第161話 不穏なる気配

「…………」


 ある意味では壮絶と言っていい、舜の過去に誰もが言葉を失っていた。やがて最初に口火を切ったのはレベッカだった。


「……オケアノス王国で、ライカがあの〈女王〉に怒り狂っていた理由がようやく実感できたな」


「うむ。聞いていて何とも気分の悪くなるような話じゃったな」


 ルチアも同意するように頷く。


「……なるほど。シュン様の過去に何があったかは理解できました。そして〈王〉達がシュン様を憎む理由も……」 


 目を閉じて黙って聞いていたカレンがゆっくりと目を開いた。


「だとすると、特にミッドガルド王国の〈王〉はシュン様にとって、いわば宿敵とも言って良い間柄なのでは?」


「そう……なりますね」


 松岡の事を思い出すと未だに恐怖で胸が締め付けられる。倉庫跡では一度は命乞いする松岡を殺し、復讐を遂げたのにも関わらずだ。


(いや、むしろ……)


 復讐を遂げてしまったからこそ、怖ろしいのだ。




 ――何故ならお前の復讐はもう終わってる・・・・・からだ!


 ――解るかよ? 逆なんだよ、逆! 俺が! お前に! 復讐! すんだ、よっ! 




 かつて戦った吉川の狂ったような哄笑が思い出される。ただでさえ悪夢そのものであった松岡が、更に強烈な憎悪と復讐心を舜に対して確実に抱いているのだ。それも恐らくは極めて強大な魔力をその身に宿して……


「……ッ」


 知らず知らずの内に緊張から身体が小刻みに震えていた。想像しただけでこれである。もし実際に会ったりしたら、果たして自分はまともに相対する事が出来るのだろうか。そんな不安に苛まれる。だが……



「ま……松岡、君……どうして……」

「――!?」



 莱香の苦しそうな、痛ましそうな呟き。舜は信じられないような思いで莱香の方を見た。


「え……莱香? 今、松岡、て……?」


「え? あ……!」


 莱香はしまったという感じで口元を覆ったが、一度吐いた言葉は無かった事には出来ない。


「莱香……まさか、松岡と知り合いだったの?」


「ち、違うの! 知り合いって言っても、中学の時に同じ生徒会のメンバーだったから、それで……! 舜をいじめてたのが彼だって事もニュースで初めて知ったのよ!」


 妙に慌てた様子の莱香。3年以上も前にただ同じ生徒会だったというだけで、あんな心苦しそうな声を出すものだろうか。


(あの女好きの松岡が、2年程も莱香と近しい場所にいて何も無かった……? 莱香は当時から有名な美少女だったし、そんな事ありえるのか? いや、そもそもあのクズの松岡が生徒会に入る理由なんて…………一つしかあり得ない)



「莱香、松岡とは何も・・無かったの?」


「……ッ! な、何って……何も無かったわよ。ほ、ホントに……」


「…………」


 あからさまに目が泳ぐ莱香。一旦問い詰められると隠し事が出来ない性格だ。それは彼女の長所でもあったが。


 舜は溜息を吐いた。莱香があくまでしらを切ろうとするのは悲しかったが、自分もつい先日ミリアリアの件で莱香達に言いづらい事が出来てしまった身分だ。莱香の態度を一方的に責める事は出来なかった。



