第128話 海の底へ

「……よし。それじゃ行きますよ。皆、俺から離れないで下さいね」



 最初に舜だけが出ていく事も考えたが、向こうの目的が舜と女性達の分断の可能性もあるので、離れない方が良いという結論になった。何と言っても要石を破壊できるのは、神術を使える女性達だけなのだ。彼女達が優先的に狙われる可能性も充分考えられる。


 一行はひと塊になって砂浜へと降りていく。勿論女性達は全員得物を抜いて臨戦態勢だし、舜は進化種達を威圧するようにその魔力を全開にして発散させている。




 浜辺には優に100人以上の〈海洋種〉達が集っていた。それはあの『侵攻』にも劣らない規模であった。しかもここは神膜外だ。先程のセドニアス公爵を始め、他にも何人もの〈貴族〉が含まれていて、その戦力は比較にならない。


 その集団の真ん中……最前列に、しゃちと人間を掛け合わせたような姿の進化種が仁王立ちしていた。この鯱人が先程のセドニアス公爵で間違いないだろう。その身体から押さえていても横溢する魔力は、〈王〉のそれに近いレベルだ。これは人間の姿のまま戦ったら、相当に苦戦……どころか下手をすると負けるかも知れないという予感があった。



(これが〈公爵〉級か……) 



 このセドニアスに他の〈貴族〉も加勢されたら確実に負ける。神化種になったとしても、先程危惧したように莱香達を人質に取られたらお終いだ。予想以上の厳しい状況に、舜の表情は険しくなりその魔力も張り詰める。


 これまで3人もの〈王〉を下した事で、少なからず慢心していたのかも知れない。例えどれ程の力があっても自分はあくまで個人であり、「国」を相手取る事の厳しさを実感していた。


 今までは『潜入』が多かった為に、それを失念していたのだ。




「ふむ……貴殿が〈御使い〉殿か……。いや、失礼。3人もの〈王〉を倒した猛者というから、もっと堂々たる偉丈夫を想像していたのでね。だがその魔力は間違いようが無いな」



 セドニアスが舜を値踏みするような視線と共に口を開く。



「……お望み通り出てきてやったぞ。〈王〉はどこにいるんだ?」



 一切の油断なくセドニアスを見つめながら切り返す。世間話をしている精神的余裕はない。こんな事で〈王〉と話など出来るのか、と不安になる舜である。セドニアスが苦笑する。



「そういきり立つな。貴殿から仕掛けてこん限り、こちらも手を出す気はない。〈王〉が貴殿との対話を望んでいるのは事実だ。〈王〉は衛星都市ステュクスにて貴殿を待っておられる」


「ステュクス……」


「王都テーテュースを囲む海底都市の一つだ。どの道海に潜る気だったようだし、構わんだろう?」


「…………」



 確かにその通りだ。ただ海中戦を得意とするだろう〈海洋種〉に囲まれながら海に入るのに抵抗があるだけだ。だが確かにいざとなれば戦闘も辞さない気でいたのは最初からだし、それも今更な話だろう。



「……解った。ただし彼女達も一緒だ。それが駄目ならこの話は無しだ」



 ここで莱香達と離れるのは絶対に悪手だ。これだけは譲るつもりは無かった。セドニアスが肩を竦める。



「構わんよ。その女共に何が出来るとも思えんしな」

「……!」



 嘲弄を含んだその言葉にレベッカやロアンナが何か言いかけるが、寸前で思い留まってグッと唇を噛み締めて黙り込む。確かに〈公爵〉から見れば彼女達は取るに足らない存在だろう。ここで下手に反論などして拗らせるのは得策ではない。



「さて、ではステュクスまで案内させて貰おう。付いてくるがいい」



 セドニアスはそう言って身を翻す。他の〈海洋種〉達も海に戻っていく。舜は莱香達を振り返る。



「……皆、絶対に俺から離れないで下さいね」



 緊張した表情で頷く女性達に気密の魔法を掛けていく。自身にも同じ魔法を掛けると、ふぅっと大きく息を吐いてから海を見据える。



「さあ、行きますよ!」



 そして一行はオケアノス王国の領域へと踏み込んでいった……




****




 当然だが海の中は、陸上とは全く異なる世界だった。公害と呼べる規模の海洋汚染が存在しないこの世界の海は、一言で言うならとても美しかった。まだ日が高い時刻の為、マルドゥックから照らされる光が燦々と降り注ぎ、その中を潮の流れに合わせて種々の海藻類が揺蕩っている景色は、何とも言えない幻想的な光景であった。



