第152話 動き出す歯車

 そこは光と闇が入り乱れる不可思議な空間であった。周囲にはもやのような物が掛かっていて先を見通す事は難しい。


 しかしそんな靄を切り裂いて強大なエネルギーが縦横に飛び交う。そのエネルギーを掻い潜るように、何者かの影が飛び回る。この空間で何か人知を超えた存在が激しく争っているのだ。


 光と闇は激しく混ざり合い、お互いを押しのけようと反発し合っていたが、やがて徐々に闇が濃くなり光が薄く小さくなり始める。



「ふ……くく……二柱掛かりとは言え、一柱はまだ復活したての言わば病み上がり・・・・・のようなもの。この冥府の王たるハデスを相手取るには少々力不足だったようですねぇ!」


「く……!」


 酷薄な笑い声に対して、悔し気に口を噛むのは……勇気の女神フォーティア。必死に障壁を張ってハデスから放たれる暗黒のエネルギーを押し留めている。だが強大な圧力に徐々に障壁が擦り減っていく。


「てやあぁぁぁっ!!」


 そこにハデスに向かって剣を構えて突撃する一条の光……節制の女神テンパランシアだ。フォーティアに攻撃している最中のハデスは躱す事が出来ない。だが……


「ふ……甘い」


 ハデスがそちらを見もせずに、空いている腕を振り払うような仕草をした。するとその腕の軌道から放射状に暗黒エネルギーが拡散し、テンパランシアに直撃する。


「ッ! きゃあああぁっ!!」


 堪らず吹き飛ばされるテンパランシア。ハデスはそのまま彼女に向けても暗黒エネルギーを放つ。


「くぅ……!」


 テンパランシアもまた障壁を張ってガードするが、フォーティアと同じく徐々に押され始めた。二柱の女神に同時に攻撃を仕掛けながら、ハデスにはまだまだ余裕がある様子だ。



「くくく……〈使徒〉への援護を妨害するという目的ならもう達したようですよ? 残念ながらあなた方の〈使徒〉が勝利を収めたようです」


「……! シュン、やったのね……!」


「だが……甘い。甘すぎる。私の〈使徒〉を殺さずに解放したようですね。私は〈使徒〉を通して、またいくらでもシェアの獲得に励む事が出来る。要石は破壊されましたが……それも今ここであなた方を再び屈服させ、封印してしまえば済む話。ノコノコと私に挑んできた事を後悔しなさい!」


 ハデスが更に攻撃の威力を高める。そして遂に……


「……ッ!」


 フォーティア達の張っている障壁に亀裂が入り、遂には粉々に砕け散る。


「ああぁっ!!」


 テンパランシアの悲鳴。障壁を失った姉妹はハデスのエネルギー波をまともに受けて大きく吹き飛ばされる。


「さあ、仕上げです」


 ハデスが指を鳴らすと、姉妹の周囲の空間に穴が開き、そこから何かが這い出てくる。それは……毒々しい紫色をしたいばらのような物体であった。その茨は無数に枝分かれし、通常の植物ではあり得ないような速度で伸びていくと、瞬く間にフォーティアとテンパランシアの身体に巻き付き締め上げた。


 テスカトリポカの触手やセトの柔毛、ラーヴァナの剣山に相当する、ハデスの操る意識体である。茨は拘束した姉妹の身体を持ち上げると手足を大きく広げた磔の体勢に固定して、ハデスの目の前に捧げる。


「く……!」「い、いやぁ……」


 姉妹は必死に身を捩るが、茨の拘束はビクともしない。



「く、ふふ……勝負あり、ですね。二柱いれば私に勝てると思いましたか? 私を甘く見た事があなた方の敗因です。……さて、それではあなた方の神力を根こそぎ吸い尽して、姉妹仲良く封印してあげましょう。そうすれば下界の女達は神術を使えなくなる。あの『神膜』も消失し、エナジーを奪い放題になります。ふふふ……もう少しです。もう少しで我が悲願を達成できます」



 熱に浮かされたように語るハデスは、そのまま茨を通してフォーティア達の神力を吸い取ろうと力を込める。自身を構成する根源的なエネルギーが吸い取られ、失われていく感触にフォーティアは恐怖する。


