第109話 絶望の迎撃戦

「やああぁぁっ!」


 莱香の振り下ろした太刀が、巨大アリの頭を叩き割る。脳漿をまき散らしながら息絶える生物に嫌悪を感じている暇もなく、その左右から別の巨大アリが迫ってくる。息つく間もなくそちらに対処している間に、更に背後から巨大バッタが跳びかかってくる。アリに対処している莱香にそれを防ぐ術はない――


「ライカさん!」


 素早く割って入ったクリスタがダガーを巨大バッタの喉元に突き入れる。絶命する巨大バッタに目もくれずに、そのまま莱香に加勢するクリスタ。


「クリスタさん……!」


「ライカさん、全体を俯瞰するのよ。目の前の敵にだけ集中しては駄目!」


「ッ! はいっ!」


 言葉を交わす最中にも、四方八方から絶え間なく襲い来る敵に対処し続ける2人。上空には何体もの巨大なハチが飛び回って、莱香達の隙を窺っている。そんなハチの一体が、脳天を矢で貫かれて墜落する。


「――ったく! ブンブンブンブン、うるさいのよっ!」


 ロアンナが苛立たし気な声と共に、弓と矢でハチを射落としていく。そんな彼女にも容赦なく地上の蟲が迫る。


「させませんっ!」


 リズベットがロアンナを守る様に間に入り、メイスを叩き付けて近寄る蟲の頭を叩きつぶす。



「くそ! きりがないわよ、こんなの!」



 4人の女達はそれぞれの背後を守るように背中合わせとなる。その周囲にいる蟲の怪物は一体どれほどいるのか数え切れない程で、既に結構な数を倒しているはずなのだが、一向に減っているような気がしなかった。そうしている間にも、蟲の津波は容赦なく押し寄せてくる――






 ネクタル島でオケアノス王国の〈貴族〉を退けた莱香達は、遅ればせながらクィンダムに帰還し、そこでミリアリアが運悪く遭遇した進化種に襲われ怪我をしながらもこれを撃退し、先にクィンダムに辿り着いていた事にホッと胸を撫で下ろした。


 無事に神酒は舜の元に届けられたそうだが、その結果も見届けない内に莱香達は新たな驚愕の報せを聞く事になってしまう。



 再度の『侵攻』。



 恐らくは前回と同じ部隊だと、複数の神官達と協力して索敵を実行していたカレンが、顔を青ざめさせながら報せてきた。

 今現在クィンダムに、進化種に対する防衛戦力は皆無に等しい。間違いなく侵攻部隊はクィンダムを好きなように荒らし回り、住民達を奴隷として捕らえるだろう。


 莱香達はほぼ迷いなく迎撃に志願した。今進化種相手に戦えるのは自分達だけだ。ならば躊躇している暇などない。無謀でも何でもやるしかないのだ。

 そうして莱香達4人は、遠征の疲れを癒す間もないまま侵攻部隊の迎撃へと向かって行ったのだった。




 敵は規模が大きい事もあり、発見には苦労しなかった。リズベットが広範囲の索敵を掛ける事で、敵の注意を引く事も出来た。そしてこちらに向かって一直線にやってくる大軍。

 実際に百人以上の進化種の部隊を見た莱香は、絶望と恐怖で震えそうになる足を押さえるのに必死となった。


 敵は今回は人質を連れてはいないようだ。それを見て取ったロアンナが接敵の前に、早速先制の一撃をかますと、遠距離攻撃を警戒した進化種達が次々と眷属を召喚してきて、今現在の状況に至るという訳だ。

 逃げ場なく周りを何重にも取り囲まれ、終わりなき戦いを強いられている莱香達。減る気配のない敵の大軍に、次第に体力的にも精神的にも消耗し、追い込まれていく。


 と、そんな時、唐突に津波の圧力が止んだ。蟲の大群がそれこそ潮が引くように離れて一定の距離を保つ。莱香達を中心として、ぽっかりと空白地帯が出来上がったような感じだ。



