第58話 〈貴族〉vs〈貴族〉

「ふむ……何故ここに、か。それはこちらの台詞だが……。他に気になる場所があるからと、巡回の本隊を離脱した貴公が、何故王都に向かって走っているのだ? しかも随分と変わった『荷物』を抱えて……」


 ヴォルフが穏やかと言ってもいいような調子で問い掛けてきた。



「てめぇ……全部解ってやがるな!? 何でだ!? どうやって気付いた!?」



「別に答える義理は無いが、まあいい……。私の配下に〈役人〉がいるのは知ってるな? 彼は非常に優秀なユニーク能力を持っていてね。対象は予め設定した1人だけだが、その人物がどんなに遠く離れた場所にいても、念話でやり取りが出来るのだ」


「……!!」


「部下と貴公との一部始終は、彼が逐一実況してくれたよ。それでこうして先回りしていたという訳だ。王都へ行くにはここが最短ルートだからな」



 するとそこまで穏やかだったヴォルフの口調に怒りが宿る。



「しかも……やはり彼がつい先程教えてくれたのだが……私の屋敷に踏み入って、クリスタに怪我を負わせたそうだな……?」



 言葉と共に急速に膨れ上がる魔力は、感知できない筈の莱香をして、とてつもないプレッシャーを感じさせるものだった。その研ぎ澄まされた殺気は、先の屋敷でのアガースのそれが児戯と思える程だ。


 アガースは彼に気圧されている事を認めたくないのか、自らを鼓舞するように吼える。



「ふん! 奴隷の分際で俺の邪魔をしようとするからだっ! 殺さなかっただけありがたいと思えっ!」


「……アガース。今すぐその女を解放し、この事は全て忘れろ。今ならまだお互いに取り返しはつく」



 それは或いは最後通牒だったのかも知れない。だがアガースはそれを鼻で笑った。



「そいつは出来ねぇ相談だな。この女は異世界人なんだろ? 〈王〉は絶対興味を持つ筈だ。この女に同情でもしたのか? 馬鹿なヤツだぜ! 折角の出世のチャンスをフイにしやがってよぉ!」


「……それが返事か。ではやむを得んな……」


「はっ! やる気か!? 上等だぁ! 俺は前から、てめぇの事が気に入らなかったんだよ!」


 彼はそう吼えると、莱香を放り投げた。


「がっ……!」


 丈の低い草が生え揃っているので、硬い地面に直接身体を打ち付ける事は免れたが、手足を縛られて受身も取れない状態で、3メートル近い高さから放られたのだ。

 衝撃で思わず苦鳴が漏れる。だが一触即発の2人は、莱香に一切の注意を向ける事なく睨み合う。





 アガースの両手には魔力で作られた巨大な戦槌が握られていた。柄の部分だけでアガース自身の身長に近い程で、太さも相当な物だ。馬鹿げた大きさの槌部分は直径が1メートルはありそうだ。

 あんな物で殴られたらどうなるか……アガースの怪力も合わさって、恐らく莱香など一撃で原型を留めない肉塊になるだろう。


「ぬぅあああぁぁぁっ!」


 咆哮と共にアガースが戦槌を振り上げて突進する。




 莱香は知らない事だったが、進化種同士……それも格が近い相手との戦いでは、攻撃魔法はほぼ確実に防がれるか躱されるかして、逆に自身が大きな隙を作ってしまうので、専ら魔力武器と強化魔法による近接戦闘がメインになる。


 アガースが戦槌を真横に薙ぎ払う。凄まじい重量がある筈の巨大な戦槌が、まるで棒きれを振り回すかのような速度で打ち付けられる!

 莱香は思わず目を背けた。だが……予想していた破砕音は鳴らなかった。


「ふ……」


 ヴォルフは戦槌の大きさと軌道を見切り、最小限の動きで後方へ身を反らした。戦槌が空を切る。振り抜かれた隙を突いて、今度はヴォルフが真正面から突っ込む。


「舐めるなぁっ!」


 アガースは慣性の法則を膂力でねじ伏せ、強引に切り返しを行う。だが……



「むんっ!」

「何!?」



 強引な切り返しで威力が落ちたそれをヴォルフは右手で受け止めた。空いている左手にはいつの間にか、手甲と一体になった……長大な爪が装着されていた。見るからに鋭そうな4本の爪が、アガースの心臓に向かって突き出される!