「凄く……綺麗ね」



 隣を泳ぐ莱香も同様に景色に心奪われているようだった。



「うむ……だが、海の中で普通に呼吸して喋っている感覚がどうにも慣れんな……」



 レベッカがぼやく。舜自身と彼女らに掛かっている気密の魔法は、非常に薄い空気の層を身体に合わせて身に纏う魔法である。言ってみれば透明で重量もゼロの潜水服を着ているようなものだ。海中に溶け込んでいる酸素を抽出して取り込んでくれるので、酸素切れの心配も無い。魔法による作用か、こうして喋っての意思疎通も可能である。



「右に同じ。でも早く慣れないとこの先が大変よ?」



 ロアンナも戸惑っている様子だが、頑張って慣れようとしていた。この先どういう展開になるかは予測が付かないが、要石の破壊という目的がある限り、彼女達の役割は大きい。いざという時に自由に動けないでは目も当てられない。レベッカもその意見には賛成のようで、しきりに手足を動かしたりして感覚の習熟に励んでいた。


 舜や莱香は、地球の知識でスキューバダイビングや潜水服のイメージが出来上がっているので、さほど違和感も無く慣れる事が出来ていた。



「クリスタさんはどうですか?」



 莱香が心配して聞くと、クリスタは微笑みながらその場で優雅にクルッと「縦」に一回転してみせた。


 

「ご覧の通り心配ないわ。ありがとう、ライカさん」



 どうやらいち早く感覚に馴染んだようである。



「まだ子供の頃に受けた、手足を縛られた簀巻き状態で海に投げ込まれる訓練に比べればどうという事はないわ」


「そ、そうなんですね……」



 ニッコリ笑いながら壮絶な体験を語るクリスタに、莱香は若干引きつった笑みを浮かべていた。





 セドニアスが近寄って来た。海洋種だけあって流麗な泳ぎっぷりで、陸上にいる時より遥かに俊敏そうだ。


「ステュクスは衛星都市の中では、最もクィンダムに近い場所にある前哨都市でもある。だが貴殿らのペースに合わせていると、それでも優に半日以上は掛かってしまうだろう。そこで提案だが……ステュクスまでこの者達に掴まっていっては貰えぬか?」



 その言葉と共に、魚人や海豹アザラシ人など、5人の〈市民〉が近付いてきた。女性達が一様に緊張する。



「…………」

 半日以上も泳ぎ続ければ、魔素で自給自足の舜はともかく、女性達の体力が持たないだろう。無駄に時間を掛ける理由も無い。



「……いいだろう。でも俺が一番最後尾になる。それが条件だ」



 これ幸いと女性達だけどこか違う場所に連れていかれては堪らない。最後尾にいれば怪しい動きが無いか見張る事が出来る。セドニアスが再び苦笑する。



「疑り深いな。まあ無理からぬ事か。こちらは別にどうでも構わん。では了承という事でいいな?」



 莱香達は若干気味悪そうな顔をしていたが、そこは我慢して貰う他ないだろう。各々が〈市民〉の背中に取り付くような格好になった。舜も最後尾で海豹人の背中に取り付く。



「では、スピードを上げるぞ。しっかり掴まっていろ!」



 セドニアスの号令の元、海洋種達が一斉に全力で泳ぎ始める。



(おお……! これは……凄いな)



 速度だけなら陸上や空中で、これより速い速度は何度も体験している。しかし海中で直接その水流を肌で感じながら、これ程速く動くというのは斬新な体験だった。恐らく莱香も同様だろう。まだ余り慣れているとは言い難いレベッカやロアンナなどは、恥も外聞も無く〈市民〉の背中にがっしりと必死の形相でしがみ付いていた。

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