第21話 鮮やかな花には毒がある

 斃れる同胞には目もくれずに、残った兎人がロアンナに肉薄してきていた。残り3体の〈市民〉は、足の速さに応じてロアンナとの距離に差が付いていた。どうやら仲間と連携して戦おうなどという気は、微塵もないらしい。ならばこちらはその短慮を存分に利用させてもらうまでだ。ロアンナは嘲笑するように口の端を上げると、弓を放り、短槍に持ち替えた。


 槍の先端にのみ神気を纏わせると、先頭の兎人目掛けて突っ込む。神膜内で戦う戦士達のように、武器全体や自分の体にまで神気を纏わせるような「無駄」は極力避ける。ここでは神気は有限。自身の肉体に蓄えられた神気だけを如何に効率的に運用するか……それが生死を分ける。


 兎人は右手に魔力で作った曲刀を握っていた。ロアンナは敵の心臓目掛けて、裂帛の突きを放つ。兎人は曲刀で槍を切り払おうと、内側から斜め上に向かって斬り上げる。


 ロアンナは槍全体に神気を纏わせそれを受け止め……無い! 勢い良く突き出したのが嘘のような速さで、槍を引っ込める。フェイントに引っかかった兎人は、斬り上げた体勢でたたらを踏んだ。その隙を逃さず、今度こそ本物の気合を込めた槍を高速で心臓に突き入れた。5体。


 残り2人となった〈市民〉は、流石に警戒したようで、走りを止めた鼠人の手に、巨大な炎の塊が浮かび上がっていた。ここからでは接近戦に挑むのは間に合わない。ならば――


 高速で飛んできた火球を横っ飛びに躱すロアンナ。と同時に、手にしていた短槍を鼠人に向かって真っ直ぐに投げつける。槍は狙い違わず、魔法を放った直後に一瞬硬直していたタイミングを外さずに、鼠人の心臓に吸い込まれた。6体。


 不安定な体勢から正確に槍を投げつけたロアンナの技量に、最後に残った鶏人は慌てて眷属を召喚する。空中に生じた「穴」から、人間ほどの大きさの鶏らしき怪物が10体程出現する。らしき、と言うのは、その怪物には羽毛の類いが一切なく、丸裸でかつ毒々しい紫色の皮膚をしていたのだ。


 眷属を召喚し、安心した様子の鶏人が改めてロアンナに向き直ろうとした時――トスッとその額にピースの矢が突き刺さった。


(馬鹿なヤツ……。もっと早くに召喚しておくべきだったわね)


 槍を手放したロアンナは、鶏人が眷属を召喚し出す前に、既に弓の回収に向かっていたのだった。主人の死と共に、現れたばかりの眷属達が消滅していく。7体。


 これで〈市民〉は全滅させた。いつもの「狩り」なら、ここで何の問題もなく終わっていた筈である。しかし……




「…………」

 白鼠人は最初の位置から殆ど動いていなかった。正確には怯えて震えている囚人達を取り囲むように眷属――人間大の巨大ネズミ――を召喚し、その前に陣取った後は、ロアンナの戦いぶりを眺めているだけだった。


 部下達が勝利すると思っていた? ロアンナの早業に加勢する暇が無かった? ――どちらでもないとロアンナには解った。


(こいつ……私の力を測る為に部下を捨て駒にしたわね。強者の余裕って奴かしら? ……いい度胸じゃないの)


 ロアンナは神気を練り上げ、索敵をかける。

 結果は……〈職人〉。つまり近接戦闘特化型という事だ。


(厄介ね……。でも余裕ぶって、部下達に紛れてさっさと距離を詰めてこなかったのが、あなたの敗因よ……!)


 ロアンナは再びの神業で、目にも留まらぬ速さで矢を放つ。狙いは……白鼠人の心臓。だがそこで目を疑うような出来事が起きた。


「……なっ!?」


 矢を――掴んでいた。〈市民〉達では目で追うことも出来なかった程の瞬速の矢を、手で正確に掴み取ったのだ。それはつまり白鼠人には、矢の軌道が完全に見えているという事。

 避けられるくらいは覚悟していたが、まさか掴み取られるとは……。ロアンナは、初めて戦う〈職人〉の能力を甘く見ていた事を悟った。


「くっ……!」


 牽制にもう一矢放つと、ロアンナは弓を放り、脇目も振らずに鼠人の死体に刺さったままの短槍を回収しようと走った。


 走った。

 全速力で走った。

 もう少しで届……


「ッ!?」


 目の前に……つまりロアンナと彼女の槍との間に、白鼠人がいた。距離は向こうの方が遥かに遠かった筈なのに、ロアンナにはいつ現れたのかさえ殆ど解らなかった。まるで瞬間移動の如き速さであった。

 思わず急制動を掛けて硬直するロアンナ。白鼠人の手が消える。いや、消えたと錯覚する程の速さで動いた。


「ぶっ! ぐぉ……!」


 腹に凄まじい衝撃を感じた瞬間には、ロアンナは後方へ吹き飛ばされていた。半ば本能的に神気の障壁を纏わせていた事で、その程度で済んだのだ。生身で喰らっていたら、彼女の腹は突き破られていただろう。

 苦痛にえずきながらも、素早く身を起こすロアンナ。一瞬たりとも目を離していい相手ではない。


(参ったわね……。相性が悪すぎる……)


 変異体とは以前に、〈商人〉そして〈僧侶〉と戦った事があった。いずれも大いに苦戦したものの最終的には勝つ事ができた。だがどちらかと言えば遠距離攻撃主体のロアンナには、この〈職人〉は相性が悪すぎた。しかも今、接近戦用の短槍が手元に無いという最悪の状況だ。


