第65話 〈御使い〉復活
目の前で莱香が泣きじゃくっている。あのしっかり者で文武両道の莱香が……。莱香がいじめの事に気付いてて、知らない振りをしていたというのはそれなりに衝撃であったが、舜の態度にも問題があったのは確かだ。
(随分、辛い思いをさせちゃったみたいだな……。本当にごめん。俺が馬鹿だった)
心の中で謝ると、舜は気持ちを切り替えた。まだ目の前の脅威は取り除かれていない。積もる話は後でも出来る。今は戦う時だ。
「……すうぅぅぅっ……!」
莱香をやんわりと引き剥がして立ち上がる。そして大きく息を吸い込む。同時に体内に目一杯の
「お、お前は……なるほど。アストラン王国の〈貴族〉を倒せたのは、
ヴォルフが驚愕したように舜を見ていた。だがすぐにある程度の事態を悟ったようだ。やはりこの男は頭が切れる。油断していい相手ではない。
「あ……ああ……シュ、シュンが……!」「奇跡って奴かしら……?」「やはり……彼女が『鍵』だったのですね」
レベッカ達も舜の姿を見て驚いている。
舜は……莱香と触れ合った瞬間に発生した光の中で、男に戻っていた。身体に流れ込む魔素によってすぐに状況を把握できた。
因みに舜の衣装は特に変化はない。つまり女性の時の、革製のビキニアーマー姿のままだ。しかし体型が変わったとはいえ、元々美少女と見紛う外見の舜である。男に戻ったというのにその露出衣装は意外な程――舜本人には甚だ不本意であろうが――良く似合っていた。
ただレベッカやリズベットなどは若干赤面して目を逸らしてしまったのは余談である。
しかし勿論当事者である舜に、そんな事を気にしている余裕はない。舜の魔力を受け、ヴォルフから発せられる魔力と、そして殺気とが格段に膨れ上がったのを感じたのだ。やはり今までの彼は、全く本気では無かったのだ。その残酷な事実を突きつけられ、再び青ざめるレベッカ達。
「ふ、ははははっ! 面白い……面白いぞ、〈御使い〉よ! バフタン王国〈伯爵〉ヴォルフ・マードックだ。改めて……参る!」
正式な名乗り。それは舜の事を「敵」と認めたが故か。その両手には、手甲と一体になった長い爪のような武器が装着されていた。恐らくあれが彼の本来の戦闘スタイルなのだろう。
次の瞬間、ヴォルフの姿が消える。莱香やレベッカ達にはそう思えただろう。先程までより格段に強化魔法の度合いが上がっている。だが……
(速い……! けど……見える!)
魔力を取り戻した今の舜にとって、感覚が追いつかない程の速さではなかった。そして感覚だけでなく……
急所を狙って繰り出されるヴォルフの爪撃を紙一重で躱す。
「ぬぅうぅぅぅんっ!」
そのままの勢いで、ヴォルフが凄まじい速度で連撃を放ってくる。あらゆる角度から迫る無数の爪。
(本当に分裂してる訳じゃない……!)
だが舜は落ち着いてその一つ一つの爪撃を見切り、冷静に対処していく。当たれば致命的な一撃だが、躱せない速度ではないのだ。以前までの舜なら例え感覚で見えていても、身体がそれに対応できず不覚を取っていた可能性は充分ある。
しかし今の舜には、女体化していた時に行った訓練の数々や、実戦の経験が身に付いていた。魔法が使えずに、神術の訓練を一から学んだ。魔法と神術は相反する属性だが、理論は似ている。最初から与えられていた魔力を振るうだけだった舜にとって、ミリアリアと共に行った訓練は、自分の力を基礎から見直す非常に良い機会でもあったのだ。
そしてその後の実戦。心許ない神術と、女体化して更に低下した体力。それらのハンデは全ての力を取り戻した今の舜には、良い鉄下駄修行の経験となっていた。
舜は女体化していた時に得た経験を一切無駄にしていなかった。
「かあぁぁぁっ!!」
ヴォルフの攻撃速度が増々上昇する。それでも冷静さを失わず回避を続ける舜だが、たった1つのミスが死につながる状況だ。このまま攻め立てられれば、いつかは「その時」が訪れてしまう。魔素が満ちる戦場で、相手の体力切れを狙う戦法は現実的ではない。
つまりこちらから攻撃出来なければ、その未来は確実に訪れるのだ。そして舜はその事をよく理解していた。
「…………!」
舜の右手に、いつの間にか武器が握られていた。サーベルのような形状の細身の剣。それは、ミリアリアが扱う武器によく似ていた。
実は舜は、神術の訓練と並行してミリアリアに剣の稽古も付けてもらっていたのだ。特にビレッタの街にいる時は、死に物狂いで修行した。そう長い期間では無かったが、舜自身が意欲に燃えていた事もあり、付け焼き刃ではあるがそれなりには様になってきていた。
勿論女体化していた時の舜では、まだ到底進化種との実戦に耐えうる物ではなかったが、今の強化魔法をフルに使える舜なら話は別である。魔力で作られたそのサーベルは、強化された舜の膂力で振るわれれば、進化種にとっても充分脅威となり得る。
舜のサーベルを見たヴォルフが表情を険しくする。連撃を止め、大きく飛び退って距離を取る。
「……正直想像以上だ。我が連撃は〈公爵〉級でなければ、完全には見切れん程の筈なのだが……」
「……では、降参しますか?」
「ふ、まさかな……。お前の攻撃の意思に応えて、私も最大の技で相手をするとしよう……」
「……!」
舜は警戒のレベルを上げる。ヴォルフが腰を落として姿勢を低くする。そして両腕を身体の横に垂らし、爪の先が地面に着く。
「ぬぅうううぅぅぅあぁぁぁっ!!」
そして裂帛の気合いと共に、爪で地面を擦り上げながら両腕を体の前でクロスさせるように、一気に振り抜いた!