 だがこれで理由・・が出来た。恐怖を押し殺して松岡に会う理由が……



 舜は一度頭を振って気持ちを切り替えると、力強い視線でリズベットの方を見た。リズベットがちょっとビクッとする。


「リズベットさん。それで、松岡は……ミッドガルド王国は何て言ってきているんですか?」


 〈魔人種〉の説明からカレンの質問など、色々と横道に逸れてしまっていたが、元はそれが本題であるはずだった。リズベットは少し慌てたように頷く。


「は、はい。実は……まさに〈御使い〉、つまりシュン様との『対談』を提案してきているのです」


「……何だって?」


 松岡が舜を名指しにしてきた。それの意味する所は……


「馬鹿げているっ! どう考えても罠だ! 一考にすら値せん! 断固として突っぱねるべきだ!」


 レベッカだ。激しく興奮している。


「……そもそも受けるメリットはあるの? あの国はクィンダムと国境を接していない。リスクを負うデメリットしかない」


 イエヴァが首を傾げる。


「ええ、それなんですが……『対談』の如何によってはミッドガルド王国は、他の進化種の王国に『宣戦布告』をする用意があるのだと……」


「な……!?」


 レベッカが目を剥く。莱香やイエヴァも驚愕の表情が表に出る。ルチアとカレンは既に知っているらしく、難しい顔をしている。



 宣戦布告……つまり戦争を仕掛けるという事だ。オケアノス王国との不可侵条約とは訳が違う。



(そんな事可能なのか? いや、でも進化種の王国はいつも小競り合いをしていると言うし、仲が悪いのは確かだ。あり得ない事ではない……のか?)


「そうなればクィンダムへの襲撃や侵攻などの圧力は確実に減る、と、それが向こうの言い分です」


 それは確かにその通りだろう。戦争となれば他の王国もクィンダムにちょっかいを出している余裕はまず無くなる。


「今のクィンダムは新しい戦士隊も発足して極めて順調だ! シュンを危険に晒してまで取るようなメリットではない! シュン、馬鹿な事は考えるなよ!?」


 レベッカが興奮冷めやらぬ様子でまくし立てる。


「しかし戦士隊は替えの利かない戦力です。無駄な損耗が避けられるなら、それに越した事はないのでは?」


 とはカレンの言だ。レベッカが再び物凄い目付きでカレンを睨み付ける。


「その為にシュンを犠牲にしろとでも言う気か!? 馬鹿げてる!」


「まるで犠牲になる事が前提のような言い方はどうかと思いますが。向こうが本当に『対談』を望んでいるとは考えないのですか?」


「奴等にそんな事をしなければならん何の理由がある!? 罠と考える方が自然だろうが!」

 

「ですからその理由を聞くのも『対談』の目的の一つでしょう。真摯な態度で向き合えば相手側とて……」


「お前は進化種の卑劣さを知らんのだ! オケアノス王国の二の舞になるだけだ!」


「あれは、その〈女王〉とやらが殊更卑劣だっただけの話でしょう? 例えばラークシャサ王国の〈王〉などは、対話の余地があるとレベッカ様ご自身が仰っていたではありませんか。何故ミッドガルドの〈王〉は違うと言い切れるのです? 確かに放蕩ではあるようですが、それは今回の件とは関わりのない事。失礼ですがレベッカ様は先程のシュン様の話を聞いて、感情移入から先入観による偏見を――」


「――ッ! 貴様ぁっ!!」


 莱香達が止める間も無かった。椅子から跳び上がったレベッカは拳を固めてカレンに殴りかかる――――



「そこまでです、レベッカさん」



 ――直前で、強化魔法を用いた神速で割り込んだ舜によってその拳を受け止められた。



「シュ、シュン……」


「こんな場所で、味方同士での暴力沙汰は避けて下さい。レベッカさん、お気持ちはありがたいですが、今回の話受けようと思っています」


「な……ほ、本気で言ってるのか?」


「ええ。カレンさんの言う通り、それが少しでもクィンダムにとってプラスになるなら、試してみる価値は充分にあると思います」


「ッ! だ、だが罠だったらどうするのだ!?」


「勿論その可能性も高いので、一切油断はしません。今回は最初から神化種に変身して、万全の態勢で臨みたいと考えています」


「だ、だが、それでも……」


「それだけではありません。俺にとって松岡とは色々な意味・・・・・で決着を付けるべき、乗り越えなきゃならない相手なんです。向こうの挑発にむざむざ背を向けて縮こまっている事は出来ません」


