第20話 狩人ロアンナ

 そこは地形そのものはクィンダムとそう変わりは無かった。高低様々な草花が敷き詰められた草原、それに続くなだらかな丘陵と、地平線を遮る森林地帯。時刻は早朝と言っても良い時間帯で、本来であれば朝日に照らされたその風景は、心にゆとりがある者が見れば、10人中10人が美しいと評するような、雄大な自然の景色であった。


 だが今は……淀んでいた。本来なら思い切り深呼吸の1つでもしたくなるような、新鮮な朝の空気はしかし、微妙にもやが掛かったように薄っすらとした赤い霧が漂っており、ねっとりと絡みつくような淀んだ臭気に満ちていた。



 クィンダムの人々から、畏敬または揶揄やゆを込めて「狩人」と呼ばれるロアンナ・ウィンリィは、とある獣道を見下ろす小高い丘の中腹で、自らの腰ほどの丈がある草むらに身を潜めながら、じっと「獲物」が通りかかるのを待ち続けていた。



 ここはバフタン王国。進化種の一種である、〈鳥獣種ビースティアン〉の支配する獣の王国。近くには巨大な森林もある、バフタン王国辺境の地。そして現在、ロアンナのお気に入りの「狩場」であった。


 燃えるような赤い髪。そして長年の「狩り」で鍛えられた褐色の肢体に身に纏う、獣の皮をなめした衣装。そして背には短槍と矢筒を背負い、その手には獣の骨から削られた武骨な弓が握られていた。その姿は客観的に見て正に野生的な狩人そのものであった。しかし……


(ああ……。早く汚らしい「獣達」が来ないかしら……。あいつらの心臓に槍を突き立てる瞬間がたまらないのよねぇ、うふふ)


 その時の光景を想像して、ロアンナの顔が恍惚にとろける。それは精悍な狩人のイメージとは程遠い、ともすれば妖艶な雰囲気すら漂う魔性の笑みであった。




 そして更に待つ事幾ばくか……ロアンナは待ちに待った「獲物」の姿を認めた。鳥獣種の〈市民シビリアン〉であるねずみ人やうさぎ人、そしてにわとり人もいた。ロアンナはほくそ笑んだ。格好の「獲物」だ。――しかしそこにいたのは彼らだけでは無かった。


(あら? あれは……)


 ロアンナの優れた視力は、まだ遠い所を歩いているその一団の姿を、草むらの陰からでもはっきりと視認していた。


 〈市民〉の数は7人程。奇襲が成功すれば、ロアンナであれば問題なく「狩れる」数だ。しかし彼らはその後ろに10人程の人間……つまりは女性達を引き連れていた。


 女性達は全員、丈の短く、太ももまで剥き出しになった粗末な貫頭衣のみの姿で、後ろ手に縛られ、首輪のような物を嵌められていた。その首輪から伸びた鎖を引かれて、無理やり歩かされているようだった。


 進化種は自分達のペースで歩いており、それに付き合わされている女性達に一切の配慮は無かった。必死で歩く女性達はバランスを崩して転ぶ事もあり、そうすると〈市民〉達はゲラゲラ笑いながら、魔力の鞭で転んだ女性を叩く。


 痛みに呻く女性は必死で立ち上がろうとするが、後ろ手に縛られている為、中々上手く立ち上がれない。その姿を見て〈市民〉達がまた嘲笑する。ようやく立ち上がった女性は、乱暴に鎖を引っ張られて、休む暇もなく再び歩き出す。

 そんな光景がロアンナが見ている先で繰り返されていた。


(…………)

 ロアンナは自分と同じ女性達が甚振られるその光景を見て、義憤に駆られていた……訳では無かった。


(略奪や襲撃じゃなく、「輸送」隊だったようね……。はあ……面倒臭いわねぇ)


 略奪や襲撃途上の連中なら、そいつらを倒せば終わりだし、「狩り」だけに集中できる。だが今回のように余計な「荷物」がくっついている場合はその限りではない。しかも――


(ああ……。面倒そうなのがいるわねぇ……)


 引っ立てられている女性達の更に後方。つまりこの集団の殿……そこには真っ白な体毛と、血のように赤い瞳の鼠人がいた。通常の鼠人の体毛はくすんだ灰色か茶色であり、瞳の色も淀んだ黒か茶である。つまりこの鼠人は……



(……雰囲気からすると〈商人マーチャント〉か〈職人クラフトマン〉辺りね……。〈僧侶プリースト〉って事は無いと思うけど……)



 〈市民〉からの変異体はいくつかのタイプに分かれ、遠近バランス型の〈商人〉、強化魔法特化型の〈職人〉、逆に遠距離魔法特化型の〈僧侶〉、ユニーク能力持ちの〈役人オフィサー〉などが存在している。他にも、誰も見たことが無いので詳細は不明だが、〈競技者アスリート〉と呼ばれる、最強の〈市民〉が極少数存在しているらしい……。


 当然だが、それぞれによって戦い方は大きく異なり、対策も大幅に変わってくる。

 神気による索敵を掛ければ、魔力の質ですぐに判明するが、それをやるとこちらの存在も気付かれ、奇襲のアドバンテージが無くなる。



(どうしようかしらね……。 このままやり過ごす……訳には行かないわよねぇ、流石に)



 別に義憤には駆られていないが、さりとて目の前で虐待されている女性達を、リスクを恐れてただ見殺しにする、というのも寝覚めが悪い。実のところ、こういうケースは初めてでは無かった。