――グオォォォォッ!!
強化魔法を限界まで高めた剛力と、肉眼では捉えられない程の速度で振り抜かれた双爪は、物理的な
「なっ……!」
攻撃魔法であれば、魔力の高まりによって事前に察知できる。予想外の方法によって放たれた遠距離攻撃に、舜の反応は僅かに遅れた。回避は間に合わず、咄嗟に結界の魔法でガードする。
「く……!」
結界での防御は成功したが、結界越しに感じた圧力はかなりのものだった。しかもその衝突の余波で周囲の地面が抉れた程だ。まともに当たっていたらと思うとゾッとする。
しかし視線を戻した舜は、ヴォルフの姿が消えている事に気付く。と思った時には、頭上を大きな影が覆っていた。
「……ッ!!」
「シャアァァッ!」
奇声と共に、ヴォルフが鉄爪を舜の脳天目掛けて突き下してくる!
基本的に対人戦に於いて頭上の空間というのは、想定されていない死角である。それは進化種であっても同様だ。
強化魔法を極限まで高めた爪撃による衝撃波。まずこの時点で相手は度肝を抜かれ、確実にこれがヴォルフの切り札だと
その死角から繰り出される必殺の一撃。それこそがヴォルフの切り札であった。彼はこのコンボによって、ラークシャサ王国の〈侯爵〉を討ち取った事もあるのだ。
その致命の強襲に対して舜は――――
「――ふっ!!」
「なにぃ!?」
単純に
かつてレグバが〈公爵〉級以上と評した舜の魔力による感覚強化は「超感覚」とも言うべきもので、〈貴族〉の突進すらスローモーションに見えた程だ。
ヴォルフはレグバよりも速かったが、それでもまだ超感覚であれば充分目視できる範疇であった。舜は頭上を影が覆ったと思った瞬間には、身体強化を限界まで……つまり超感覚に切り替えていたのだ。そして今の舜であれば、身体の方も超感覚に付いていける。
文字通りの必殺技を躱されたヴォルフは、体勢を立て直す暇もないまま、舜に対して大きな隙を晒す。この技は躱された時の隙が大きいというリスクがあり、だからこそいざという時の切り札として温存されていたのだが、ヴォルフは今までこの技で敵を仕損じた事が無かった。
そしてそんな致命的な隙を見逃す今の舜ではない。落下する体勢でヴォルフの胴体が目の前に来る。右手に持ったサーベルを限界まで引き絞り――――
「はあぁぁっ!!」
気合と共に突き出した! 光速で射出されたサーベルは狙い過たずヴォルフの心臓に突き刺さる――
「駄目ぇぇぇっ!!」
「ッ!?」
――直前で僅かに逸れた。心臓を逸れたサーベルは、腹の辺りに突き刺さり、その衝撃でヴォルフは大きく吹き飛んだ。
「ぐはぁっ!!」
突き刺さったサーベルと共に、地面に転がるヴォルフ。その様子を見ながら、舜はゆっくりと今の制止の声の主……莱香の方に視線を向ける。
「…………莱香?」
「あ……しゅ、舜。ち、違うの! これは……その……わ、私……」
莱香自身が今の自分の声に戸惑っている様子だった。レベッカ達も驚いたように彼女を見ている。
「……ッ!」
そして一連の光景を見ていたもう一人の女性……。莱香と共に進化種に捕らわれていた筈の金褐色の髪の女性が、何故かいつの間にか拘束が解かれた状態で、舜の方に駆け寄ってくると、その足元に取り縋った。
「お、お願いです、〈御使い〉様! もう勝負は着きました! あなた様の勝利でございます! どうか……ど、どうかあの方のお命だけは……!」
「えー……と。これは、一体どういう事……?」
舜が訳も解らず戸惑っていると、その女性は必死に懇願する。
「す、全てご説明しますっ! 〈御使い〉様にも、ライカさんにも! だ、だからどうか、どうかお慈悲をっ!!」
「クリスタ! 下がれっ!」
起き上がったヴォルフが血反吐を吐きながらも、力強い声で怒鳴る。
「い、いいえ、下がりません! もう伯爵様の目的は充分達せられている筈です! これ以上は無意味ですっ!」
「ク、クリスタさん……? も、目的って?」
クリスタと呼ばれた女性と顔見知りらしい莱香も、事態に付いていけていないようだ。戸惑った声を上げる。この女性が梃子でも動かなそうな様子だと解ると、舜は大きく息を吐いて魔力を収めた。
「……〈御使い〉様?」
「……事情はさっぱり解らないけど、あなたが必死である事は伝わりました。そちらがこれ以上敵対しないのであれば、俺も自分から攻撃する気はありません。……良ければ事情を説明して貰えますか?」
「! は、はい! あ、ありがとうございます、〈御使い〉様!」
ヴォルフも、もうクリスタを止められないと察してか、諦めた様子だった。苦し気に血を吐きながらも、何も言わなかった。
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