「ちぃっ!」


 だがアガースもさる者。咄嗟に戦槌を手放すと、空いた右腕でその爪の一撃を受ける。前腕に鋭利な爪が食い込む。


「ぬがぁぁぁっ!」


 痛みに呻きながらも、アガースの左手には、先程より小振りなハンマーが握られていた。ハンマーを横殴りにヴォルフに叩き付ける。


 咄嗟に爪を外して、後方へ回避するヴォルフ。



「逃がすかぁっ!」



 そのままの勢いでアガースがハンマーを振り回してくる。右腕を負傷した状態で仕切り直しとなれば確実に不利になる。そうはさせじと距離を詰めてハンマーを叩き付け、ヴォルフに体勢を立て直す隙を与えまいとする。


 因みに進化種の武器は全て魔力で作り出された物なので、今の攻防のように彼らは武器の保持に全く頓着しない。手放しても失っても、すぐに作り直せるからだ。実際既にヴォルフの両手には再び爪が装着されていた。




 アガースは無茶苦茶にハンマーを振り回して攻撃してくる。その勢いに押されヴォルフは中々体勢を立て直せない。その間に魔力で右腕の負傷を回復させるつもりなのだろう。だが……



(あれ……? でも、何だか、あいつの傷がさっきよりも増えてるような……)



 強化魔法で速度が向上している2人の〈貴族〉の戦いは、剣道によって鍛えられた莱香の動体視力でも、全てを追い切る事が出来ない程の速さで展開していた。当事者ではなく、離れた所から見ているのにだ。速さだけで言えば、まるで早送り映像でも見ているかのようだった。


 だがその辛うじて目で追える範囲でも、アガースの負傷が先程よりも増えている事に気付いた。そしてそれは勿論アガース自身も気付いていた。と言うより、体験していた。



「くそ! くそ! 何でだ! 何で……!」



 毒づきながらも攻撃の手を緩めないアガース。いや、正確には緩められない・・・・・・のだ。攻撃の手を緩めた瞬間に自分は死ぬ……そんな予感に囚われていた。



 ヴォルフは一見、一方的にアガースの勢いに押されているように見える。だが禄に体勢を立て直せない状態でありながら、相手の攻撃を躱した瞬間にその振り回された腕や、踏み出された脚などに、目にも留まらぬスピードでカウンターを入れ続けていたのだ。

 僅かな隙や停滞を突いて繰り出される微細な反撃は、アガースの強靭な肉体を突き破るには至らないものの、表皮を浅く切り裂き出血させるには充分であった。


 勿論アガースも攻め立てながらも、その魔力の一部を全力で傷の回復に当てていたが、それよりも傷が増える速度の方が速い。そして魔力で傷は回復出来ても、失った血液までは即座の再生は不可能だ。


 結果、流れ出る血液と共に、自らの強靭な体力まで失われていくのを感じ、アガースは増々焦る。そして焦りは……致命的な隙を生む。



「……いい加減、くたばりやがれぇぇっ!!」



 ハンマーを横薙ぎに振るうと、ヴォルフは後方へ大きく飛び退る。それまでの密着戦に比べて、大きく距離が離れる。アガースの目に凶悪な光が宿る。


 持っていたハンマーをヴォルフに投げつけると、その両手に再び巨大な戦槌が出現する。ハンマーを横に逸れて躱したヴォルフ目掛けて、戦槌を大きく振りかぶる。



「死……ね、やぁぁっ!」



 その勢いのまま全力で叩き付ける!





 ――大地が、揺れた。





「……ッ!」

 少なくとも莱香には、そう感じられた。凄まじい轟音と共に、その衝撃の余波が離れた所にいる莱香にまで届いた程だ。一体どれ程の威力が込められていたのか。あんなものをまともに喰らったら、ヴォルフと言えども間違いなく即死だ。オーバーキルとさえ言えるかも知れない。


 最悪の想像に莱香は息を呑む。


「…………」

 アガースが戦槌を振り下ろした姿勢のまま動かない。



「……?」

 不審に思った莱香が凝視していると……やがてアガースの巨体がゆっくりと、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。横倒しに倒れたアガースの、丁度心臓がある辺りに、ヴォルフの爪が手甲ごと深々と突き刺さっていた。


「あ……」


 莱香は呆けたような声を上げる。どうやらアガースの大振りな一撃を誘うために、わざと距離を取って隙を見せた、という事だったようだ。余裕がある時なら兎も角、失血による焦りから冷静な判断力を失っていたアガースは、まんまとその誘いに乗ってしまったという訳だ。


 いや、或いはヴォルフは最初からこれが狙いで、細かな傷による失血を与えていたのかも知れない。いずれにせよ、アガースは地に沈み、ヴォルフは涼しい顔で立っている。この結果が全てだ。



(よ、良かった……本当に……)



 勿論アガースが勝てば、莱香はそのまま〈王〉の元へ連れ去られていた訳だから、その安堵はある意味では当然だ。だが今の莱香は自分の身の上を忘れ、純粋にヴォルフが無事だった事に安堵していた。そして一瞬の後には、自らのその感情に戸惑う。



(……て、私は何を喜んでるの!? 彼は進化種……つまり舜にとって、敵である事に変わりはないのに……!)

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