 舜はそう言って莱香の方に視線を向けた。莱香は少し気まずそうに顔を伏せる。



「むぅ……シュンもそういう所は『男』という事じゃな。であるならば妾としては反対する事は出来んな」


「へ、陛下!?」


 ルチアが腕組みをしながら難しい顔で頷くのをレベッカは驚いて仰ぎ見る。


「それに妾は元より進化種の王国との対話を望んでおったのじゃ。ならばその機会があるなら賭けてみたいんじゃ」


「……!」


 ルチアの姿勢は以前の報告会の時から明らかだ。舜が望んで行くと言っているなら、彼女に反対する理由は無い。


「私は……シュン様と陛下が共に賛成されるのであれば、それに従います……」


「リズ、お前まで……!」


「ごめんなさい、レベッカ。だけど私もアストラン王国のさる〈貴族〉の方にこの命を救われました。進化種が全て邪悪ではないという事は、あなたもライカさんもその身を以って体験しているはず。ならばそれを信じてみても良いのではありませんか?」


「む……!」


 レベッカはロイドという〈貴族〉に、そして莱香もあのヴォルフに、命を救われ保護された過去がある。それを引き合いに出されると痛い所だ。


「レベッカ……信じて待つのも恋人の役目」

「……ッ!」


 イエヴァにまで無表情で諭され、遂にレベッカが折れた。


「……解った。いつまでも意固地に反対してシュンを困らせるのも本意ではないしな。私はお前を信じる。ただし絶対に無事に戻ってきてくれ。その約束だけはしてもらう」


「レベッカさん、ありがとうございます。はい、必ず無事に戻ってくるとお約束します。……莱香もそれでいいよね?」


 莱香に水を向けると、彼女はビクッとして顔を上げた。


「あ……う、うん。ごめんなさい、舜。私……」


「いいんだ。もう何も言わないで。俺もこれ以上詮索する気はないから」


「ごめん、なさい。うん、必ず無事に戻ってきて。私が愛してるのは舜だけよ。それだけは信じて」


「莱香……解ってるさ。ありがとう」



 『対談』には特に随行者の指定はされていないが、舜はオケアノス王国での経験を鑑みて1人で乗り込むつもりだ。レベッカ達も実際に人質になってしまった経験から、自分達が付いて行っても足を引っ張ってしまう自覚があり、舜が単身乗り込む前提に異を唱える事はしなかった。



「皆さんにはまだ言ってませんでしたが、ミッドガルド王国に乗り込む利点がもう一つあります。新たな要石の情報がフォーティア様より下されました」



「な……そ、それは!?」


 突然の重要情報に皆が色めき立つ。


「詳しい場所までは解りませんが、ミッドガルド王国内にある要石は、知恵の女神サピエンチア様を封印している物なのだとか……。その辺の情報も探れれば探って来ます」


「何と、そうであったか……。だがシュンよ。くれぐれも無理をするでないぞ。お主の命が一番の大事じゃ。少しでも危ないと感じたら、一目散に退却してこの神膜の中まで飛び込んで参れ。妾の神膜は無敵じゃからな!」


 そう言って小さな身体を目一杯反らすルチア。その愛らしい姿に舜だけでなくリズベット達も微笑する。


「はい、ルチア様。もしもの時は頼りにしています」

「うむ! 任せておけ!」


 何とか会議もまとまり、皆が納得してくれた事で安心感が生じていた。舜もレベッカも莱香もリズベットも、そしてイエヴァでさえもルチアの姿に微笑ましい視線を送って、和やかな雰囲気になっていた。



「…………」



 その為、舜のミッドガルド行きが決定したこの場で、カレンの表情が邪悪とも言える醜い笑みに歪められていた事に気付いた者は誰も居なかった。そして気付かないままに、運命の歯車は静かに、しかし確実に回り出していくのであった…………


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