「はぁ……はぁ……な、何なの……?」



 理由は解らないながら降って湧いた休憩時間に、莱香は必死で呼吸を整える。既に全身汗まみれで、改造具足からむき出しの肉体は濡れ光っていた。疲労で足元も覚束ない。


「油断、しないで……はぁ……ふぅ……恐らく、連中の狙いは……」


 ロアンナもまた汗だくで呼吸を整えながらも、油断なく槍を構えて周囲を見据える。リズベットとクリスタも似たような状況だ。全員肩で大きく息を吐いていた。


 ロアンナの言葉を肯定するかのように、眷属の海を割る様にしてその主人たる進化種達が前面に出てくる。大量の眷属を背にした百人以上の進化種にグルリと取り囲まれた形になった4人。自分達の鎧からむき出しの素肌に、欲望に濁った好色な視線が舐め回すように注がれるのを感じる。一方的に視姦されている状況に肌が泡立つ。


「フフフ、今回ハマタ活キノ良イ獲物ダナ。ソレモ数ハ少ナイガ極上品揃イダ。私ハ運ガイイ」


 そう言って現れたのは銀の攻殻をもつ蟻人――〈役人〉だ。


(こいつ……ミリアリアさんの言っていた……)


 レベッカに卑劣なリンチを仕掛けて嬲ったという指揮官の銀蟻人だ。ミリアリアの話を聞いているだけに非常に気分が悪かった。


「コンナ極上品、眷属共二任セテオクノモ勿体ナイノデナ。フフフ……直接楽シマセテ貰ワネバナ」


「……ッ!」


 おぞましい言葉と共に4人の進化種が進み出てくる。後ろの〈市民〉達とは雰囲気が違う。全員変異体のようだ。


「ククク、今カラコイツラト戦ッテモラウ。精々私ヲ楽シマセテクレ」


 それを合図に4人の変異体が突っ込んでくる。数は丁度4対4だ。それは即ち――


「ライカさん、来るわよ!」

「ッ!」


 莱香達1人ずつにそれぞれ狙いを定めて襲い掛かってくる。そう、変異体との1対1の戦いという事だ。莱香はその事実を強く意識した。



 ロアンナの元には、同じく槍を得意とする青い飛蝗人の〈商人〉が向かう。リズベットに対しては、上空に浮かび上がった白い蜂人の〈僧侶〉が魔法を放っている。そしてクリスタには緑の攻殻を持つ蟻人の〈職人〉がそれぞれ向かった。どいつも前回レベッカを嬲った連中に違いなかった。


 そして莱香の所には……


(…………うっ!)


 それは何とゴキブリ型の進化種であった。それも全身がうっ血のような赤黒い光沢を帯びた体色をしている。余りのおぞましさに莱香は思わず後ずさってしまう。それを見て取ったゴキブリ人がわらう。


「ギヒヒ! 俺ガ気色悪イカ!? ダッタラモットオ近ヅキニナラネェトナッ!」


「……ひっ!?」


 赤ゴキ人が両手に剣を作り出す。どうやら〈商人〉のようだ。莱香は慌てて太刀を構える。赤ゴキ人が剣を振り上げて迫ってくる。その気色悪い見た目にどうしても目が行ってしまう。その為攻撃に対する反応が僅かに遅れる。


「く……!」


 カウンターのタイミングを逃し、受けに回ってしまう。こうなると中々体勢を立て直せない。二振りの剣による連撃を捌くのに精一杯となる。追い詰められた莱香は敵の斬り下ろしを躱せずに、太刀で正面から受けてしまう。


「ぐぅ……!」


 強化魔法を併用した凄まじい膂力に、太刀で受け止めた姿勢のまま片膝を着いてしまう。勝利を確信した赤ゴキ人がもう片方の剣を突き刺そうと振りかぶる。しかしそれは油断でもあった。

 莱香は思い切って太刀を支える腕の力を緩め、横転するようにして相手の剣の力を逸らした。止めの一撃を放とうとしていた赤ゴキ人は、突然張り合っていた力が無くなった事で一瞬バランスを崩す。


(今だっ!!)


