第38話 戦い終わって

 舜がレベッカ達がいる場所へ戻ると、3人はまだ同じ場所に横たわっていた。一応魔獣除けに結界は張っておいたので、大丈夫だとは思っていたが、何事も無かったようで安心した。


(……て、安心してる場合じゃないな。皆には魔力による回復が効かないから、自然に回復するのを待つしか無いんだよなぁ)


 可能であれば神膜内で神気を吸入させたかったが、弛緩した人間3人を一度に運ぶ手立てが無かったので、仕方なく結界を維持しながら、自然に回復するのを待つ事にする。


 3人共必死に動こうとはしている様子で、時折筋肉がピクッピクッと波打っていたが、相変わらず指一本動かせていなかった。まだしばらく掛かりそうだと見て取った舜は、複製の魔法で創り出した水を飲ませたり、汗を拭いたりしながら根気強く待った。


 ――結局、3人が多少なりとも身体の自由を取り戻すまで、それから半日近くの時間を要した。



 辺りは夜が明け、早朝の空気が朝日に照らされ、朝もやが漂っていた。舜が即席で作った焚き火の燃えカスが散乱している。


「く……う……」


 レベッカが、もたつきながらも何とか身体を起こす。立ち上がろうとするが、足に力が入らず、片膝を着いてしまう。


「焦ってはダメです。少しずつ慣らして行きましょう」


 舜はそう言って、もどかしげに眉を寄せるレベッカを落ち着かせようとする。




 憔悴した表情でレベッカが見上げてくる。


「お、お前は……本当にシュン、なのか……?」


 彼女も目の前で舜の変異は見ている筈だが、どうしても確認せずにはいられないのだろう。


 当然だ。今の舜は外見どころか性別まで変わり、あまつさえ背中から黒い翼まで生やした、どう見ても尋常な人間ではない姿なのだから。



「は、はい。信じられないかも知れませんが、俺は間違いなくシュン・ヒイラギです」


「な、何と……」


 あくまで確認だったのだろう。レベッカが驚きながらも、納得したように嘆息する。


「……目の前で見てなきゃ、絶対信じられないわよねぇ……」


 レベッカに続いて身を起こしてきたロアンナが、興味深そうに舜の姿を観察する。口調は軽そうだが、その表情は辛そうに歪められている。


「それが……シュン様の、真のお姿なのですね……」


 鍛えられた戦士である他の2人と比べて、リズベットは若干回復が遅れているようで、まだ身体を起こせずにいたが、首は動かせるようで、喋る事も支障はなさそうだった。


「真の姿、と言われると少し複雑な気分ですけど、これが魔素を吸った俺の、本来の姿なのは確かみたいです」


「し、しかし、とても進化種とは思えないような神々しいお姿ですわ……」


 リズベットが未だ苦し気ながらも、若干頬を上気させた、うっとりとした視線で見つめてくる。



「神々しいって言うのかしらね、コレは……。でも、物凄く印象が変わったのは確かよね」


 ロアンナもまだ若干戸惑っている風だ。




「その……フォーティア様によると、進化種ではなく神化種と言うらしいですけど……」


「神化種?」


 舜は、吉川も神話そのものな、巨大なドラゴンの姿に変わった事などを話した。




「そ、そんな事が……」


「……何かもう、私達とは完全に違う次元の世界って感じよねぇ……」


 リズベットとロアンナが、驚きとも呆れともつかない感想を漏らした。




「……だが、そんな存在が我々のすぐそばに実在しているのは、紛れもない現実なのだ」


 と、これまで黙っていたレベッカが、歯ぎしりせんばかりの表情で、重苦しく口を開いた。


「私は……私達はあまりにも弱い……。何も、出来なかった……! 何も!」


 力なく地面に拳を打ち付けるレベッカ。その瞳から涙がこぼれ落ちる。それは吉川に陵辱されそうになった時にこぼれた涙とは違う……悔し涙であった。


 殆ど戦いにすらならずに、吉川に無力化させられた事が、相当に堪えている様子だ。吉川にとって彼女達はただの陵辱対象、玩具に過ぎなかった。――そもそも「敵」と見做みなされていなかったのだ。

 その事実が、屈辱が、自らの強さに誇りと自負を持っていたレベッカを、徹底的に打ちのめしていた。



「レベッカ……」


 リズベットが、どう声を掛けていいのか迷うような素振りを見せた。


 舜にしても同じだ。ここで、自分が守ります、と言うのは簡単だ。しかしそれはあくまで舜の個人的な願望であり、レベッカが望む答えではないだろう。王都で、これは自分達の戦いでもある、というリズベットの言葉に大きく頷いていた姿が思い出される。


 また舜とて決して万能ではない。1人で全てを守りきる事など不可能だ。

 重苦しい沈黙が降り立つ。それを破ったのは――――



「……悔しいのは私だって同じよ。『狩人』なんて呼ばれて調子に乗って、あなたの部下にも偉そうな事言って……顔から火が出る思いだわ」


 その言葉にレベッカが顔を上げる。




 ロアンナが、やはりその顔を悔しげに歪めながらも、真っ直ぐにレベッカを見つめた。


「でもだから何なのよ? 私は自分の生き方を変えるつもりはないわ。私はこれからも『狩人』として生きるわよ?」


「し、しかし、敵は余りにも強大で、我らは余りにも弱く……」


「だからそれがどうしたって言うのよ? 敵が強いから何なの? 自分が弱いから何なのよ!? あなたまさかそれを言い訳にして逃げる気?」


「……!」

 レベッカの表情に、僅かな変化の兆しがあった。それは……怒りか。




「散々偉そうな事言っておいて、敵が強いから、後はシュンに任せて、自分は引き篭もりますとでも? はん! そうしたければ勝手にどうぞ!? 口だけの臆病な負け犬に相応しい末路ね?」


