第59話 始まりの地へ

 ヴォルフが近付いてきた。


「待たせたな、ライカよ。怪我はないか?」



「あ……は、はい……。もう大丈夫です。あ、ありがとうございました……」


 何故か少し動悸が早くなるのを感じた。顔が熱い。



「怖い思いをさせたな……。済まなかった。まさか密告者が出るとは……。私の認識不足だ。許せ」



 そう言いながら、莱香を拘束している縄を切ってくれた。手首を擦りながら、ヴォルフの方を見上げる。



「ほ、本当に、ありがとうございました。わ、私、ヴォルフ様にこんなご迷惑をお掛けしてしまって……」


「気にするな。私がやりたくて勝手にやっている事なのだ。お前が気に病む必要は無い」


「で、でも……その、大丈夫なんでしょうか? こ、こんな事になってしまって……。な、何か、ヴォルフ様が処罰などされるような事があったら、私……」


「……お前は優しいのだな。心配いらん。これでもそれなりに信用と実績はある。それに〈王〉は〈貴族〉同士の諍いには、意外と寛容だからな」


「そ、そうなんですか……」




 ヴォルフが少し悪戯っぽい口調になる。


「ふ……それか、もしどうしても私の身の上が心配だと言うなら、私がお前を正式に身請けするという方法もあるぞ? それならアガースのやった事は、立派な断罪の理由になるし、私の身も安泰だ」


「そ、それは……」


 ただ匿っていただけの莱香をこうして守ってくれるのだ。正式に彼の「所有物」となれば、この恐ろしい進化種の王国に於いても、或いは安泰に暮らす事が出来るのかも知れない。


 このままずっとヴォルフの庇護の元で暮らす……。そしてクリスタ達と一緒にヴォルフの為に働く。そんな生活も悪くないのかも知れない。一瞬そう思ってしまった莱香だが、思い直して頭を振る。



(私は……どうしても舜に会わなければならない。そしてしっかり謝って……今度こそ私が舜を守る……舜の力になるんだ!)



 莱香の様子と、その感情の変化を読み取ったヴォルフは苦笑した。


「ふ……お前には大切な者がいるのだったな。……ライカよ。ここには他に誰もおらん。お前は〈御使い〉と近しい者なのだな? どうしても……その者の元へ行きたいのだな?」


 その問い掛けに一瞬緊張する莱香。だが恐らく彼には全て見通されているのだろう。その上で今また、こうして危機を救ってもらった。その恩義に報いる為に、自分も本音で話すのが礼儀だと思った。




「ヴォルフ様には本当に感謝しています……。でも……私はどうしても彼の元に行かなければならないんです。私達は……幼馴染でした。でも、彼が本当に苦しんでいる時に、私はそれに気付いていながら黙殺してしまったんです。ただ自分が傷付く事だけを恐れて……。結果、彼は……。私はどうしても彼に会わなければいけないんです! 会って……謝って、そして……彼の……力になりたいんです! 今度こそ……!」




 気付いたら、思いの丈をぶち撒けていた。ずっと心の奥底に蟠っていたその思いが、激流となって彼女の口から漏れ出たかのようであった。


 本来ヴォルフには何の関係もない事情だ。いや、それどころか舜の……〈御使い〉の力になりたい、と宣言してしまったのだ。ヴォルフ達進化種にとって、敵である筈の舜の力になりたいと……。


 それはヴォルフの恩義に、後ろ足で砂をかけるような言葉だったかも知れない。しかし莱香は、もうこれ以上恩人であるヴォルフを偽るような事はしたくなかった。


 ヴォルフから目を逸らさずに、真っ直ぐ見据える莱香。もしこれで彼の気が変わって〈王〉へ引き渡すというのであれば、莱香にそれを止める術はない。だがそれでも莱香は彼に嘘を吐きたくなかった。


「…………」


 あの屋敷での執務室の時と同じように、しばし2人の視線が交錯する。やがてヴォルフが口を開いた。



「……あの時にも言ったと思うが、はっきり言ってクィンダムは……それを守る者達は無力だ。今お前をクィンダムへやれば、それはみすみす死地に送り出すような物だ。縁あって巡り合ったのだ。お前にそのような道を歩ませるのは偲びない」



 それが、莱香の身の上を察しながらも、今まで彼女を手放さなかった理由。



「ヴォルフ様……」


「だが……〈御使い〉……。もしそやつが、私の予想以上の力を持っているのならば、或いは……」


 そこまで言うとヴォルフは目を逸らした。





「……さあ、いつまでもこのような所にはいられん。一旦街へ戻るぞ」


「あ……は、はい」


 ヴォルフが強引に会話を切り上げたので、莱香もそれに従う他に無かった。去り際、ヴォルフはアガースの死体に黙祷し、魔法で土を被せた。


「不幸な行き違いで殺し合いにはなったが、それでも同胞には違いないからな……」


 その声には、例えようもない寂寥感があり、莱香はまた新たに彼の一面を垣間見たのであった……。







「ライカさん!? 無事だったのね!? 良かった……!」

 ヴォルフと共にアビュドスの街へ戻ると、門の所にクリスタと他に何人かのメイド達が出迎えた。あの黒鼠人と金鶏人もいた。


 クリスタは莱香の姿を認めるなり、駆け寄ってきた。


「クリスタさん……。ご、ご心配をお掛けしました。ありがとうございます。私はこの通り、ヴォルフ様に助けて頂いたので大丈夫です。クリスタさんこそ、お怪我は大丈夫ですか!? 本当にすみませんでした。私なんかの為に……」