 横転から素早く立ち上がった莱香は、そのまま赤ゴキ人の脇腹に太刀を突き入れようとする。しかし……



「うっ!?」


 自分目掛けて飛んでくる石礫に気付いた莱香は咄嗟に身を躱す。その間に赤ゴキ人は体勢を立て直してしまう。石礫が飛んできた方を見ると、自分達を囲んでいる〈市民〉の1人が放ったらしい事が解った。周囲の〈市民〉も火球やら光球やらをその手に浮かべていた。


 莱香は戦慄する。


「な……ひ、卑怯よっ!?」


「クク……私ガイツ1対1ナドト言ッタ? 加勢ヲシナイトハ一言モ言ッテナイゾ?」


「……!!」

 銀蟻人の嘲るような言葉に驚愕する。見るとクリスタ達も1対1で苦戦していた所に、更に周囲の〈市民〉達の加勢によって完全な劣勢に追いやられていた。


「ク、クリスタさん! 皆……!」


「余所見シテル暇ガアンノカヨ?」


「ッ!?」

 視線を逸らした隙に、赤ゴキ人が間近まで迫っていた。動揺すると共に、思わず鳥肌がたってしまう。振り下ろされる剣を飛び退って躱すが、そこに〈市民〉からの光球が迫る。


「ぐぁ……!」


 回避した直後の硬直を狙われた為被弾してしまう。障壁によってダメージは殆ど無かったが、衝撃で身体がよろけてしまう。そしてその隙を逃す〈商人〉ではない。


「オラッ!」

「くっ!」


 薙ぎ払われる剣を太刀で受ける。受けざるを得なかった。凄まじい衝撃に太刀を握る手が痺れる。そこにもう一振りの剣が追撃を重ねる。痺れた手でしっかりと太刀を握れていなかった莱香は、再度の衝撃で太刀の柄から手が離れてしまう。


「! しまっ……!」


 武器を弾かれ、莱香の胴体ががら空きになる。赤ゴキ人がその胴体に前蹴りを放つ。


「シャアァァッ!」

「げふ……!」


 障壁で軽減しても尚かなりの威力であった。堪らずに吹っ飛ぶ莱香。仰向けに地面に倒れ込む。その拍子に草摺くさずりが捲れて、太ももが付け根まで露わになる。それを見た周囲の〈市民〉達から歓声が上がる。


「うう……!」


 しかし莱香にそれを恥じている余裕はない。身体を地面に打ち付けた痛みに、身体をくねらせて呻く。〈市民〉達が更に囃し立てる。


「ギヒッ! イイ格好ダナ、オイ!」


 そして赤ゴキ人が〈市民〉の期待の声に応えるかのように、莱香にのしかかって来る。馬乗りにされ両手を押さえ込まれる。


「ひっ! い、嫌……嫌ぁっ!」


 巨大なゴキブリ人間にのしかかられるおぞましさと貞操の危機から全力で暴れるが、〈商人〉の膂力は人間である女性に振り解けるようなものではない。


「ギヒヒッ! 嫌カ? 嫌ダヨナ!? ソウイウ女ヲ無理矢理犯スノガ最高ナンダヨ!」


 赤ゴキ人は嫌がる莱香を見て益々興奮した様子になる。それは周囲の〈市民〉達も同様であった。下品な歓声が更に大きくなる。



「ライカさんっ!」


 クリスタが莱香の危機に駆けつけようとするが、その隙を緑蟻人に突かれて強烈な一撃をもらってしまう。莱香同様吹っ飛んで地に倒れ伏すクリスタ。そこをやはり同じように緑蟻人がのしかかり、押さえ込まれてしまう。膂力が違いすぎるので、こうなってはもう脱出は不可能だ。


