第110話 怒りの〈御使い〉

 間一髪だったが、莱香達は全員無事に保護出来た。後は……


 舜に睨まれた銀色の蟻人――〈役人〉が、未だ目の前の現実を受け入れられないかのように叫ぶ。



「馬鹿ナ! オ前ハモウ目覚メナイ筈デハ無カッタノカ、〈御使イ〉!」


「莱香達のお陰で目覚める事が出来たのさ。……絶対に許さないぞ、お前達」



 こいつらは自分達の楽しみの為だけにレベッカを痛めつけて喜んでいた。そしてレベッカも戦士隊の皆も、こいつらによって奴隷として連れ去られてしまった。更にそれだけでは飽き足らず、再び侵攻してきて今度は莱香達を弄び、凌辱しようとした。全て自分達の欲望を満たす為だけに……


 遠慮する理由は何一つ無かった。舜は今、激情のままに荒れ狂う鬼と化した。



「ヒィッ!? オ、オ前達、掛カレ! 掛カランカ! コノ数デ攻メ立テレバ、如何ニ〈御使イ〉トテ一溜マリモ無イワ!」


 銀蟻人が口から泡を吹かんばかりの勢いでまくし立て、〈市民〉をけしかけてくる。2発の熱線の魔法で多少減ったとは言え、それでもまだ100人近くの〈市民〉達が残っている。そして1000体近い眷属も……



 周囲の〈市民〉達が狂乱したように魔法を放ってくる。火球や光球、石礫など大小様々な魔法が、数十発も舜に向かって撃ち込まれる。


 衝撃、爆炎、破砕音。立ち込めるそれらによって舜の姿が見えなくなる程だ。しかし粉塵と煙が晴れた時、そこにはヒビ一つない結界に包まれた無傷の舜の姿があった。


「お返しだっ!」


 相手の魔法群を防御している間に溜めておいた魔力を解き放つ。〈市民〉達の群れの中央付近に氷嵐が巻き起こる。凍てつく冷気の嵐は、あっという間に20人程の〈市民〉を氷漬けにした。氷像が砕け散ると共に、主人を喪った眷属達も消滅する。


「クソ、化ケ物メ! 接近戦ダ! 〈御使イ〉ハ接近戦ニ弱イ! 眷属ト共ニ押シ潰セェッ!」


 銀蟻人の指令を聞いた〈市民〉達が、眷属を従えて一斉に襲い掛かってくる。その手には思い思いの魔力の武器が握られている。


 舜が接近戦に弱い……。間違ってはいない。ただそれは相手が同格以上の敵だった場合に限る。有象無象がどれだけ押し寄せようが……今の舜の敵ではない!


「はあぁぁぁっ!」


 舜は魔力を高め、自分の周囲に拡散する炎の波――炎嵐の魔法を発動する。



 ――ゴオォォォォォッ!!



 巨大な火柱が立ち昇ると共に、炎は渦となって全てを巻き込む。燃え盛る炎の爆音と、それに巻き込まれた者達の阿鼻叫喚。それはさながら罪人を焼き尽くす地獄の炎を連想させた。


 炎の渦が収まった時……そこには術者である舜と、結界で守られた莱香達以外の進化種は、全て跡形もなく焼き尽くされていた。


 いや、1人だけ……〈市民〉達を嗾けておいて自分だけ逃げ出した者がいた。そのお陰で炎嵐には巻き込まれなったが、それはただ僅かに寿命が延びたに過ぎない。


「ヒィッ!?」


 強化魔法を全開にして一瞬で前に回り込んだ舜の姿を見て、その〈役人〉――銀蟻人は腰を抜かしたようにへたり込む。


「自分は安全な所から女性達を散々嬲っておいて、いざ危なくなったら部下も見捨てて自分だけ逃げるのか?」


「ヒッ! オ、オイ待テ! ワ、私ハ〈王〉ノ直属ノ配下ダゾ!? 私ヲ殺セバ〈王〉ノ怒リヲ買ウゾ!? ワ、私ヲ逃ガセバ、〈王〉ニ〈御使イ〉ガ復活シタ事ヲ警告シテヤル! ソウスレバモウ私達ガ『侵攻』シテクル事ハ無イ! ダ、ダカラ……」


「どっちみちお前達が全滅した時点で、俺が復活したって事は知られるだろ。〈王〉の怒りを買う? お前は知らないだろうけど、俺はもうとっくに全ての〈王〉達の怒りを買ってるんだよ。だからお前を見逃す理由はない」


 舜は銀蟻人の見苦しい命乞いを冷徹な声で遮断する。銀蟻人が絶句する。舜は構わず魔法を放とうとして……


「ッ!?」


 凄まじい頭痛に動作を中断される。頭痛と言うより、これはまるで脳を直接鷲掴みされているかのような……!