 ならば……手段は1つだ。今は生き残れるかどうかの瀬戸際だ。つまらない自尊心など魔獣の餌にでもくれてやればいい。



「あ……く……」


 ロアンナは、立っているのもつらそうに――実際につらかったのだが――苦しげに片膝を着いた。そして前屈みになった拍子に、革のビキニトップに包まれた豊かな双球が、まるで男の目を誘うかのように揺れ動いた。


「うう……はぁ……はぁ……」


 苦しげにあえぐロアンナ。先程までの戦いと、今受けた苦痛とでロアンナの褐色の肉体は汗にまみれ、高くなってきた日差しに照りつけられて、艶やかに輝いていた。


 苦しげに閉じられた目と、汗に塗れて荒い呼気を繰り返すその姿は、見ようによってはまるで睦み事の最中の嬌態のようにも見え、男を惑わす色香に溢れていた。


 男の……白鼠人の気配が、魔力が、微妙に動揺するのを、ロアンナは確かに感じ取った。内心でほくそ笑むが、まだ予断は許さない状況だ。無意識に――と見せかけた――男を誘う嬌態を続けるロアンナ。本当は寝そべってもだえてやってもいいくらいなのだが、余り大仰にすると演技だとバレる。


 あくまで現在のダメージで不自然にならない程度に苦しむ。すると……白鼠人が、ゆっくりと近付いてきた。まだ最低限の警戒は解いていないようだが、目の前でロアンナの痴態を見せつけられ、欲望が優先されたようだ。ロアンナは自分が賭けに勝った事を悟った。


(ふふ……ホント、馬鹿な生き物よねぇ、男って。さあ、いらっしゃい坊や。最後に極上の快楽を味あわせて上げるわ。死という名の快楽をね……)


 むせ返るような「女」の匂いを嗅いだ白鼠人は、興奮に我を忘れた。心のどこかでは自分の身体能力に対する自信もあったのだろう。目の前の女が抵抗しても簡単に組み伏せられる、という自信が。だが彼は1つの要素を失念していた。いや、興奮のために失念させられた、と言うべきか。


 衝動の赴くままに、ロアンナを組み伏せる白鼠人。苦痛に呻くばかりで、ろくに抵抗もできない無力な女。白鼠人は仰向けに倒したロアンナに馬乗りになると、毛むくじゃらの手でロアンナの双球を揉みしだいた。まるで嬌声のような苦痛の声を上げるロアンナ。


 ますます夢中になった白鼠人は、ロアンナの唇を吸おうと、臭い息を吐く口を近付けてきた。……血のように赤い瞳をした、巨大なネズミの顔が迫ってくる。ロアンナの演技もここが限界だった。


 組み伏せられた時に、白鼠人の目に映らないようにさり気なく右手に握っていた……ピースの矢。白鼠人にふっ飛ばされた時に、矢筒からこぼれ落ちて、その場に散乱していたのだ。

 ロアンナは顔を近付けてきた白鼠人の左目に、思い切りピースの矢を突き刺した。そして間髪入れずにありったけの神気を流し込んでやる。


「!! ギィィィィッ! キ、キサマァ……!」


 予期せぬ激痛に白鼠人が無茶苦茶に暴れまわる。ロアンナは神気を全身に纏わせ必死で防御しながら、押さえつける力が緩んだ隙にその下から這い出た。


(クッ! 浅かった……! なら……!)


 ロアンナは今度こそ槍を回収すると、激痛に悶える白鼠人に向き直った。


「殺ス! キサマハ絶対ニ殺シテヤルッ!」


 怒り狂う白鼠人。先程の苦し紛れの狂乱で全身を殴打されたロアンナは、それでもその苦痛をこらえて、嫣然えんぜんと微笑んだ。


「鮮やかな花にこそ、毒がある……。良い教訓になったでしょう? 授業料はあなたの命で払って頂戴ね?」


「ヌガアァァァァッ!!」


 白鼠人が襲い掛かってくる。しかしその動きに先程までの神速は見る影もない。


「終わりよっ!」


 そしてロアンナの神気の槍は、正確に白鼠人の心臓を貫いたのであった――。



****



 ――囚人達を取り囲んでいたネズミの眷属が消滅していく。囚人達は目の前で起きた出来事が信じられないように、未だ呆然としたままであった。


 過去に助けた囚人達も同じような反応だったので、ロアンナは気にせず囚人達に近付くと、首輪と後ろ手の縄を解いていく。全員の拘束を解き終わると、ロアンナはそれまでのダメージと疲労が一気に押し寄せたように、その場にへたり込んだ。


 拘束を解かれた事で、ようやく助かったという実感が湧いたのか、女性達がロアンナに駆け寄ってきて、泣きながら口々に礼を言ってきた。


「ああ……いいのよ別に。狩りのついでに助けただけだから……。それより悪いけど、これからすぐにクィンダムまで行くわよ。大変だろうけどもうひと頑張りして頂戴」


 ここは進化種の領域。お荷物を引き連れたまま、いつまでものんびり休んでいられる場所ではない。ロアンナ自身も今の戦いで、蓄えていた殆どの神気を使い果たしてしまったので、どの道長居はできない。


「さ、行くわよ。クィンダムまでたどり着けば、後の衣食住はあのお人好しの馬鹿女達が面倒見てくれるわ」


 レベッカ達を揶揄した台詞だが、周りの女性達や過去に同じように助けた女性達からは、ロアンナも相当のお人好しだと思われている事に、本人だけは気付いていなかった……。

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