 ロアンナも青蝗人の槍術の前に、防戦一方であった。そこに背後から〈市民〉の魔法を喰らってしまい、体勢が崩れた所を青蝗人の石突きの一撃を受けて崩れ落ちる。そしてロアンナも青蝗人に馬乗りにされて押さえ込まれる。


 残る1人リズベットも、白蜂人の魔法をよく防いでいたが、上空を飛び回る相手に手を出しあぐねて一方的に攻撃されていた。神気爆発を当てようにも、周りの〈市民〉が次々と魔法をぶつけてきて集中力を乱す。そして〈市民〉の魔法で障壁を摩耗させられた所に、一瞬の隙を突かれて白蜂人の電撃の魔法をまともに受けてしまう。吹っ飛ばされ地面に転がるリズベット。上空から勢い良く滑空してきた白蜂人がリズベットにのしかかって押さえ込む。




 ――これで4人の女達全員が敗北し、押さえ込まれてしまった。女達は必死で抗うが進化種の膂力に敵うはずもなく、さながら地面に縫い止められてもがく蝶のようであった。


「ク、フフフ……トテモ良イ見世物ダッタゾ。予想通リ楽シメタ。サテ、ソレデハ今カラ『メインイベント』ダ。見事蝶ヲ射止メタ勇士達ニ褒美ヲヤラネバナ」


「……ッ!!」

 銀蟻人の言葉が何を意味しているかは莱香にも解った。


「い、嫌ぁっ! は、離してぇっ!!」


 本能的な恐怖で暴れるが、やはりビクともしなかった。〈市民〉達が再び歓声を上げて囃し立てる。



(や、やだ……こんなのやだ。た、助けて……助けて、舜っ!!)


「サア、好キナダケ犯シ尽クセッ!」


「嫌あぁぁぁっ!」


 銀蟻人の愉悦の指令と、莱香の絶望の悲鳴が重なる。その時――――





「……エ?」


 今まさに莱香に覆いかぶさろうとしていた赤ゴキ人が珍妙な声を上げる。そして何かが倒れる様な音。恐怖から思わず目を瞑っていた莱香は、いつまでもやって来ない暴威を訝しむように恐る恐る目を開けた。


「あ……」


 赤ゴキ人の上半身が消失していた。いや、正確には両断された上半身が離れた所に転がっていた。下半身も釣られるようにゆっくりと横倒しになる。


「な、何が……?」


 圧力から解放された莱香が横を見やると、クリスタを押さえ込んでいた緑蟻人も同じように、上半身と下半身が生き別れになっていた。いや、それだけではない。同じ直線上にいた〈市民〉や眷属達が残らず薙ぎ倒されていた。



「バ、馬鹿ナ! 今ノハ熱線ノ魔法!? イ、一体何ガ!?」



 銀蟻人の慌てふためく声に被さるように、再度強烈な熱を帯びた閃光が放たれ、ロアンナを押さえ込んでいた青蝗人が両断される。


「……ッ!」

 危険を察知した白蜂人が咄嗟にリズベットを離して、上空に飛び上がる。だがそれはいい的・・・になっただけであった。更なる上空から落ちてきた落雷に撃たれ、白蜂人は文字通りの消し炭となった。


「ま、魔法……? まさか……ほ、本当に?」




「莱香っ!」




 莱香の信じられない思いを肯定するように、「その声」が聞こえた。そして一瞬の後には、莱香達4人を取り囲むように青白い半透明のドーム状の膜が形成されていた。


「ああ……こ、これは」


 リズベットもやはり感極まったような声を上げる。彼女らが見つめる先……恐慌状態になった進化種達がモーセの大海のように割れた先に、莱香が待ち望んでいた人物の姿があった。



「舜……舜ーー!!」



「ごめん、莱香。俺のせいでまた危険な目に遭わせちゃって……。でももう大丈夫だ。すぐに片付けるから、その結界から出ないでね?」



 ――莱香にとって、それはまさに奇跡が起きた瞬間であった。

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