「ヒ、ヒャハハ! 馬鹿メ! 油断シタナ! 不用意ニ私ノ『テリトリー』ニ踏ミ込ンダ事ヲ後悔スルガイイ!」


「……!」

 脳を揺さぶられるような衝撃に立っていられず、膝を着いてしまう。ミリアリアも喰らったという〈役人〉の特殊な攻撃だ。油断していた訳ではなかったが、想定外の攻撃だったのは確かだ。とても魔法を使うような集中力を持続できる状態ではない。


「フフフ……! コレハ思ワヌ大金星ダ。他国ノ〈王〉スラ退ケタ〈御使イ〉ヲ私ノ手デ……! カツテ無イ程ノ大手柄ハ間違イナシダ!」


 銀蟻人が魔力の剣を片手に迫ってくる。舜に為す術はない……のだが、実は舜は謎の頭痛を感じる直前に、一つ魔法を解除していた・・・・・・・・・。或いはそれは危機を察しての防衛本能の為せる業だったのかも知れない。



「舜っーーー!!」



 莱香が太刀を手にして駆け付けてくる。ロアンナ達も追随している。そう、莱香達を保護する結界を解除していたのだ。


「何ッ! クソッ!」


 事態に気付いた銀蟻人が、慌てて莱香達を迎撃しようと意識を逸らす。だがそれは〈御使い〉たる舜相手には致命的な失敗であった。


 意識が逸れる事で弱まった圧力を、魔力で強引に弾き飛ばす。


「ッ! シマッタ……!」

「はあぁぁっ!」


 銀蟻人が気付いた時にはもう手遅れだ。至近距離から火球の魔法をお見舞いしてやる。躱す暇もなく炎に包まれる銀蟻人。


「ウギャアアアァァァッ!!」


 耳をつんざくような奇怪な断末魔と共に――――ラークシャサ王国の『侵攻部隊』は完全に殲滅されたのであった……




****




「舜っ! ほ、本当に舜なのね!?」


「ああ、そうだよ。ごめん、莱香。それに本当にありがとう。お陰で俺はこうして目覚める事が出来たよ」


「! 舜……!」


 莱香が抱き着いてくる。舜もしっかりと莱香を抱き返す。もう二度と彼女を一人にしない、悲しませない、という決意を込めた抱擁でもあった。


「あー……シュン? 一応私達もいるんだけど?」


 ロアンナの若干揶揄するような声にハッとなり、2人は慌てて離れる。



「あ……す、すみません。忘れてたとかではなくて……。勿論ロアンナさん、リズベットさん、クリスタさん……皆さんにも感謝しています。本当にありがとうございました」


 舜はロアンナ達にも頭を下げる。誰が欠けても神酒は持ち帰れなかった可能性が高い。皆等しく舜の恩人だ。


「うふふ、いいのよ。これは貸しだからね、シュン?」


「シュン様、こちらこそ危ない所をありがとうございました。ロアンナさん、助けられたのは私達も同じなんですから貸し借りなどありませんよ」


「もう、連れないわねぇ。冗談に決まってるでしょ」


 リズベットに窘められたロアンナが肩を竦める。クリスタもそんな彼女達の様子に苦笑していた。


 皆に礼を言って落ち着いた所で舜は、先程から気になっていた事を質問する。



「ら、莱香……あの、その武器って刀? それに鎧も……?」


「あ……これは、クリスタさんの所で……」



 莱香とクリスタが新たな装いになっている事の顛末を説明された。あのイナンナにそんな暗殺者達の本拠地があった事にもびっくりしたが、もっと驚いた事があった。



「異世界人だって……!?」


「はい。『ティアマトの目』の初代ギルドマスターが異世界人であったというのは、ギルド内では有名な話でした。ライカさんの武器と鎧はその初代の遺した物だったのです」 


「…………」

 クリスタから説明を受けた舜は、少し不思議な気持ちになった。


(過去にも異世界人がいた……? それも明らかに日本と思われる場所から……。うーん。気になるけど今すぐどうこうという話じゃないし、もし機会があったらフォーティア様に聞いてみるか)


 考えても仕方のない事なので、とりあえず脇に置いておく。しかし話が莱香の武器や鎧になった事で、舜は改めて莱香の格好を意識した。


(う、な、何か結構すごい事になってないか? よくよく見ると滅茶苦茶エロいぞ、コレ……!)


