第64話 時空を越えて
(何故……どうしてこんな事になってるの!? 舜っ!!)
目の前で見ている光景が信じられなかった。
ヴォルフが……あの紳士的で女性に優しかったヴォルフが、目の前で華奢な少女を一方的に殴りつけている。その少女の仲間と思しき女性達が3人程倒れ伏しているのが目に入った。あれも恐らくヴォルフの仕業だろう。莱香と同じように縛られているクリスタは、辛そうにその光景から目を背けている。
(解らない……一体何が起きているの!?)
全てが唐突に行われた。アアル渓谷に向かって移動している最中、莱香は再度自分を同行させた理由をヴォルフに尋ねた。彼は道すがら話すと言ったのだ。
「巡回の任務に出ている最中……興味深い痕跡を発見したのだ」
ヴォルフは非常に嗅覚に優れていて、また上位の進化種として、それ以外の感覚も研ぎ澄まされている。それらを用いる事で、魔力探知に頼らずともかなり精密な探査や追跡を可能としていた。そんな彼の感覚に引っ掛かる「痕跡」があったのだと言う。
「痕跡……? それは一体?」
「私の感覚が確かであれば、例の女人国……クィンダムの女達のようだな」
「ええ!?」
「国境付近の辺境程度ならともかく、この渓谷にまで潜入するとは随分大胆な行動に踏み切ったものだ。そう、今までの奴等からは考えられん大胆さだ。これが何を意味するか解るか?」
「……ま、まさか」
「そう、〈御使い〉だ……」
「……ッ!」
〈御使い〉、即ち舜がいるからこそ大胆な行動に出ているとしたら……。舜がこの近くまで来ている!? 莱香は激しく動揺した。
「だからこそ……
「…………え?」
何を言われたのか理解出来ず思わず顔を上げて、ヴォルフをまじまじと見つめてしまう。ヴォルフは視線を逸らす。
後ろを歩いていた黒鼠人が突然莱香の肩を掴んでくる。その握力に莱香が悲鳴を上げる。
「ひっ!? な、何をするの!? ヴォ、ヴォルフ様……!」
だがヴォルフはその行為を黙殺する。莱香は愕然としながらクリスタに助けを求めるが、彼女もまたもう一人の進化種、赤猫人に抑え込まれていた。
「お前達は〈御使い〉へのいい人質になってくれそうだ」
何の感情も込めずに告げられるその言葉に、莱香は目の前が真っ暗になる。
「う、嘘……嘘ですよね、ヴォルフ様……? ヴォルフ様はこんな事をするようなお方では……」
「お前が私の何を知っている? 忘れたのか、私は進化種だぞ? お前を手放さなかったのは、あくまで〈御使い〉への切り札として使えそうだからだ。〈御使い〉を仕留めるか捕らえるか出来れば、単にお前を〈王〉に献上するよりも何倍もの大手柄だ」
「……!!」
(う……嘘、でしょ……)
今まで見てきたヴォルフの姿は、全て偽りだったと言うのか。足元が崩れ去るような感覚に、莱香は脱力し、立っていられなくなる。もう何を信じれば良いのか解らなくなっていた。
へたり込む莱香を見ても、ヴォルフは表情一つ変えなかった。そして莱香とクリスタは手足を縛られ猿轡を噛まされ、大きなズタ袋に入れられた。そのまま荷物のように担がれて、どこかへと運ばれていったが、莱香にはもう何も考えられなかった。
そして現在の状況に至る。袋から出された莱香が最初に見た物は、ヴォルフと対峙する……
理屈は一切解らない。だが莱香はその少女を見た時、何故か疑いもなく、その少女が舜である事を確信していた。
(舜!? 舜ーー!!)
彼女は声の限りに叫んだつもりだったが、猿轡に阻まれくぐもった声が出るのみであった。しかしその声を聞いた少女――舜が、脇目も振らずにこちらへ駆け寄って来ようとした。莱香はその反応を見て、その少女が舜であるという確信をより確かなものにした。
だがこちらに駆け寄ろうとする舜を、ヴォルフが無情にも阻む。吹き飛ばされても諦めずに立ち上がる舜。その姿に焦れたのか、ヴォルフが容赦ない打撃の連打を舜に浴びせる。
体格は優に二回り以上は大きく、体重も倍以上違うだろう。比べるのも馬鹿馬鹿しくなるようなウェイト差だ。しかもヴォルフは進化種であり、その膂力は人間とは比較にならない。更に恐らく強化魔法も何割かは使っているのだろう。
莱香には、何故舜がその悪夢のような暴威に耐える事が出来ているのか、サッパリ解らなかった。だがそんな奇跡がいつまでも続くはずは無い。
(い、いや……いやだ……やめて。舜が……舜が、死んじゃう……。お、お願い、助けて。誰か、舜を助けて……。誰か……!)