 狩りの途中で、襲われていた難民達を「成り行きで」助けたり、今回のように護送されていた囚人達を狩りの「ついでに」解放したり、という事はこれまでにも幾度となくあったのだ。


 その度に、助けた難民や囚人達から感謝され、クィンダムに無事辿り着いた彼女らは、赤髪の狩人の武勇伝をこぞって喧伝した。結果ロアンナの与り知らぬ所で、クィンダムにおける彼女の名声は、聖女戦士隊アマゾーンに劣らない程に高まっていたのだった。


 そんな事とは露知らないロアンナは、今回も狩りの「ついでに」囚人達を助ける事に決めた。白鼠人という不確定要素はあるが、そもそも完全に想定通りに行く戦いなどそう無いものだ。





 一行がロアンナの「射程距離内」に入ってくる。手に持つ骨削の弓を静かに構える。通常の矢では進化種の強靭な肉体に傷をつける事も難しい。しかし進化種に対して有効な神気は、遠距離武器には通常纏わせられないのが神術の弱点の1つである筈なのだが……。


(まずは数を減らすのが先決ね……。出来ればあの白いのを仕留めたいけど……欲を掻き過ぎない方がいいわね)


 もし避けられたり防がれたりしたら、1体も減らせないまま奇襲は失敗してしまう。ロアンナは博打には出ず、堅実な方法を選択した。


 〈市民〉は、鼠人3体、兎人2体、鶏人2体の構成だ。まずは先頭にいる鼠人に狙いを定める。


 ビシュッ! という発射音が弓から発せられた時には、先頭の鼠人の頭に矢が突き刺さっていた。他の〈市民〉達が呆気に取られる。一瞬、何が起きたのか解らない様子であった。


 そんな隙だらけの硬直を見逃すロアンナではない。驚異的な速さで次矢を番えたロアンナは、もう1体の鼠人の頭も貫いた。これで2体。頭に矢を突き立てられた鼠人達は、そのまま目や鼻から血を噴き出し崩れ落ちる。


 〈市民〉達が、ようやく敵から攻撃を受けている事を認識し、慌てて周囲を見渡す。ロアンナから見て反対側を向いていた鶏人の後頭部にも矢が突き刺さる。3体。


 ギィィィィィィッ! と辺りをつんざくような、耳障りな叫び声が轟く。あの白鼠人だ。第1射の段階から既にロアンナの居場所を探っていたらしく、その視線は彼女が潜んでいる場所に正確に向けられていた。遂に特定されたようだ。


 取り乱していた残りの〈市民〉達が、ロアンナの方を向いて一斉に殺気立つ。因みに囚人達は第2射の段階で、全員地に伏せて震えていた。


(ふう……。本当はもう少し減らしておきたかったけど……やっぱり面倒ね、あいつ)


 特定された以上、もう繁みに隠れている必要はない。ロアンナは繁みから出ると、連中を挑発するようにその場で武器を構えた。神術を扱う女戦士の常として、ロアンナも非常に露出度の高い衣装を身に着けていた。


 魔獣から剥いだ毛皮をなめした革製のビキニ姿に、丈の短いキルト付きのベルト、同じく革製のブーツに腕当て、肩当て、たすき掛けの胸ベルト、という出で立ちである。

 その褐色に輝く引き締まった肉体が惜し気もなく晒され、〈市民〉達の視線に殺気だけでない、好色な物が交じったのをロアンナは感じ取った。


(……姿が変わろうが、魔法が使えるようになろうが、男っていうのは救いようがない馬鹿な生き物よねぇ)


 ロアンナは破滅の日の前から既に、その奔放な性格と、妖艶な容姿とで男達を手玉に取る生活を送っていたのだ。自分の容姿が男に対して、どのような影響を及ぼすかは熟知している。


 何かに取り憑かれたようにロアンナに向けて殺到する〈市民〉達。直線的なその軌道は……格好の的だ。ロアンナは新しい矢を番えると、先頭を走る兎人の心臓に狙いを定めて発射した。


 その一連の動作は正に神速といえる程の素早さで、矢を番える動作を見てから回避しようとした兎人は、次の瞬間には己の胸に突き刺さっている矢を、信じられない物を見るかのように眺めてから……崩れ落ちた。4体。


 本来神気を纏わせられない遠距離武器で何故こうも容易く進化種の肉体を貫けるのか――その秘密はやじりにあった。ロアンナの放つ矢の先端は金属ではなく、先を尖らせた滑らかな白い石であった。


 白い石――それはクィンダムで貨幣として用いられている〈ピース〉であった。ピースには確かに神気が込められているので、その神気を利用して進化種を攻撃する……それは一見理に適っているように思える。


 しかし同じ事を、進化種との戦いに苦心するレベッカ達が考えなかった筈はない。そこにピースの「神気を解放すると、すぐに崩れ去ってしまう」という特性が立ちはだかった。


 ピースの神気は、手に持っている状態でないと解放できず、神気を解放してから放つと、標的に到達する前に確実に塵になってしまうのである。かといって、矢として発射してしまってからの神気の解放は不可能。ピースの原料となる乳基石自体、無限という訳ではなかった事もあり、遠距離攻撃手段の開発は頓挫とんざしてしまった。


 進化種が目で追いきれない程の、神業とも言うべき速さと技術を持つロアンナにしかできない離れ業であった。


 過去にロアンナの名声を聞いたレベッカが、戦士隊への勧誘に来たことがあった。ロアンナの技術を部下達に伝授して欲しいと頼まれたが、先の見えているクィンダムの行く末などに興味がなく、刹那的な生き方をしていたロアンナは、レベッカを素気なく追い返したのであった。


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