 恐らくは神術の効率を重視した結果なのだろうが、腹甲を削り取った具足の一式を素肌に直接身に着けているのだ。袖や草摺の部分も短く削られ、露出度がより上がっている。莱香のきめ細やかな柔肌が、大胆にむき出しになっていた。手袋や足袋の類いが無く、籠手や脛当ての先から手や足の部分がむき出されているのも、妙になまめかしかった。


 舜の視線を敏感に感じ取ったのだろう、莱香が少し顔を赤らめて恥ずかしそうにする。


「しゅ、舜……。恥ずかしいからあんまり見ないで……」

「あ! ご、ごめん!」


 慌てて視線を逸らした先でクリスタの姿が目に入った。彼女もセクシーなくノ一のような衣装であった。普段は温和な彼女がそのような衣装を纏っていると、ギャップで余計にエロく感じてしまう。思わず視線が吸い寄せられていると、横合いから今度は氷嵐の魔法よりも冷たい視線を感じた。


「…………舜?」

「ッ! わわっ! ご、ごめん、つい!」


 再び慌てふためく舜を見て、ロアンナが吹き出す。


「ぷっ! あはははっ! 進化種の軍団を一瞬で殲滅した〈御使い〉も、恋人の前じゃ形無しねぇ。でも、うふふ……いいと思うわよ、そういうの」


「ロ、ロアンナさん……」


 舜が情けなさそうな顔になる。それを見たロアンナが再び吹き出しそうになるが、何とか堪えていた。リズベットが話題を変えようと咳払いする。



「おほん! ……それでシュン様。侵攻部隊は殲滅出来ましたが、これから私達はどうしたら良いのでしょう?」



 その言葉に他の女性達もハッとなる。確かに「対症療法」は成功したが、それは根本的な解決とは言えない。それに図らずも先程舜自身が言ったように、侵攻部隊を撃破した事で舜が復活したという事は、確実にラークシャサ王国の〈王〉に知られる。


 舜を警戒して、またあの卑怯な人質作戦を取られたりすれば厄介な事になる。



「うん、それなんですけど……俺はこのままラークシャサ王国に乗り込んでみる積もりです」


「……!」

 莱香を含めた女性達が息を呑む。リズベットが何か言いかけるのを手で制する。


「言いたい事は解ります。でも根本から原因を断つには、これしか方法が無いんです。俺がラークシャサ王国に入れば、必ず〈王〉が察知するはずです。どの道あいつらとは、もう一度決着を付けなきゃいけないし……」


「舜……」


 舜の過去を知る莱香が痛ましそうな様子を見せる。



「それにもしかしたら、レベッカさん達の手がかりを得る事も出来るかも知れないし」

「……!!」


 レベッカの名に反応したのは、リズベットとロアンナの2人だ。2人にとってもレベッカは友人だ。その安否は当然気に掛かっているはずだ。


「じゃ、じゃあ私達も……」


 と莱香が言いかけるのを、やはり手で制する舜。



「もう莱香達は充分に働いたよ。今まで碌に休む暇も無かっただろう? 後は俺に任せてゆっくり休んでいて欲しい。大丈夫。必ず戻ってくるって約束するよ」


「……ッ」



 舜は言葉にしなかったが、相手が〈王〉となれば今の莱香達に出来る事は殆ど無い。むしろ足を引っ張ってしまう可能性が高い。それを頭では解っているのだろう、莱香はギュッと唇を噛み締めて俯く。そんな彼女の肩にクリスタがそっと手を添える。



「ライカさん。信じて待つ事もまた戦いよ。シュン様はこうして奇跡的に復活を果たしたわ。なら再び奇跡を起こして下さるわ」


「クリスタさん…………そう、ですね」



 クリスタに諭された莱香は、顔を上げて舜を見る。



「舜……絶対に生きて帰ってきて。もう二度と私にあんな思いをさせないって約束して」


「莱香……ああ。絶対に生きて戻る。二度と莱香を悲しませたりしない。約束する」


「……うん、信じる」



 莱香はそれだけ答えて後ろに下がった。もうこれ以上の言葉はいらない。後は実践するだけだ。舜は皆に背を向けた。


「それじゃあ……行ってきます」


「シュン様……ご無事をお祈りしています」


 リズベットの言葉を背中に聞きながら、舜は強化魔法を発動し、一気にラークシャサ王国へと突入していった……

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