幕間 妄執

 目の前に1人の少年がいた。


 それは……とても「美しい」少年であった。いや、「可愛い」という見方も出来たかも知れない。いずれにせよ、十代半ばを過ぎた少年に対して用いる形容詞としては一般的な物とは言えなかっただろう。

 だが、一般的かどうかなど「彼」にとってはどうでもいい事だった。




 初めてその少年を見た時の衝撃は今でも忘れられない。

 大きな目に蠱惑的な長いまつ毛。ふっくらとした柔らかそうな唇。小さいが形の整った鼻。角ばった所のない柔らかな顔の輪郭。艶のあるサラサラの髪。そして160センチ台の小さめの身長に加え、その体格も一見すると男子とは思えない程、華奢だった。


 極めつけは、体育の授業の着替えの際に見たその身体……。まるで一度も日焼けした事が無いのでは、と思えてしまうような、シミ一つない滑らかな白い肌と、すね毛や指毛などの見苦しい体毛が極めて薄い綺麗な身体。


 更衣室にいた他の全ての男子達が生唾を飲んだのが、「彼」には解った。




 男の、という言葉がある。女装すれば、下手な女など及びもつかないような美貌を持った少年や青年の事を指す造語である。勿論現実ではあり得ない。だがその本来は漫画やアニメなど2次元の世界だからこそ許される存在が、3次元に……現実に目の前に存在したという事実は、「彼」に計り知れない衝撃をもたらした。




 今、「彼」の目の前にいる少年は、何も身に着けていなかった。顔を赤らめて、両手で股間を隠して恥ずかしそうにしている。その姿に「彼」は己の感情が滾るのを覚えた。感情の中身は……獣欲と征服欲だ。





 最初はその圧倒的な美貌に魅入られていただけだった。


 だが、自然と少年を目で追っている内に、少年がその外見通りのかなり気弱な性格で、運動能力も高くないという事が解ってきた。当然喧嘩などの腕っ節も見た目通りに弱い事だろう。

 それが解った時、「彼」の内に感情の変化があった。少年を力づくで征服し、自分の欲望の赴くまま、滅茶苦茶に蹂躙してやりたい、という獣の欲望を「彼」は自覚した。


 「彼」自身は子供の時から野球をやっていた事もあり、体力には自信があった。体格も人並み以上だ。自身の欲望をただ満たすだけならば、実行は容易な事だろう。

 だがそれでは後が続かない。「彼」は退学なり補導なりされて、当分の間少年に近付く事は出来なくなるだろう。また保身的な思考も当然あった。


 自身を突き上げる衝動と戦いながら妙案は無いかと思案している時、「彼」は自分の他にも、少年に目をつけている者達がいる事を知った。

 ある意味当然だろう。共学でも危ういくらいだと言うのに、ここは男子校なのだ。そこらの女など比較にならないようなあの美貌が、注目を集めない筈はない。


 「彼」はその者達に接触した。どうやら少年に対して邪な欲望を抱いている、という点では「彼」と共通しているようだった。そしてその者達のリーダーから誘われ、彼等の「仲間」になる事にした。

 自分1人で少年を独占出来ないのは惜しいが、彼等は保身の為のいい隠れ蓑になってくれそうだった。彼等を上手く矢面に立たせて、自分は安全な所から少年を好きにしてやろう、と心に決めていた。




 そして2年に進級した彼等は、全員が少年と同じクラスになった。運命だと思った。余りにも出来すぎている。まるで人知の及ばない何者かの意思が、「彼」を後押ししてくれているのではないか、と半ば本気で思った。


 リーダーはその暴虐で瞬く間にクラスを掌握すると、早速少年にその牙を向け始めた。予想通り短絡的で自制の効かない連中だ。「彼」は内心でほくそ笑んだ。これで自分は彼等の影に隠れながら、思う存分少年を「堪能」出来る。



 それからは……「彼」にとって蜜月であった。リーダー達は露骨にその欲望を少年にぶつけ始めた。そうして甚振られる少年の姿は「彼」にとって、非常に見応えのある物だった。勿論第三者の目が無い所では、「彼」もその輪に加わった。


 体操着とブルマ姿で廊下を引き回される少年の姿は傑作であった。ご丁寧にカツラや胸パッドまで付けたその姿は、最早疑う余地もなく被虐的な美少女そのものであった。だが「彼」は少年のその格好自体よりも、むしろその恥辱に耐える少年の姿にこそ興奮した。その時の姿を思い出す度に「彼」の股間は激しく怒張した。


 その後も彼等の性的ないじめは続いたが、「最後の一線」だけは越えていなかった。だが「彼」は最早我慢の限界であった。リーダー達に自分の「計画」を話した。少年を人気のない倉庫跡に連れ込んで、そこで「最後の一線」を越える事を……。


 リーダーも含めて全員がその「計画」に乗り気となった。別に「彼」は、一番かどうかはどうでも良かった。少年を陵辱し、自身の欲望を存分に発散出来ればそれで良かった。むしろ自分1人だと逃げられたりする可能性があったので、慎重を期してリーダー達も誘ったのだ。




