を第一に考えるのは当然だろう? それに仮に同盟が成ったとしても、それが永続的な物になるという保証はどこにもないし、何より魔獣の脅威に関してはそのままだ。我々の仕事が無くなる事などないさ」
「そ、それは、そうですが……」
カレンの顔色が赤くなったり青くなったりと忙しい。何か反論のネタは無いかと必死に思案する彼女を、レベッカは不思議そうに見やる。
「カレン、お前はミッドガルドの時は対話に賛成していたよな? 何故今回は頑なに反対するんだ?」
「それは……国民感情という物が……」
「確かに過去に多くの悲劇は起きた。だがその国民達は今も現在進行形で進化種の脅威に怯えて生活しているのだ。過去の憎しみよりも現在の安全の方が優先であろう。国民も納得してくれるさ」
「く……!」
正論にカレンが唇を噛み締める。ルチアが机を叩く。
「もうよい、カレン。レベッカの言う事は尤もじゃ。妾も腹を決めたぞ。クィンダムは使節との『対話』に臨む。これは決定事項じゃ!」
ルチアは立ち上がって力強く宣言する。
「……ッ!」
カレンは歯噛みし、レベッカの方をキッと睨みつけるとそのまま扉を開けて、部屋を走り去っていってしまった。リズベットが溜息を吐く。
「前はあんなに過激ではなかったと思うんですが、一体何があったのでしょうか……」
「……ヴァローナの例もある。目に見えている姿だけがその者の全てではない。何か……我々には解らん闇を抱えているのやも知れんな。監視という程ではないが……しばらく注意して見ていた方が良いかも知れんぞ?」
それはやはり過去、部下の反逆という手痛い経験を経ているレベッカならではの忠告であった。
「おほん! ……まあカレンの事は後で考えるとして、今は目の前の『対話』に集中するべきじゃな。お主等は使節の中にそれぞれ知己の者がおるようじゃな。であれば意思の疎通もしやすいかも知れん。妾の名代として行ってくれるか?」
神膜を張っているルチアはこのイナンナを出る事が出来ない。そして進化種の〈王〉や〈貴族〉も神膜の中に入って来れないので、ルチア自身が進化種と対談を行う事は、例え本人がそれをどれだけ望んだとしても不可能なのだ。
レベッカ達もリズベットも皆、神妙に頷いた。
「お任せください、陛下。シュン様が不在という悪条件ではありますが、必ずや良い結果を持ち帰ってみせます!」
こうして
王城の廊下を物凄い勢いで歩く女性が1人……カレンだ。廊下をすれ違った者は侍女は勿論、衛兵でさえも気圧されて慌てて道を開けていた。普段は柔和な彼女の顔に浮かんでいるのは……憤怒。
誤算であった。まさかミッドガルド王国以外の進化種の国が、よりにもよって『奴隷の狩場』でしかないはずのクィンダムと『同盟』を結ぼうなどと考えるとは思ってもみなかった。
確かに〈御使い〉たるシュンの力は強大だし戦力としては魅力的だろうが、各国の〈王〉はシュンに恨みも抱いている。まかり間違ってもその力を借りるなどという方向で話がまとまるとは予想していなかった。
(恐らくはレベッカやライカ達が言っていた連中の仕業か……。進化種の癖にクィンダムと同盟などとトチ狂いおって……!)
このままでは
(実行を早めるしかないか……。本当はもう少しじっくりと時間を掛けて『芽』を育てたかったが、こうなっては致し方あるまい)
カレンは足早に王城を出ると、その足で「とある人物」の家へと向かう。レベッカ達が帰ってきているのだから、
カレンの表情が憤怒から、邪悪な喜悦へと変化する。それは見ようによっては卑しさすら感じさせる醜い笑みだった。
(くくく……御使いとは言っても精神的には十代の子供……。人の、ましてや女心の不条理な機微など解るまいて……。『火遊び』の代償は高く付くぞ? くふふふ……)
カレンは醜い笑みを張り付けたまま、夜に差し掛かり薄暗くなってきた街の路地裏へと消えていった。
様々な思惑を孕みつつ、クィンダムと進化種の『対談』の時が迫っていた……
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