「……だまれ」


「私は逃げないわよ? どっかの誰かさんと違ってね? これからは戦いは私達に任せて、臆病者の負け犬さんは畑仕事でも……」


「だまれぇっ!」

 思わず、といった感じでレベッカが殴り掛かる。まだ完全に麻痺の抜けきっていない身体での、腰の入っていない拳であったが、条件はロアンナも同じなのだ。



 レベッカの拳が、ロアンナの頬を殴打する。麻痺が残る身体で、踏ん張れずに後ろへ倒れ込み尻もちを着くロアンナ。殴ったレベッカもふらついて前のめりに倒れ、四つ這いになる。



「……何よ。随分威勢がいいじゃない。負け犬は負け犬らしく……」


「うるさい! うるさい! うるさぁい!」



 子供のように喚いて、ロアンナに掴みかかるレベッカ。


「誰が逃げると言った!? 私は戦士隊を率いる戦士長だぞ!? わ、私だって逃げない! 逃げてたまるか!」


「ふん。何よ、答えは最初から出てるんじゃない」

「……!」


 ハッとしたようにロアンナを見るレベッカ。




「どうせ私達のやる事は変わらないんでしょう? だったら嘆いてたって仕方ないでしょ。敵が強い? 私達は弱い? 上等じゃないの。それなら私達も必死に訓練して、今以上に強くなってやるまでよ」


「い、今以上に強く……?」


「当然でしょ。……あなたまさか今まで、現状の強さで満足してたんじゃないでしょうね?」


「う……い、いや、勿論そんな事はないぞ!? 我々戦士隊は常日頃から厳しい訓練をだな……」


 何故かちょっと慌てたように弁解するレベッカ。ロアンナはそれを見てクスッと笑う。



「本当かしらね? だったら何の問題もないでしょう? むしろ敵の高みが知れた分、訓練にもより気合が入るってものよねぇ?」


「う、うむ! 勿論その通りだ! 帰ったら早速部下達を集めて、訓練のやり直しだ!」


 するとリズベットもにっこりと笑って、会話に参加してくる。



「あら? 確かに聞きましたよ、レベッカ? それはもう厳しい訓練を積んで、今よりもっと強くなってくれるのですね?」


「リ、リズ!? う……ぐ……あ、ああ! 解った! 解ったとも! 確かに泣き言など言っている暇は無いな! 私も今以上に強くなって見せる! 絶対にだ!」



 その言葉を聞いて、ロアンナも笑みを深める。


「ふふふ……いい顔になってきたじゃない。勿論私も負けないわよ? 『クィンダム最強の戦士』は2人もいらないからね」


「ふん! 望む所だ!」


 レベッカが、ようやくいつもの調子を取り戻したのを見て、舜もホッとする。



「ありがとうございます、ロアンナさん。……ところで俺は皆さんに謝らないと行けない事があります」


 舜はそう前置きして、吉川との戦いには勝ったものの、寸前で殺すのを躊躇い、結果として取り逃がしてしまった事を正直に告げて、謝罪した。

     


「……すみません。後一歩の所だったのに、俺はあいつを殺す事が出来ずに、みすみす逃してしまいました……。結果、皆さんを危険に晒してしまうかも知れないと解っていたのに……」


 敵を殺すのを躊躇い、逃してしまったという事実に、軽蔑されるのが怖かった。しかしどうしても隠しておく事が出来なかった。或いはそれは舜の自責の念がそうさせたのかも知れない。

 果たしてレベッカ達は……



「……顔を上げろ、シュン。その事で私達がお前を責めると思っているなら、随分見くびられたものだな?」


 レベッカの言葉に舜は顔を上げる。




「ええ。シュン様がいなかったら、そもそも私達は何も出来ずに奴に陵辱され、連れ去られていたでしょう」


「うむ。そうならなかったのは全てお前が、奴を撃退してくれたお陰だ。感謝こそすれ、責める事などあり得ん」



 2人の言葉にロアンナも頷く。


「そう言う事。私達には君を責める資格なんて、最初からないって事よ。気にしなくていいわ」


「み、皆さん……」


 女性達の気持ちを汲んで、舜もこれ以上の謝罪はやめておく。





 話が終わったと見て取ったロアンナは、雰囲気を変えるようにパンッと手を叩いた。


「さあ、辛気臭い話はここまで。とりあえずクィンダムに帰らない? そもそも帰る途中だったわよね私達? 丸一日近く何も食べてないから、お腹が空いちゃって仕方ないのよねぇ」


「ふふ、そうでしたね。私達のせいですっかり帰るのが遅くなってしまい、こちらこそご迷惑をお掛けしました、シュン様」


「い、いえ、そんな事は……」

 リズベットの謝罪に舜は恐縮する。



「ここから国境まではそれ程遠くないはずだな。私達ももう歩く位は出来そうだし、行くとしようか。もうウンザリする位寝た事だし、女王陛下の安否も早く確認せねばならんしな」


レベッカの言葉で、皆クィンダムに向かって歩き始めていく。

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