 そして運命のあの日……。


 放課後、計画通り倉庫跡に少年を連れ込んだ彼等は、喜び勇んで少年を組み伏せて、服を剥ぎ取ろうとした。そして……リーダーの絶叫。脚を押さえて転げ回るリーダーの姿。


 その直後に、すぐ側にいたメンバーの1人が胸を押さえて倒れ込んだ。苦鳴を上げようとしているようだが、口からは空気が漏れるような音がするだけだった。胸の……肺のある辺りがどす黒い血で染まっていく。


 「彼」は何が起きたのか解らなかった。突然の予想だにしなかった事態に、思考が一時停止していた。そこに少年の顔が……「彼」がその欲望を存分にぶつけようと思っていた相手の顔が、目の前に迫ってきた。その顔には返り血が撥ねていた。


 そして、喉元にとてつもない熱さを感じた……と思った次の瞬間には、気の遠くなるような激痛と共に、自分の喉元から大量の血液が吹き出すのを「彼」は認識した。


 そこでやっと「彼」は事態を把握した。そして把握した時には、もう手遅れだった。急速に薄れゆく意識。だがその時「彼」は自分が死ぬ事よりも、ただ少年を永遠に手に入れられなくなる事の方が心残りだった。


 「彼」が生涯で最後に見た光景は、怒号を上げながら少年を取り押さえようとする残りのメンバーに向かって、ナイフを構える彼の姿だった。


 返り血に塗れたその姿を、「彼」は美しいと思った…………。






「…………」


 「彼」は閉じていた目をゆっくりと開いた。いつの間にか眠っていたらしい。


 「彼」は武骨な石造りの、巨大な玉座に座っていた。元々あった玉座は今の「彼」には小さ過ぎたのだ。そこは広々とした謁見の間……王の間だ。このバフタン王国の王都オシリスにある、王城の中心部に位置するメインホールだ。


 懐かしい……とても懐かしく、そして狂おしい夢を見ていた。もうあれから5年以上・・・・の月日が経過していた。にも関わらず、今になってこんな夢を見た理由は明白だった。

 もうすぐ……もうすぐなのだ。もうすぐ狂おしい程に待ち焦がれたものが手に入る……。




『ひょっひょっひょっ……目は覚めたかの? 我が使徒よ……』




 唐突に頭の中に語り掛けてくる謎の老人の声。この5年の間で聞き慣れているその声に、今更動じる事はない。煩わしくもあったが、「彼」にもう一度チャンス・・・・を与えてくれた存在でもある。一定の敬意は払っていた。


「セト様……。何か御用ですか……?」


『ひょっひょっ、そう連れなくするでない。折角お主が求めて止まない「もの」の、最新情報を教えてやろうと言うに……』


「……ッ!? それは……!?」


 その言葉に「彼」は目を剥く。「彼」が求めて止まないもの……そんなものは一つしかあり得ない。


『ひょっひょっひょっ、いい喰い付きっぷりじゃ。あやつはお主の領内に入り込み……今はアアル渓谷という場所に向かっているようじゃぞ?』


「……アアル渓谷」

 それは確かに「彼」の領域内であった。つまり、他の連中・・・・の横槍が入る可能性が極めて低い……。


「それは、確かに朗報ですね。ありがとうございます、セト様」


 「彼」の中で、今の夢でも感じていた獣欲が、急速に膨れ上がっていくのを感じる。だがそんな「彼」の欲望に水を差すような言葉が老人――セトから続けられた。



『ああ、それと……何と言ったかの? あの〈御使い〉が過去にご執心だった女……。そやつもこのイシュタールに送り込まれ、今まさに、やはりアアル渓谷に向かっているようじゃな』



「……何だって?」

 思わず敬語も忘れていた。その「女」には心当たりがあった。少年からの想いを一身に受けていた忌々しい邪魔者……。あの女もこの世界に来ている……?


『それだけではないぞ? あの〈御使い〉の周りには、他にも何人か見目麗しい女が同行しておったの。全く……あのようななり・・で、中々隅に置けん輩じゃのぉ?』


「……!」

 セトの言葉に、「彼」は憤怒の感情を昂らせる。その為、セトの声に煽るような、面白がるような下世話な調子が含まれている事に気付かなかった……。





 セトとの対話を終えた「彼」は、すぐさま臣下を呼びつけた。程なくして、獅子の頭に雄々しいたてがみを備えた、威風堂々たる1人の進化種がやってきた。このバフタン王国にも2人しかいない〈公爵〉の内の1人だ。この国の大将軍という事になっている。


「彼」の前まで歩いてくると、恭しく膝を着く。


「お呼びでしょうか、〈王〉よ……」


「ああ、ちょっと急用が出来たので、これからアアル渓谷まで行ってくる。その間は国の守りは任せるぞ? 特に最近はラークシャサの蟲共が調子付いてて目障りだからな」


「……畏まりました」


 特に理由を聞く事もなく平伏する〈公爵〉。「彼」は〈王〉なのだ。既にその辺は掌握済みだ。


 逆にこの男をアアル渓谷に派遣する事も考えたが、アストラン王国の〈王〉……吉川を下したという話が本当なら、自分が直接出向く方が確実だ。既にこの身に宿る〈神化種ディヤウス〉としての力は、セトより教えられている。


 「彼」は吉川などとは違う。万に一つも負ける要素などあり得なかった。



「……待っていろ。今度こそ……お前を、俺の物にしてやるぞ……シュンッ!!」



 そして今最悪の妄執が形を得て、待ちに待った獲物に向かって動き出す…………。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る