その光景に耐えかねて、目を背けるようにして莱香は、誰に対してかも解らずに助けを願った。だが舜にも、その仲間と思われる女性達にも、誰もその願いを叶えられるような力は無かった。彼女の願いは誰にも聞き届けられない……その事実に絶望し掛けた時、彼女はふと自分が今願った心の声を顧みた。
(助けて……?)
誰を? 舜の事をだ。 誰が? それは……
この世界に来た時、舜が生きていると確信した時……自分は何を思った? 何を誓った?
(そうだ……。今度こそ……私が、舜を……助ける。舜の力になるって、誓ったんだ!)
――ドクンッ!!
心臓が跳ねた、ような気がした。舜を前にして、舜の危機を目前にして、そして心の底から舜の力になりたいと……舜を助けたいと願った時、何か……得体の知れないものが、それでいて不思議と不快ではないものが、体の奥底から湧き上がってくるような感覚に、莱香は戸惑う。
(これは……何?)
戸惑いながらも、莱香は本能的に理解していた。何かは解らない。しかし「これ」は自分の「力」だと……。この状況を覆し、舜の助けとなる事が出来る「もの」だと……!
「ン、ンン! ンン……!」
自らの手足を縛る縄を解こうと、身体をもがかせる莱香。縄は魔力で作られた物であり、単純な力で、ましてや女の莱香が解く事は絶対に不可能だ。だが……
シュゥゥゥッ! という何かが焼き切れるような音がしたかと思うと、莱香の手足の縄が解けた。間髪を入れず立ち上がる莱香。
「!? ナニッ!?」
黒鼠人が驚愕したような声を上げる。クリスタも目を丸くしている。それらの反応に構わず、猿轡を外すと一直線に舜の方に駆け向かった。
「舜っーーー!!」
「チッ! 行カセルカッ!」
後ろから黒鼠人が追い縋ってくる。強化魔法を使用しているのだろう。すぐに追いつかれる莱香だったが、黒鼠人の手が彼女の肩に触れようとした瞬間……
「邪魔、するなぁっ!!」
「ッ!?」
まるで何かに弾かれたように、黒鼠人が後方へのけ反る。
「馬鹿ナ! コレハ……
それは正に神術の障壁……それも舜やリズベットのそれにも劣らない強力で強固な障壁であった。否、油断していたとはいえ、後ろ向きの体勢で〈商人〉を弾き飛ばしたのだ。或いはリズベット達以上の……
だがそんな自覚も、また心の余裕もない莱香は、脇目も振らず一心不乱に舜を目指して走る。黒鼠人を弾き飛ばした一瞬の隙に、舜との距離を詰める。
「莱香ぁっ!!」
そして舜もまた、拘束を解いた莱香が自分の方へ駆けてくるのを見て、走り出していた。自分の脇を駆け抜けようとする舜を、何故かヴォルフは止めなかった。そして……
「舜っ! 舜っーー!」
「莱香っ!」
お互いが手を伸ばす。地球ではすれ違ったまま悲劇的な結末を迎えた2人が、今度こそ相手を守るのだという確かな思いの元、遂に触れ合い、互いの手を取り合った!
次の瞬間……2人を中心にして光が爆発し、奔流となって周りにいる者達の視界を灼いた。ヴォルフは勿論、少し離れた場所にいるクリスタ達、倒れている女性達も、その余りの眩しさに顔を背けたり、手を翳して視界を覆った。
「こ、これは……一体何が……!?」
倒れている女性の1人……白銀のビキニアーマーの女戦士が、呆然とした声で呟いた。他の2人も同様に言葉もない様子である。
「…………」
ヴォルフもまた瞠目して、その現象を見つめていた。
光が収まった時、そこにいた件の2人……莱香と舜は、互いの手を握り合ったまま抱擁し合っていた。そして……
「う……うう……舜! グスッ! あ、会いたかった……。きっと、会えるって信じてた……! ヒグッ!」
「うん……ごめんね、莱香。心配掛けちゃって……。俺も会えるならもう一度莱香に会って、謝りたかったんだ」
「ううん、いいの! 謝るのは私の方なの! 私、舜がいじめられてる事気付いてたの! でも……無理に聞き出すのが怖くて、それで……!」
「……うん、もういいんだよ。今まで辛い思いをさせちゃったね。お互いこれでお相子って事にしようよ」
「ううぅぅ……! 舜! 舜っーー!!」
ずっと謝りたかった。ずっと心の奥底にわだかまり続けていた思い……。それを吐き出した莱香は、舜の……彼の
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