「私がやりたくて勝手にやった事なんだから、あなたは気にしなくていいのよ。それよりもあなたが無事で本当に良かった……」


 奇しくも、先程ヴォルフが言っていたのと同じ言葉を口にするクリスタ。思わずヴォルフと顔を見合わせると、2人共軽く吹き出してしまった。


「な、何ですか、2人して……!?」


 事情を知らないクリスタが、顔を赤くして抗議の声を上げる。



「ふふ……いや、済まん。……しかし素手でアガースに歯向かうとは、随分無茶をしたな? 下手をすれば殺されていたかも知れんのだぞ?」


 若干咎めるような響きに、クリスタは俯く。



「ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした……。でも、どうしてもライカさんを助けなければと……。気付いたら身体が勝手に動いていたんです!」


「ク、クリスタさん……」


 その言葉に莱香は、済まなさと感動が入り混じったような複雑な感情を抱いた。



「ふむ…………」


 そしてやはりその言葉を聞いたヴォルフは、何やら思案している様子であった。やがて顔を上げた。



「……とりあえず一旦屋敷へ戻ろう。明日には再び巡回の任務に戻らなくてはならんが、今日は休ませてもらおう。……お前達もご苦労だったな。〈貴族〉相手にも怯まず、良く己の職務を果たした」


「勿体無イオ言葉ニゴザイマス。普段ノ伯爵様ノ薫陶ノ賜物デス」


 ヴォルフの労いの言葉に、黒鼠人が敬礼する。金鶏人も黙って平伏している。



「うむ。我々は屋敷へ戻る。引き続きここの警備は任せるぞ」

「ハイ。我ラニオ任セ下サイマセ。ドウゾゴユックリオ休ミ下サイ」



 彼らに見送られて、莱香達はヴォルフの屋敷へと戻った。





 屋敷に着いた莱香は、他のメイドに連れられて入浴し、食事を摂った。アガースに連れ去られてから半日も経っていない位なのに、随分久しぶりに戻ってきたような錯覚に陥っていた。


 クリスタは他の何人かのメイド達と共に、ヴォルフの執務室に呼ばれていた。何か話があるとの事だった。大分長いこと話し込んでいるようで、結局莱香が床に就くまでの間に、出てくることは無かった……。





 翌朝。莱香はクリスタと一緒に早めの朝食を摂っていた。



「……ライカさん。しっかりと食べておいてね? この後はご主人様と共に出掛ける事になるわ。私も一緒にね……」


「……え?」



 思わずクリスタの顔を見る莱香。ヴォルフと出掛ける? だが彼は巡回の任務があるのでは無かったか。

 その疑問を受けて、クリスタはふっと笑う。それはとても寂しそうな……それでいて何かに納得しているような……そんな不可思議な感情が宿った笑みであった。



「……ごめんなさい。今、詳しい話をする訳には行かないの。でも、きちんとした理由があるとだけ言っておくわ」


「クリスタさん……」


「さあ、早く食べちゃいましょう。伯爵様がお待ちよ。……大丈夫。何も良からぬ事を企んでる訳じゃないわ。私が一緒に行くのは、あなたの不安を取り除いてあげる為でもあるのよ」



 不審を抱いていたのが顔に出ていたのだろうか、クリスタがそう言って慰めてきた。どうやらこの場で詳細を教えてくれる事は無さそうだ。ならヴォルフに「保護」されている身の自分としては否も応もない。

 それにアガースから身を挺して助けてくれたクリスタやヴォルフを今更疑う気はない。クリスタも一緒に来てくれると言うなら、それで充分安心できる。



「解りました。それじゃ早く食べて支度しちゃいますね」


「……ごめんなさいね。後で必ず理由は解るから」





 食事を終えた莱香達は身支度を整えて――と言っても、顔を洗って用を足す位しか無かったが――玄関ホールへと向かった。


 そこには既にヴォルフが待っていた。他に昨日の黒鼠人と、あと1人見慣れない猫の獣人がいた。いわゆる長毛種型の猫人で、全身赤っぽい体毛であった。街で見かける猫獣人とはタイプが違うので、恐らく彼も変異体なのだろう。


 他にもクリスタ以外のメイド達が勢揃いしていた。



「来たか、ライカよ……。クリスタから聞いていると思うが、お前達を伴って少し遠出をしたい。この2人はその護衛だ。準備は全て整っているから安心しろ」


 何人かのメイド達がライカとクリスタに、水や携帯食等の入った鞄を手渡す。クリスタは鞄を受け取る際に、メイド達としばし見つめ合い……そしてしっかりと頷いた。メイド達は頷き返すと、何かを堪えるようにそのまま目を伏せた。


 その様子に再び不安をいだいた莱香は、ヴォルフに問い掛ける。



「あの……ヴォルフ様。一体何が起きているのですか? 私はどこへ連れて行かれるのでしょうか?」


「それは……道すがら話す」


 ヴォルフは莱香の顔を見ずに答えた。



「さあ……準備は出来たな? それでは出発するぞ。目的地はお前を発見した場所……アアル渓谷だ」



 莱香は息を呑む。それは始まりの地。今再びその場所へ向かう事になろうとは…………。

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