「ね、姉様……」


「く……テンパランシア……! 頑張って! もう少しで・・・・・……!」



「ふははははは――――はぎっ!?」



 ハデスの狂ったような哄笑が唐突に途絶える。同時にフォーティア達を蝕んでいた拘束と力が緩む。



「やあ、ハデス。悪いけど君はここでゲームオーバーだよ」



 無邪気とも取れる少年の声。だがその無邪気さは無垢と残酷さを兼ね備えたものだった。


「ロ……ロキ、さん……? 何を……?」


 ハデスの胴体を後ろから貫いている手。一体いつそこに現れたのか、少年の姿をした邪神……ロキがその場に佇んでいた。


「僕の計画・・の為には、君達は邪魔だったんだよ。舞台を整えるのに必要だったから君達と手を組んでいたけど、それも粗方済んだし、ごめん。もう君らは用済み・・・なんだ。だからもう消えていいよ?」


「ロ、ロキィィィィィッ!!」


 ハデスの身体から暗黒のエネルギーが噴き出す。同時に全ての茨が一斉にロキに殺到する。


「はっ! 悪あがき、だね……!」


 ロキが突き入れている腕からも、ハデスの物とは別種のエネルギーが噴き出す。それはハデスの身体を内側から焼き尽くした。



「ギャアァァァァァァァァッ!!!」


「あははは! 流石の君でも内側から焼かれたらどうにもならないでしょ!? この状況を作り出すのに苦労したよ!」



 ハデスの意識体である大量の茨が朽ち果てていく。それに伴ってハデスを構成している物質が徐々に塵と化していく。



「あぁ……! い、いやだぁぁ……! ペルセポネー……貴女に、もう一度……」



 それがハデスの最後の言葉となった。完全に内側から焼き尽くされ存在を抹消された邪神は塵へと還っていく。やがてその塵も空間に吸収されるように消えていった。



****



「ふぅ……終わったね。君達も囮役・・ご苦労様。こんなに上手く行ったのは間違いなく君達のお陰だよ」


 同志であったはずの邪神の一柱を無に帰した少年は、ニッコリと無垢な笑みを浮かべてフォーティア達の方を顧みた。姉妹は一様にビクッとして身を強張らせる。


「あはは! そんなに警戒しなくてもいいよ。君達をどうこうする気はないからさ。とりあえずハデスを倒したのは君達って事で一つ宜しく頼むよ」


「……ッ! あ、あなたの……あなたの目的は一体何なのです!? 何を為そうとしているのですか!?」


 テンパランシアが堪りかねたように叫ぶ。


「この前も言った通り……いや、君は初めてか。別にあの世界……イシュタールに直接・・害を及ぼそうとしてる訳じゃないから安心してよ。まあその過程・・で多少の被害は出るかも知れないけど、残りの邪神達も駆逐する事と引き換えだと思えば安いものだよね?」


「な……は、話が違うわ!」


「僕が直接手を出さないという点では嘘は言ってないだろ? 手を出すのは僕の〈使徒〉だよ。つまり君達の〈使徒〉が頑張ればその被害も止められるかも知れないって訳。ま、精々頑張ってみたら?」


「あ、あなたの〈使徒〉……!」


 それはシュンとも因縁深き「あの人物」であるはずだ。シュンの行く手に立ちはだかるであろう新たな苦難を思って、フォーティアは胸を引き絞られるような苦しみを憶えた。


「さて、それじゃここでの用は済んだし、僕はこの辺で失礼するよ。次の〈定例会〉でハデスの事を取り沙汰される前に、やれる事は全部やっておきたいから忙しいんだよ。じゃあね」


 一方的にそれだけ告げると、ロキの姿は煙のように掻き消えてしまった。後にはただ打ちのめされてボロボロになった姿のままの姉妹が残された。



「ね、姉様。あいつの目的は何なのですか? 一体……イシュタールで何が起ころうとしているのでしょうか?」


「……解らないわ。でも今の私達に出来る事は限られている。今はまだ、あいつの力が必要だわ。あいつの目的が何であれ、それを利用して私達も戦力を整えるしかないわ。私達四柱が全員復活する事が出来れば、例えロキであろうとイシュタールを思い通りになど出来なくなるわ。今は……雌伏の時よ」


「…………」


 テンパランシアが不安を感じているような表情のまま黙り込む。フォーティアも不安はあるが、とにかく今はそれしか道が無いのだ。


 彼女はハデスとの戦いに挑む前に、ロキから教えられた情報を思い出していた。それは……姉妹の長女、知恵の女神サピエンチアの封印に関しての情報であった…………





第5章へ続く……


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